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あなたの目、あなたの手、あなたの心

竜の塔/フラン アベリオン、キャシアス

 夢の中の自分は少女で彼もまた少年だ。
 左の手首を頭上で押さえつけられている。同じ側の足を固い両膝で挟みこまれている。どこも痛くない。ただ力が違うから抗いようがない。己が蝶となり、わななく子供の汗ばんた両手の中に捕らえられているかのようだ。痛みを与えられぬまま、何かがはらはらと零れ落ちるような感覚だけがある。のしかかった彼が「フラン」と言う。
 唇に指が触れる。指先が口中に入りこみ、歯と舌に触れ、彼の指先を味わう暇もなくまた出て行く。かすかな膨らみを帯びはじめた乳房は服の上から触られただけでぴりぴりと痛む。そうだ、そこだけがとても痛い。ゆっくりとボタンを外され肌着を押しひらかれ、あ、と声が出る。触られたすべての部分が敏感になっていく、肌に触れるひんやりとした空気すらひとつの刺激になる。
「フラン」
 また彼が言う。
 名前を呼ぶ。
 女中部屋の寝台とは違う、この部屋の寝台は二人が身じろぎしても軋まない。白い杉の寝台、藁ではなく薄い絨毯が床に、汗ばんだ背が触れるシーツも柔らかく、大きく開いた窓から射し込む日が床の上で白く光り壁に暗い影を落とし、彼の肌に汗の匂いがする。頭がぼうっとする。このことが誰かに知られたらきっと怒られてしまう。きっと、きっと、あたしも彼も、たくさん叱られる。この館から出て行け、と言われるかもしれない。なのにどうしてこんなに胸が高鳴るのだろう。お館様やお祖父様の信頼に背くことがこの方への忠誠の証であるように思える。自分はどうかしている。二人ともどうかなってしまっているんだ。信じられないくらい近くで赤い虹彩が光を反射している。瞳の中に自分の顔が映っている。
 三度目にフラン、と名前を呼ばれたあと、ようやく声がでる。
 そこ、痛いです。お願いですから――ううん、違うの、違うんです、触るのはやめないで。そうじゃなくて、触って、そして覚えていてください。あなたに優しく触れられるたび、あたしの体が切られるように痛んだというそのことを。
 自由な半身を動かせば女中服が音を立てて擦れる。太股にまとわりつくスカートなんて普段は意識すらしないのに今日は触れる襞のひとつひとつがやけに熱い。
 あたしたちは悪いことをしている。
「あのう、どうしてこちらの手は押さえないのですか」
 自分でも少しずれている気がしたが、どうしても気になったのでフランがそう尋ねると、一拍置いて彼が真面目な声で言った。
「嫌ならそっちの手で俺を打って」
 ずるい言葉だと思い、だが即座に彼の卑怯を許した。
 逃げない自分も同じようにずるい。

 自由な右手を彼の背に回し、ぴりぴりと震える乳房を固い胸に押しつける。そしてようやくこれが夢だと気づく。なんという夢を見ているのだろう、今はそれどころじゃないのにと自分に呆れながら、少女は自分を組み伏せる彼女の主を見つめる。触れ合った部分で少年の胸が鳴っている。二人の息が速い。おりてきた唇がぎこちなく重なった。欲望よりは躊躇を滲ませた唇が離れたあと、彼が言った。

「フラン、俺のことを好き?」

 そんなことお尋ねにならないでください、と思う。
 好きです。もちろん好きです。

「俺が俺じゃなくても?」

 問いかけの意味がフランにはわからない。それはどんな謎かけですか? あなたはいつでもあなたです。あなたの目、あなたの手、あなたの心、全部であたしを好きになさってください。だってあなたはあたしの大事な――。

 夢を見ているフランは夢に見られているフランより少しだけ大人で、だから少年の問いかけの意味がわかる。その声が震えている理由もわかる。悲しくなる。寂しくなる。そんなことを言う彼を、泣きながら両手で叩いてやりたくなる。自分が言うべき言葉を、いや彼が欲する言葉を、今のフランはわかっている。

 でも覆いかぶさっていた彼の体がゆっくりと沈んできてフランを抱きすくめ、その重みに息が止まり、そうするとすべてが曖昧に、夢の中なのだからこの快楽を楽しむだけでいいのだと、少年の肌着の内側へ手を滑らせ、呼び覚まされた欲望を露に、張り詰めた筋肉を覆う暖かな皮膚を掌で味わい、盛り上がった少年の固い背骨の列に指を這わせる。また彼の声が囁く。フラン、俺の名前を呼んで。





「光がないから目が退化していったんじゃないかとラバン爺が」
「つまり普段この町では見かけない種類の魚なわけだ」
「話にすら。一方で昨日の夜種どもの毛並みも骨格も、地上を闊歩する生き物のそれでした。だから水流の流れが地上と違っていても、それとは別に必ず上と行き来する道があると思うんです――頭のよくない連中が何も考えずに使えるような、広くて単純な道が」
「という推測なのね」
「という推測ですね。おはようございます」
 少年の澄んだ声が耳に気持ちいい。
 最後の言葉は自分に向けられたものだった。ぱちりと目を開ければテントから離れた水流の側に焚き火の炎が揺れている。火を囲んだ探索の仲間たちがこちらを見つめていて、「よく眠れましたか」「やあおはよう、フランくん。先に頂いてるよ」「おはよう」静かに、陽気に、ぶっきらぼうに、それぞれの挨拶の声が飛んでくる。フランは体を包んでいた分厚いマントから身を起こす。当たり前の話だが、上層から転落しテントを張った昨夜から、何ひとつ状況は変わっていないようだった。四方を石に囲まれた廃墟では時間の計りようもないが、恐らく今は朝なのだろう。
 焚き火の方から流れてきた熱い茶と煮える魚と香草の香りが鼻をくすぎり、とたんにお腹が鳴った。石の寝床の一夜だったにも関わらず昨日の疲労は完全に抜けたようで、それだけ眠りが長く深かったということか。化物どもの巣で眠りこけていた自分が少し恥ずかしくなるが、すぐにまあいいか、と思いなおした。全員が無事でいるのだから問題はなかったということだ。それに三人、いや今は四人でいるのだから、自分一人が闇雲に気を張る必要もない。
 伯爵からは探索者たちを手伝うよう命じられ、その命令に否やもないのは当然だが、だからといって己の身を削ってまで彼らに尽くすつもりもなかった。義務を果たすことと義務に耽溺することは違う。フランはそのあたりの線引きをよく心得ているつもりだった。
「おはようございます」
 挨拶を返して起き上がり、髪を簡単に手櫛で整える。身支度をもっときちんと整えたいが、それが我侭になる時と場所だ。
 近づいていくと湯気のたつ碗を抱えたテレージャが腰を浮かし、瓦礫の上の平らな場所を譲ってくれた。昨日から一行に加わったキレハという探索者の女は、湯気のたつ鍋のむこうで昨夜と同じ不機嫌な表情を浮かべていた。だが機嫌が悪いのは表情だけで、匙を持つ手の方は素早く動き、匂い立つスープを碗によそって手渡してくれる。とろりとしたスープを一口すすり、濃厚な味に「おいしい」と思わず声をあげた。キレハはあからさまに照れた顔になって鍋のスープをかき回す速度をあげる。テレージャが面白そうに見つめているのに気づくと、少し赤くなった顔をぷいとそむけ、「そう? ありあわせだけど……口にあうならよかったわ」とつぶやいて、フランを微笑させた。いい方だと思う。
 女中部屋の慌ただしい朝とはまったく違う朝だ。道もわからぬ廃墟に閉じ込められているのに、絶望的な気持ちはこれっぽっちも湧いてこない。正直にいうと少しわくわくする。なんだか素敵な朝だと思った。だが焚き火の向こうに座った灰色の髪の魔術師と目があった瞬間、昨夜の夢を思い出し、変にどぎまぎして目を伏せた。


「そういえば夕べ、フランさんの夢を見ましたよ」
 とアベリオンが言った。
 渓流の側の瓦礫に膝をつき、朝食で汚れた皿と鍋を濯いでいたフランは、危うく全部の皿を川に放流するところだった。
 フランの側に座った魔術師の少年は、掲げた杖の先に魔法の光を灯している。フランの手元を照らす光は、同時に少年の不思議な色の目や、一種独特な静けさの漂う明晰な表情をも明るく浮かびあがらせていた。皿を水にくぐらせながら、彼の視線が水流の先にむかっているのをいいことに、いささか無遠慮に少年の横顔を見つめた。
 同じホルムの住人と言ってもこれまで口をきいたこともなく、それどころかあの怪異の夜にネルやパリスたちと城館を訪ねてくるまで名前すら知らなかったような人だ。悪い人ではないと思うが、それほどいい人とも思えない。つまり普通の人だ。町の人たちからは老魔術師の弟子として親しまれているそうだが、フランは世話になったこともない。
 なぜあんな夢を見たのだろう。
 お館様とは似ても似つかぬこの少年が、カムール様の息子で自分の恋人だなんて奇妙な、己の身分を忘れたような、大それた、馬鹿らしい、いや夢なんていつも理不尽で辻褄のあわないものだけれど、それにしたって本当に何かを思うようなはずもない相手なのにと思う。フランの娘らしい漠然とした恋への憧れはいつも彼女が尊敬するカムールやゼペックといった男たちの影を濃くうつしていて、理想の男性を問われた時、少女の脳裏に浮かぶのは鍛えた精神と肉体を持つ甲冑の武人で、もしもいつか誰かに恋焦がれるようなことがあるならば、高い志を持ち、主君に忠誠を誓い民のため身を粉にする、大義のためにすべてを投げ打つ覚悟を持った方がいい、そんな方のお側に仕え彼を支えることができるならどんなに幸福なことだろう――。
 古ぼけたローブの下に覗く少年の腕は夢とは違ってひどく貧弱だ。まとめた荷物を持ちあげるのすら苦労するような子供で、表情に乏しい顔からはこの災厄や遺跡や町への考えはうかがい知れず、もしかしたら他の魔術師たちと同じように、覚えた呪文を好きに使える腕試しのいい舞台程度にしか思っていないのかもしれない。それはそうだろう、田舎町のまじない師に大義だの民衆への責任だの大層な理想があるはずもない。
 しかしアベリオンがぼんやりと物憂げに続けた言葉は、フランをさらに動転させた。
「僕がホルムの城で領主の息子になり、あなたと一緒に暮らしている夢です……どうしました、大丈夫ですか?」
「ふええ……はいっ、はい、だ、だだだ、大丈夫です!」
 大丈夫ではない、今度は自分が転落するところだった。よりによって今日という日になんという夢を見ているのだ。水流の上に大きく傾いた上半身をなんとか引き起こすと、フランは赤くなった頬を濡れた手でぺちぺちと叩いた。
「へ、変な……とっても、へ、へ、へ、変な夢ですね!?」
 アベリオンはフランの動揺にまるで気づかない様子だった。フランが水流から一歩離れもう転落の危険がないのを見届けると、視線を杖の先の魔法の光に戻す。深い色の瞳が赤く光を反射する。少年の澄んだ声が低く囁く。
「そうですね。おかしな夢でした。僕は普段、ほとんど夢を見ないのです。でも昨日の夢の中で僕はあなたに――無理やり――唇にはまだ感触が――」
 離れたところから焚き火の始末をするテレージャとキレハの笑い声が微かにきこえてくる。彼女らの声は水の流れる音と混ざり合い、暗闇のどこかへと消えていった。頬を染めたフランは息を止め胸を押さえ、年下の少年を食い入るように見つめている。



 名前を呼んで、と彼が言っていた。夢の中で。もちろん夢の話なんて現実にはなんの関係もない。単なる探索者に対して、こんな風に懐かしい、悲しい気持ちになるのはなぜだろう。
 彼の名を呼びたいと思う。欲望にすら似た熱を胸の奥に感じる。
 だからフランは、この現実の中でフランは、夢の予熱が残る唇を動かし、今、目の前にいる彼の名前を呼ぶ。



「アベリオン様」
 そう言ったとたん、なぜか自分がひどい間違いを犯したと思った。そのように直感した。その証拠にアベリオンという名の少年はフランの方を振り向かなかった。杖を握りしめたまま立ち上がる。赤い瞳は魅入られたように魔法の灯火を見つめている。
 少年の横顔はやけに遠く、自分と彼はもう離れてしまったのだという悲しみが突如フランの胸を襲った。胸の熱は消え、代わりにひきつるような痛みを覚える。ありえない、起こるはずもない悲しみだった。それこそ夢の出来事のような、理屈も辻褄もあわないおかしな話で、みるみるうちに視界がぼやけ、目から大粒の涙が一粒転がり落ちたことに驚く。この涙と胸の痛みはどこから生まれたのだろう? 単なる町の住人で探索者の一人に過ぎぬ、親しくもない痩せっぽちのまじない師のために、どうして自分が泣く必要が?
 だが涙と一緒に夢の残滓も零れ落ちたようだった。
 慌てて目元を拭ったフランの耳に届いたアベリオンの声は、今度はまったく別の感情を呼び起こした。
「物凄い料理でした。舌までまだ痺れているようです」
「……えっ?」
 瞬きしたフランに、アベリオンが言った。
「つまり、食卓についた僕のところにフランさんがお皿を運んできて、そこには黒焦げの……いや黒っていうのかな、あれ……見たこともないような実に邪悪な色彩をした、奈落の淀みからすくってきたような刺激臭を発する何かを……あなたに無理やり食べさせられる夢を見たんです。先日頂いたケーキのせいかな。アベリオン様、どうか遠慮なさらずにと咀嚼も待たず、噛みしめた歯の隙間から喉まで届けと匙を突っこまれて」
「……」
「絶叫したところで目が覚めました」真面目な顔で沈黙した後、アベリオンがひと言を付け足す。「まったく恐ろしい夢でした」
 フランは洗い終えた皿を鍋にまとめると、胸元にそれを抱えて立ち上がった。目を伏せたままアベリオンの横を足早に通り抜ける。
 通りすがりにぼそりとつぶやいた。
「アベリオン様の、ばっ……」
「フランさん?」
 くるりと振りむいたフランの唇は、さっきとは違う種類の震えを帯びていた。耳までを赤く染め、涙の浮かんだ両目でアベリオンを上目づかいに見つめ、眉尻が高く持ち上がっている。怒っている。とてもとても怒っている。杖を握り締め、思わずぴっと気をつけ、の姿勢になったアベリオンにむかって、フランが叫んだ。
「アベリオン様の馬鹿! ひどいです! へ、へ、変な夢を見ないでくださいっ!」

 高い天井に跳ね返って響いたフランの声に、湿り気を帯びた重いテントを畳んでいたテレージャとキレハが同時に手を止めた。顔を見合わせて「なんだい今のは。まさかアベリオンくんが想像を絶するようないやらしいことを」「あのねもしそうだとしてあなたはどうして嬉しそうなのかしら」「想像を絶することが好きだからさ」「意外と馬鹿なこと言うのね」「おや率直な評価をありがとう」、のんびりとした会話を交わし、水流の下では重い体を持つ魚たちが鱗をきらめかせ声のする方へ向きを変え、廃墟の遥かな闇の底では、もう少し物騒な連中がひくりと体を動かした。
 探索者たちと怪物どもの一日が始まった。





 豊かとはいい難い乳房を握られると痺れるような快感が走る。夢中になると彼はいつも力の加減を忘れるから少し痛い。いや本当はとても痛い。でも痛みすら喜びに変わっていく。体がほどけていくような快楽の最中に、フラン、と彼が彼女の名を呼ぶ。「俺の名前を呼んで」固く体を抱きしめられ、久しぶりにそう囁かれる。
 フランは乞われるままに名前を呼ぶ。
 それだけではなく自由な両腕を伸ばして彼を抱き返し、安心なさってくださいと告げる。あたしはいつでもお側にいて、あなたの名前をお呼びします。あなたがあなたでなくなっても、あたしにはあなたが誰かわかります。あたしの目、あたしの手、あたしの心、全部があなたを覚えています。だからどうか怯えないで、たった一人の愛しい人、あたしの体を強く抱いて、あなたの助けを求める世界ではなく、今はただ、あたしだけを感じていてください。



end

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