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合戦前

戦場イベント / キャシアス フラン アルソン

 耳の底で金属が唸るような音がずっと響いている。
 木々が鬱蒼と生い茂り、枝が絡みあう森の中は夜のように暗い。真昼の暗闇の底を、遊撃軍が進んでいく。先頭を行くアルソンはずっと沈黙を保っている。甲冑の上に羽織った黒いサーコートのせいで、後ろ姿がまるで別人のように見える。
 立ち並ぶ黒い幹の間から平野を望めば、イナゴのように地平を埋めた兵士たちの兜と盾と槍が、太陽の白い光を浴びてぎらぎらと輝いている。その雲霞の彼方には馬上で指揮をとる父上がおられ、ゼペックとホルムの郷士たちがいるはずだった。自分ではなく彼らのことを考えると、恐怖と緊張に吐き気がした。父上の傷はまだ癒えていない。僕はいつもの愚かさを発揮して、父上に言うべきことのひとつすら言わないまま、この場所へ来てしまったのだ。
 気がつくとアルソンが隣に並んでいた。
「大丈夫ですよ、我が軍が圧倒的に有利なんですから」
 アルソンはきびきびとした声で言う。
 こんな暗がりで見てわかるほど緊張してるのかな俺はと思う。
 本隊はテオルが指揮を取り、そこには彼が率いる火車騎士団と無敵の鉄騎兵が控えている。西シーウァと河神教団の連合軍は、先日の戦いで鉄騎兵の凶暴かつ圧倒的な力を目の当たりにしている。剣も矢もきかぬ鉄の塊に対抗策は何もなく、突撃命令を下される兵士たちの士気はあがりようのない状況だ。河神教団にとってはまだしも、西シーウァの兵士たちにとってこの戦争は不要な国境争いにすぎず、占領下のホルムでも教団と西シーウァの兵士たちの間には目に見えて士気に差があった。メロダークがはっきりと口にしたように、西シーウァ人はこの戦争を“やりたくはない”と思っている。
 火力が圧倒的で人数が圧倒的で士気に差があり、左翼の指揮を執る父上はこの土地での戦の経験者だ。アルソンのいう通りだ。我が軍は圧倒的に有利であり、これは負けるはずがない戦いだ。
(戦場において絶対はないぞ、キャシアス)
 父上の声がきこえた気がした。口の中がからからに乾いている。舌で唇を湿らし、なんとかいつも通りの声をだした。
「初めてだから固くなってるだけだ。大丈夫だよ、男だからな」
「はは。そんな冗談が言えるならほんとに大丈夫ですよ」
 別に冗談のつもりではなかったのだが、アルソンなりの気遣いなのかもしれないと思い――少々ずれているあたりもそれらしい――僕はなんとか笑みを返す。アルソンが安心したように僕から離れてまた前を行き、残された僕は後ろを振りむく。
 僕のすぐ側を音もなくフランが歩き、彼女から数歩遅れて弓を担ぎいつもの不機嫌な表情をしたキレハ、その後ろを顔見知りのアルソンの従者やホルム領では腕ききで知られる狩人やひばり亭で見たことのある傭兵たちがついてくる。全員を知っているわけではないが、僕にとっては馴染みのある顔ぶれで、一瞬、いつものように迷宮を探索しているような気持ちがした。
 もし本当にそうならばどんなに気楽だったろう。
 灼熱の炎が乱れ飛び、列を組んで整然と突撃してくる一個小隊を相手にした小人の塔ですら、気持ちだけは今よりずっと楽だった。あそこはダリムの王国で、僕は彼を応援する外から来た友人だったからだ。くそ。突然、猛烈にダリムに会いたくなった。あの鍛えられた鉄の誠実さを持つ男は、僕になんというだろう? 『大丈夫きっと勝てますよ』か? あるいは『流された血は決して無駄にはなりません』? どちらも僕が彼にかけた言葉だ。
 僕は馬鹿野郎だった。あの時の僕は彼の気持ちを半分も理解していなかった。自分の土地で自分の愛する人々が同族と殺し合うことの意味を、彼らの先頭に立つ意味を、まるでわかっていなかった。
 歩調を緩め、フランの隣に並んだ。
 戦装束に身を包んだフランはいつもよりずっと小柄に見えるけれど、その表情は凛々しく、ひどく落ち着いていた。まるで彼女の方が高貴な騎士のようだ。フランが僕を見上げ、歩を進めながら無言で見つめあう。数瞬のあいだに、あんなにも昂ぶり、上ずっていた気持ちが鎮まる。ずっと一緒にいたのにこうして静かにお互いだけを見つめあうのは久しぶりだった。わだかまりや気後れが、フランの黒い瞳の中で溶けていくのを感じた。
 
 ようやく耳鳴りがやんだ。
 
 フランは不思議だ――僕を前後の見境なく興奮させ、全身の血を白く濁らせるくせに、こうやって冷静さを取り戻させる。力がない時には力を与え、傲慢さに溺れかければ気持ちを引き締めさせ、僕を支えてくれるくせに僕に礼を言う。
 結局、僕はこの子が好きなのだなと思う。
 強くそう思う。
 抱きしめて思い切りキスしてやりたかったが、もちろんそんなことをしている場合でも場所でもない。軍紀を乱したという理由で、振りむいたアルソンに笑顔で叩き斬られるだろう。
「どうかなさったんですか? キャシアス様」
 じっと顔を見つめる僕にフランが小声でたずねる。
「いや、もう用事はすんだ」
 僕が言うとフランは眩しそうに目を細めた。なんだか泣きそうな顔にも見えたけれどしっかりとした声で言った。
「初陣に御一緒できるなんて思ってもおりませんでした。嬉しゅうございます。……キャシアス様の背中は、必ずあたしがお守りいたします」
「そしてきみの背中は誰が守るんだ?」
「あたしは死角がなくなるように鍛錬しております」
 フランが本気で怒った声を出した。
「余計なことはお考えにならないでください――もしもあたしのせいでキャシアス様が戦いに集中できなくて……万が一そんなことがあれば……あたしは祖父にもお館様にも顔向けができません」
「わかってるよ。余計なことは考えない。前だけを向く。そして戦う」
 僕はフランにそう囁き、手を握ろうかどうしようかと一瞬迷い、あきらめ、しかしもしかしたら僕はこの場で死ぬかもしれないのだと気づいて思いなおす。切られはしなくても剣の柄では殴られるだろうなアルソンよ振り向くなと念じてから、これまでに千回も愛撫したフランの細い指に手を伸ばし、彼女に触れかけたその瞬間、西の平原から地鳴りが轟いた。
 戦いが始まった。

 end

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