ランダムダンジョン/テレージャ キャシアス ピート フラン
ピートと名乗る彼、あるいは彼らは、とんでもない場所ばかりに店を出す。
とぐろを巻き小山のように盛り上がった怪物の背後にはピートの店、広場で怨嗟の声をあげる魍魎どもの背後に揺れる明かりはピートの店、吹雪の彼方の寺院の壁には吹きっ晒しでピートの店といった具合だ。
いつだったかネルが雑貨屋の娘らしい好奇心で「ねえねえ、こんなところでお店をやって商売になるの? 生ものなんて仕入れるだけで赤字にならない?」と尋ねると、ピートはどこか得意げに答えたものだ。
「なにしろこのあたりに出店している店はうちだけですからね。地域の需要を一社で独占ですよ。まあその分、税金は多めに支払っておりますが」
「へぇー、どのくらい? ……えっ、五割!?」
「四割です。猫の親指は勘定にいれません」
このあたりでシーフォンが胸を掻きむしりながら「つ、つ、突っ込みてぇー!」と絶叫したのだけれど、まあそれはともかく。
古代都市の崩れ落ちた建物の影からは階段が地下へと伸びていて、玻璃瓶を片手にそこを下りていったキャシアスたちの前に、ごく低い天井と細い通路に繋がれた部屋が並ぶ迷宮が現れたのだった。遺跡を徘徊する亡霊どもを打ち払い、瓦礫をどかし扉を壊しながらおそらくは千年も人の踏み込んだことのない迷宮を延々と下り続けた末に、小さな明かりと人影が見えたと思ったら、またしてもピートの店だった。部屋の隅に商品を並べた棚を作り、カウンター代わりに木箱が伏せられている。そのむこうで正座した金色の猫が、弾いていたそろばんから顔をあげた。
「ツクールでエクスカリパーネタをやられたら即死亡。こんにちは、ビートではなくピートです」
キャシアスは、ほっとした顔で明かりを下ろし、剣をしまった。
「よう、ピート――出張店かい、これ?」
続けて部屋に入ってきたテレージャがきく。
「常々不思議に思っているのだが、きみたちの大喜利のお題はなんなのかね」
最後に、
「うわぁ……!」
感嘆の声が響いた。しんがりを務めていたフランが部屋の戸口に立ち、うっとり輝く目を商品の陳列棚にむけていた。
フランの視線を追ったキャシアスとテレージャは、陳列棚の最上段に、金色に輝く見慣れない商品を発見した。
最初それはひらべったい人形かクッションのように見えた。しかし違った。
サンダルだ。
金色に光り輝くふっかふかの長い毛が、靴底も含めて全面にびっしりと生えているサンダルだった。戸口から吹き込む風にあわせ、毛がふわーっ、ふわーっと揺れていた。
キャシアスが微妙な顔をした。
テレージャも微妙な顔をした。
「かわいい……ですね、すごく」
フランが熱のこもった声で言った。
キャシアスがくいと顎をあげた。目にかかった前髪をものすごくかっこよく払いのけ、腕を伸ばし、パチンと指を鳴らす。
「ヘイ、ピート。その素敵な金のサンダルを、こちらのお嬢さんに見せてやってくれないか?」
テレージャがごく低い声でこのバカップルがと呟いたようだったが、キャシアスはあえてそのつっこみを無視した。男には、周囲の意見を無視せねばならぬ時がある。フランがかすかに紅潮した頬で「あっ、そんなつもりじゃ……申し訳ありません、では見るだけ……少しだけ……」などと言っている場合は特にそうだ。
ピートが尻尾を揺らしながら踏み台に上り、金色の猫足を棚からおろす。踏み台から降りてきたときには、うやうやしい手つきで毛だらけのサンダルを捧げ持っていた。
近くで見るとより一層微妙な気持ちになるデザインだった。なぜこんなにも毛が。靴底にはやけに生々しいピンク色の、肉球を模した滑りどめがついていた。
不気味だ。
夜になれば勝手に歩き回って小さな生き物を食い殺しそうだ。
「特別商品の『猫神のタレーリア』です」
ピートは重々しい口調でそう告げると、それをカウンターの前にしゃがみこんだフランに手渡した。
――タレーリアかよ! 翼どこだよ!
思い切りつっこみかけたキャシアスは、フランの表情を見てその言葉を飲みこんだ。
フランの大きく見開いた瞳も少し開いた唇も手も、ふるふると震えていた。――どうやら猛烈に感動しているらしい。
フランはそうっとタレーリアを受け取った。
「ふあ……手触りも素敵ですね」
ピートが頷いた。
卓上のランタンの灯をうけ、残念ながら猫足のタレーリアとピートの毛並みはまったく同じ色に輝いているように見えた。
「滅多に手にはいらない本物の伝説の金色猫の毛を、大量に使用しています……おっと、失礼……」がりがりと耳の後ろをひっかいた。金色の毛が抜け、大量に宙に舞った。「……失礼しました。一年に一度、一本ずつしか抜けないという大変貴重な毛です。その毛を一本一本、丁寧に貼りつけました。すべて職人の手作業です」
漂うピートの毛を追うテレージャの目が、疑い深げな半眼になっていた。
フランはうっとりとタレーリアを撫で続けていた。本物の猫を相手にここまで幸せな表情を浮かべたことはない。このタレーリアがよほど趣味にあったのだろう。
「履いてごらんよ」
キャシアスが声をかけると、フランはえ、と動きを止めた。
「足にあうなら買えばいいよ」
「でも……先日、お守りを買って頂いたばかりです」
「いいじゃないか。タレーリアと同じで、きっとなにかまじないがかけてあるんだろう? それでフランが守られるなら嬉しいよ。フランが傷ついたら僕が困る――自分が傷つくよりもよっぽどね」
「キャシアス様……」
熱く見つめ合う二人の横で、テレージャが陳列棚に手を伸ばし、『廃都物語三巻・現代語訳』を手に取った。
長くなりそうだなと思ったのだ。
金色猫が本をめくるテレージャにむかって、「二千ゴールドです」と声をかけ、テレージャは本を取り落としかけた。
「高ッ!」
「初版帯あり染みなしヤケなしです」
「今年発行したばかりだぞ? なんだその学生街の悪徳古書店のような値段設定は――そもそも私はこれをすでに古代語で読み終えていてだな……ええい、待ちたまえ、買うかどうかは中身を確認してからだ」
テレージャは、カウンターとほら靴を脱いでごらんよあっ大丈夫です自分でできますからキャシアス様あっ駄目ですこんなところではははフランは足が小さなあきゃっきゃうふふな二人から離れると、本格的な立ち読みをはじめた。
ルインが奇怪な触手との戦いに勝利をおさめたあたりで、ようやくフランが猫神のタレーリアを履きおえた。
フランは嬉しそうに自分の足元を眺め、その場でくるりと回転した。
「わあ、軽い……! ものすごく軽いですよこれ!」
はしゃいだ声をあげる。
「とてもいいね」
広がったスカートの裾からのぞく太股の方に気をとられつつ、キャシアスが言った。正直やはり変なサンダルだなあこれはないよなあと思うのだが、視線を上にあげ、フランのはにかむような笑顔が目にはいると細部はもう心底どうでもよくなる。
「よく似合うよ。僕はフランが身につけるものなら、なんでも好きだな」
「え……あ……ありがとうございます」
「えーと、もうこのまま履いていけばいいかな……ピート、購入するよ。いくらだい?」
「八十九万ゴールドになります」
部屋に沈黙が落ちた。
笑みを消していないのは、フランかわいいなあとまだ思っていたキャシアスだけだった。ピートの話をろくに確認もしないまま、すごく明るい声ですごく適当に言った。
「よし、買おう!」
「馬ッ鹿かあぁぁぁッ!」
テレージャが怒声とともに手にした本を真っ二つに引き裂いた。ピートが言った。
「八十九万二千ゴールドになります」
うわああしまったあああと叫ぶテレージャの声を背後に聞きながら、キャシアスはゆっくり、我にかえった。
「はち……じゅ……えっ? 何? はちじゅう、きゅうまん!? えっ!? にせんっ? 待て待て待て待て待て、なんだそれちょっと待て! はちじゅうきゅーまんにせんっ! って言った!? 二千ってなんだっ! 半端なっ! だだだ大体そんな金なんに使うんだ! 猫が! 猫だろ!?」
一人で時間差パニックに陥ったキャシアスを押しのけ、テレージャが自分の財布を探りながらピートの前に出た。きっちり二千ゴールド分の銀貨を、カウンターに叩きつける。
「くそっ、私としたことが、書物に傷をつけるなんて! 喜んで買い取らせてもらうとも、すでに読破した本だがね! ……しかしピートくん、この本は作りが粗すぎるんじゃないかね?」
「ありがとうございました。商品の耐久性については必要十分なテストを行っております」
受け取った金を袋の中に片づけると、ピートはキャシアスにむきなおった。
「八十九万ゴールドになります」
もう一度言った。
キャシアスはぱくぱくと口を開閉した。
八十九万。
一個小隊を騎馬とぴかぴかの武具で構成できる。全員の兜に絹とレースの飾りをつけてやってもいい。そのあとで一人一匹ずつ、羊と山羊も支給しよう。それでも多分まだ余る。
小銭をばら撒くキャシアスの後ろについて、奇抜な格好をした珍妙な編成の一団が進軍していく光景が目に浮かぶ。だがそこで一番大切なことを思い出し、はっとして、フランの方を振りむいた。
ぽかんと口を開けたままだったフランが、キャシアスの視線に気づくと――キャシアスの予想とは裏腹に――笑顔になった。
「あー、びっくりしました。ね、キャシアス様!」
おどけた声で言った。
「そんなにお高いなんて思いませんでしたよ。あのう、ね、実は軽すぎて履き心地はあんまりよくなかったんです。試着しておいてよかったです」
明るくそう言うと、うつむいて手早くタレーリアを脱いだ。靴底の汚れを――その感触を記憶するかのように、丁寧にゆっくりと払い、最後に一瞬だけ名残惜しそうに見つめてから、ピートに差し出した。
その手をキャシアスが押さえた。
「キャシアス様?」
キャシアスはそっと首を左右にふった。
「フラン。僕はきみにはなにも我慢してほしくないんだ。特に僕と一緒にいる間はね」
「い、いえ、ほんとにあたし、別に欲しくなんか……キャシアス様! さすがに無理ですよ。このお値段はありえません」
「任せておけ」
「えっ、でも、ほんとにそれは」
フランの抗議を「まかせとけ」顔で受け流すと、キャシアスは再びしゃがみこみ、カウンターのむこうのピートと向かいあった。
最初は直球を投げた。
「まけてくれ」
ピートがフランの手から、猫足のタレーリアをもぎとった。
「分割払いにできないか?」
「できません」
「……くっ……じゃあ……まけてくれ!」
球種が大胆なまでに少なかった。
立ちあがったピートが、陳列棚をふりかえる。
「わー、わかった! 普通に買うよ! 現金払いならいいんだろ!」
「キャシアス様!」
「いや、いま手持ちの現金が二十五万ほどあるから、使っていない武器や防具を売ればなんとか……」
「絶対、駄目、です! 二十五万ゴールドって……それはキャシアス様が預かっている皆さまのお金じゃないですか!」
フランが真剣に怒った声で言ったが、キャシアスはたじろがなかった。
「んー、でも財布の金は全員で使える物を購入するって条件だけど、ラバン爺の義手なんかもここから買ってるし」
完全に『決めた』あとの気楽な口調だった。フランは慌てた。決断までは時間がかかるが、決めたあとは早い。
このままでは仲間全員の武器防具装備品一式が売り払われ、代わりにあのとってもかわいいタレーリア一足が残ることになるのは確実だった。フランは、ホルムの未来が突如、己の双肩にのしかかったのを感じた。
あたしの我儘のせいで……!
想像の中で、ちくわ一本を手にしたかなり薄着のアルソンに悲しげな顔で見つめられ、フランは身震いした。アルソンが屋敷に来たばかりのころ、あの鎧って高そうだよなー特注かなーとキャシアスが言っていたのを思い出したのだ。
「……ラバン様の義手は探索に必要なものですけれど、これはただの贅沢品です!」
「いや、そうでもないよ」
テレージャの声に、二人は振りかえった。
今や上下巻となった『廃都物語』を寂しくそろえていたテレージャが顔をあげた。
「そのタレーリアからはかなり強い魔力を感じる。――毛だのなんだのより、中身の価値でこの値段なんじゃないかね?」
「それはまあ、猫神様の祝福を受けた魔法のサンダルですから。しかし我々にとっては毛の方が大事です」
ピートが言った。
猫は靴履かないのになんでサンダルに祝福を与えるんだよとか、これだけ強い魔法を付与したのに毛の方が上だなんて私は絶対猫の神にはなるまいとか、そもそもこれは本当に適性な価格なのでしょうかとか、思い浮かんだ様々な疑問点をたしなみの気持ちからか誰も口にはしなかった。
テレージャが咳払いする。
「……まあ、額にみあうだけの代物とは思うが、どちらにしても現時点での購入は不可能だろう。余った武器や防具をすべて売却しても、八十九万ゴールドにはとても届かんよ……これは次回、だな。遺跡から出てくる古代の物品が最近では高く売れるのだろう? キャシアスくんの目的はホルムの怪異を取り除くことだろうだが、もうひとつくらい――女の子を喜ばせるような――目標があるのもいいものだよ」
いたずらっぽくいいながら、テレージャはそっとフランに目配せした。
「そうか、そうですよねえ。よっし、じゃあがんばるぞ! フラン、待ってろよ、そのうち必ずこれを買ってやるからな!」
キャシアスがぐぐっと拳を固める横で、フランはテレージャにこっそりと微笑を返した。キャシアスをうまく説得してくれたことへの感謝をこめた笑みだったが、見ようによってはキャシアスからの愛情と幸福に照れているようでもあった。テレージャはさっきよりもずっと優しい気持ちで、まったくこのバカップルが、と思った。
それでだ。
その日、テレージャは夕方近くになってからようやく起き出した。夕べはメロダークやラバンと一緒に酒を飲み、昼には目覚めていたのだが寝台からは抜け出せず、つまりひどい二日酔いだった。
水を求めてひばり亭の階段をそろそろと下りていくと、カウンターの側にフランが立っているのが見えた。水分が不足しているせいで目がしばしばする。フランの足元が金色に輝いて見える――そこで気づいた。フランは、あの猫神のタレーリアを履いている。
久しぶりに見たそれは、相変わらず悪趣味極まりないデザインだった。
――久しぶりって、えーとちょっと待てよ、あれは確かキャシアスくんたちが古代都市から帰ったばかりの頃だったから……「二週間か!」思わず声をあげると、後頭部に自分の声が勢いよく突き刺さった。頭を抱えて階段の手すりによりかかり、その動きに二度酔いしそうになる。頭痛と嘔吐が手を取りあって、テレージャの周囲で踊りくるっている。飲みすぎはいかん。次こそ、次こそは気をつけよう。
なんとか階下までたどりつき、カウンターにもたれかかった。フランがふわりと笑みをむけた。
「テレージャさん、こんにちは。お加減随分悪そうですね」
「いいも悪いも……オハラさん、ワイン……いや、違う、水を」
オハラがやってきて雑巾でさっとカウンターを拭い、冷えた水を置いていった。頭を動かさないよう注意しもって水を飲み終え、ゆっくりとフランの方にむきなおった。テレージャの視線が足元にむくと、フランは軽く微笑して、スカートの裾をつまみあげ、猫神のタレーリアがよく見えるように片足の踵を持ち上げてみせた。私相手にそんなにかわいくてどうするんだねと思いつつ、グラスを掲げた――キャシアスの勝利に敬意を示した。中身は水だったが。
「短いあいだにずいぶん頑張ったんだね、キャシアスくんは」
フランの誇らしげな笑顔を見れば、キャシアスが正当な手段で――発掘品をコツコツ売り払って――猫足のタレーリアを手にいれたのがわかる。テレージャには、彼がこんな短期間にどんな魔法でそんな大金を稼ぎだしたのか、想像もつかなかったが。
「ええ、とても。でも、いまは私が身につけさせていただいておりますが、これは皆さんとの共有品ですから、テレージャさんも……」
「いやいやいやいやいや私は遠慮しておく、いいからフランくんが使いたまえ」
もしも自分が履いた場合を想像すると、周囲の視線との折り合いがつけられそうにない――いま現在、フランはひばり亭の客たちの視線をまったく気にしていないようだったが、テレージャにはその度胸はなかった。
「本当にとっても歩きやすいんですが……さっきネルさんにも断られたんですよ。なぜでしょう」
「……人生は様々な謎に満ちているものだからねえ」
曖昧な返事をかえしたところで、ひばり亭の入り口が騒がしくなった。
キャシアスを先頭に二十人ほどの探索者の一団がどやどやと入ってくる。彼らはそれぞれに膨れ上がった麻袋やら、紐を使って体に背負った彫像やら、古代の兜やらを抱えていた。
「オハラさんどーもっ、今日もお綺麗ですねえ! 全員にエールを!」
景気よく宣言したキャシアスに、背後の探索者たちがわっと声をあげた。
カウンターに殺到した人々の波に押され、テレージャはグラスを手に壁際に逃れた。そこには素早く移動していたフランがいて、ということは当然キャシアスもやってくる。
「えらく人数が多いね。どうしたんだい」
石柱の魔法を使った移動は、一度に三人が限度なはずだ。キャシアスが頬を擦ると、土埃にまみれた顔のその部分だけが白くなった。
「えーとですね、発掘品をリレー方式で運んでもらったんですよ」
「ほう?」
「いや、このあいだから能率的に発掘品を運ぶ方法を考えていたんですけれど、今日はそれを実験的にやってみた感じですね」
「……私利私欲まみれの彼らが、よくそんなことを手伝ったね」
「あはは。まあねえ、発掘品は目減りしてるでしょうけれど、四割を分配できれば成功ですよ。それで身入りがいいとわかれば、今後につながるかもしれませんし――遺跡の入り口から森までのリレーなら、女性や子供も参加できますからねえ」
テレージャは笑顔でエールのグラスをぶつけあう探索者たちに目をやった。そこにいるのはひばり亭に集う探索者たちの中でも“しょぼい”面子ばかりだった。はっきりいえば特に技能のない、難民出身者が大半を締めている。
これがキャシアスが探索者として発想し、カムール卿の嫡子として試している雇用対策らしいと気づき、テレージャは反射的に眉をひそめた。古代史の研究者として、貴重な遺跡を素人たちがこの規模で組織的に荒らしまわることへの嫌悪感が、キャシアスへの好意を軽く上回ったのだった。
――だがまあ、考えてみれば我々も、キャシアスくんを中心に組織化された探索者だな。現に財布は彼が預かっているわけだし。
目下のところは組織の後ろ盾もなくこの地にいるテレージャは、なるべく早期に専門家を含む公的な調査隊が結成されることを願うばかりだ。
「どうなさったんですか、テレージャさん」
フランの声にテレージャは顔をあげた。
「ああ……いや、なんでもない。キャシアスくん、お手柔らかに頼むよ。大廃墟は学術的に大変貴重な遺跡なのだからね」
「むむむ、わかってますよ」まったく『わかってない』声でキャシアスが言った。「まああれだけ広いところですし、そんな心配をなさらなくても、テレージャさんが調査する分は十分に残っていますよ」
「……しかしよくこんな短期間のうちに、六十万ゴールド以上を貯めたものだね」
テレージャは意図的に話題を変えた。
キャシアスの頬がゆるむ。誇らしげに胸を張った。
「もう、朝から晩まで潜り続けましたからねえ。しかし魔道書があんなに高く売れるとは思ってもいませんでしたよ。すごいんですねえ、『死者の書』って」
テレージャは右を見て、左を見た。
シーフォンの姿はなかった――ありがたいことに。
「……きみは時々、しみじみとひどいことをするな」
「え、なんです?」
「気をつけたまえ。彼は無意識のうちに破壊的選択を選び、女を泣かせるタイプだ」
テレージャが真面目な顔で言い、フランが目を白黒させる。
「……ふあ……」
「変なこと言わないでくださいっ! しませんよ、絶対、そんなこと!」
キャシアスの名前で乾杯の合唱が響く中、フランの肩を引き寄せ、慌ててキャシアスが抗議した。
キャシアスを見上げてフランがぽうっと赤くなっているのを横目に、テレージャはグラスの水を飲みほした。さっきまでは無味だったのに、妙に甘い味がした。
end