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お願い

エルフの塔 / キャシアス ネル シーフォン


 人間は二つに分類することができる。
 ひとつ、眠るべき時に眠る者。
 ひとつ、起きてはならぬ時に起きる者。
 後者を指して大馬鹿者と呼ぶ。
 
 自分が大馬鹿者だということを、僕はその夜、初めて知った。
 僕とネルとシーフォンはその日、大樹の上に建てられたエルフの町に到着し、そこで一夜の宿を借りることにしたのだった。
 大樹の頂上にはまっ白い館が輝いているのがすでに見えていた。そこに住むというエルフの王に一刻も早く会いたいと考えたのは僕だし、町まで引き返すのは面倒だから、ここで宿をとることを強く主張したのも僕だし、考えてみたらこれは自業自得って話なのかねっていやいやそんなはずはない。大体僕だって馬鹿ではないので、僕らの間に流れる不穏な空気にはすでに気づいていたのだ。なにしろシーフォンは怪鳥相手にご機嫌に雷の術を使いまくった後は疲れきって不機嫌な顔で目に映るものすべてに対し呪詛の言葉を吐き続けていたし、ネルは明るく楽しくきゃあきゃあと騒ぎまくっていたし、まあなんだ、うん、これすっごくいつも通りだね。すみませんいまの嘘。不穏な空気なんてまったく存在しなかったし、もしもそんなものがあったとしても、僕はこれっぽっちも気づいてませんでした。
 エルフの町での粘り強い交渉の結果、さほど人間嫌いではないおじいさんが泊まってもいいよとひと部屋貸してくれることになって――だって千年もこの郷には人が来なかったというんだから、考えたら宿屋なんてあるわけないんだよね――明らかに物置なとても狭い部屋の床に三人並んで毛布にくるまって眠ることになったわけだ。
 僕の右隣に座ったネルはわーいなんだか子供の時のキャンプみたいだねえと喜んで(うんそうだねでもそのがばっと上着を捲くりあげて頭から脱ぐ癖はいい加減なおした方がいい、僕もこんな年齢だからきみの立派な胸の揺れを凝視してしまう。素晴らしいの一言だけどちょっとは気にしろ)、左隣に寝ころんだシーフォンはこんな狭いとこで臭いてめーらと一緒に寝れるかよ馬鹿じゃねえのおお?と甲高い声で愚痴り(ああそうだねでもこんなのしょっちゅうあるんだから毎回文句言うなよ面倒臭い、あとそのやたら装飾のついた杖を頭上に置くのはやめろ刺さるから)、そんな二人に挟まれて、僕は両目を閉じ、眠りに落ちた。
 で、どのくらいの時間がたったのか、突然目が覚めた。
 
 高い位置に一つだけ空いた明かりとりの窓からは、弱々しい星の光が差し込んでいる。窓からは枝が入り込み、天井すれすれに枝葉を広げていた。なぜ家の中に木が生えてるんだろうと不思議だった。すぐにここがホルムの屋敷ではなく、エルフの町だと思いだす。僕の隣ではシーフォンが安らかな寝息を立てていた。
 静かな夜だった。
 なぜ自分がいきなり目覚めたのかわからなかったが、一拍おいて、ネルのせいだと気づいた。ネルが僕の右隣で上半身を起こしている。すぐ側で、ごそごそ足を曲げたり目をこすったりしている気配があった。ネルが動くたびに彼女の毛布が僕の毛布を揺らす。なーんだ、トイレか。僕はネルには声をかけず、また目を閉じた。明日も早い。安らかな眠りに落ちかけた時、ネルが手を伸ばす気配があった。ネルは上半身を乗り出し、僕を通り越してシーフォンの肩を軽く叩き、揺さぶった。ってええー?
 ほどなくシーフォンが目を覚まし、不機嫌そうな声で小さく「なんだよ?」と唸りながら上半身を起こした。多分このタイミングで僕も「どうしたんだ?」とか言いつつしれっと今目覚めたみたいな演技をしたらベストだったんだろうけど、なぜか僕は寝ている振りを続けてしまったのだ。寝息みたいなものまで立てて。ネルがシーフォンだけを起こそうとしていたのは明らかだったので、まあなんだ、僕なりに気を遣ったんだと思う。それにあのシーフォンが、小声で答えたことに対するちょっとした感動もあったのだ。彼はどうやら眠っている僕にうっかり気を遣ってしまったらしくて、そうなると僕だってそれなりの気遣いをお返しせねばなるまい。優しさと優しさの輪舞曲。気を遣ったり遣われたり。リスさん小鳥さんこんにちは、世界がこうやって平和になっていきますように。
 そういうわけでネルが「しーぽん」と小さな声で言ったのを、僕は目をつぶり仰向けに横たわり軽く開いた口からわざとらしい呼吸音を漏らして、眠っていますよー熟睡ですよーという演技をしながらきいていた。
「どうした? なんかあったかよ?」
 シーフォンが囁き返す。
「んー、ごめん、なんにもないんだけど、あのね、キスしてほしくて」と、ネルがものすごく普通な調子で言った。
 人間には絶対に目を覚ましてはいけない瞬間というのが確実に存在する。
 それが今だ。

 僕の左横から、声のような音のような破裂音のような爆発音のようなものがきこえた。生まれてから一度も耳にしたことがない種類の音で、そこにシーフォンがいるという前知識がなかった場合、僕はオウサマガエルがお腹を膨らませすぎてぱーんと弾け飛んだんだなあと思ったに違いない。
 だがそこにいるのは牧歌的なオウサマガエルなどではなく、シーフォンだ。
 強烈にプライドが高く、その天才的な才能でもって強力な魔法を操り、『やらかすまえに考える』ことが人生からすっぽり抜け落ちた少年だ。
 そんな素振り今までこれっぽっちも見せなかったじゃないかっていうかきみ趣味悪いな! シーフォンはないだろそれならパリス兄貴かせめて僕だろ! ありえんだろまず! というネルへの驚愕から一瞬で立ち直ると、僕の脇と背中にはどっと嫌な汗が流れはじめた。
 もしも目覚めていると知られたら――この「ぶあっほおヴ」というなんとも言い難い狼狽しきった破裂音をきかれたと知れば――シーフォンの性格的に、ためらいなく僕は殺されるだろうと直感したのだった。
 今この瞬間に眠りに落ちて、このやりとりはきかなかったことにしたかった。朝までぐっすり眠り、昨日は夢を見たような気がするけどなんか思い出せないなあなどとのんきな感じに目覚めたかった。が、アークフィア女神よどうかお助けください、僕に「殺さないでくれ」なんて台詞を吐かせないでくださいという必死の祈りにかかわらず、僕の意識は冴えわたっていた。
 断言しよう。僕の人生でこの瞬間ほど目がさめていたことはなかった。

「何言い出してんのおまえキモっ! マジでキモっ!」
 ようやく気をとりなおしたらしいシーフォンのまともな第一声はそれだった。完全に声が裏返っている。まあシーフォンらしい反応だなあと僕は目を固く閉じ両手を動かさないようしっかり脇に挟んだ状態で思う。少年らしい反応だ、と言い換えてもよかろう。男女関係における無駄な一手ともいう。この申し出に動揺しきったシーフォンは多分激しく罵ることでネルを恥じさせ発言を撤回させ、『なかったこと』にしたいのだろう。
 男の友人相手ならそれでもいい。罵詈雑言による挑発はある程度有効な手だと思う。ネルは明るくて前向きでさばさばしたいい子で、友情に篤い。普段は過剰に性別を意識させることもないし、僕もパリス兄貴も彼女を女の子扱いすることはない。しかし彼女は大雑把なようで繊細で、いい加減なようで心の機微を汲んでそのうえこっちの予想の斜め上を行ってつかみどころがなくって、つまり骨の髄まで女の子なのだ。
 だからネルは今も、シーフォンの声の底にある一抹の期待みたいなものをしっかり読み取る。ネルは、すごく不思議そうな小さな声で言い返した。
「しーぽん、怖い?」
 シーフォン絶句。
 わーい。
「こここここ」
 と、シーフォンが言った。
「怖いぃ? なんでそんな! 怖いわけねぇだろー! ばばばばっかじゃないの? そうだ馬鹿だ、僕はおまえがあんまりにもキモいこと言いだしたからキモいって言ってんだよ馬鹿! ばあーか! 怖いわけねぇだろー! 全然怖くなんかないっつーの!」
 僕は震える手に力をこめ自分の脇をつかむ。
 頬の内側を、力強く、ぐーっと噛みしめた――笑いをこらえるのに必死だったのだ。
 ああ、アークフィア様、本当の本当にお助けください。
 万が一今笑ったら、僕は「頼むからもう殺してくれ」と絶叫するような目にあわされるでしょう。どうかお慈悲で僕に笑いをこらえさせるか、この魔術書馬鹿の動揺を少しだけ治めさせてやってください!
「キキキキキキキキキスとかなに言ってんのですかぁー?」
 僕はこれまでの人生で強烈に悲しかった出来事を次々と必死で思い返していた……フランに「これ以上は駄目です!」とマジビンタをくらった時のこととか母上が最期に父上を呼ばれた声とか仔馬が足を折って死んだ時のこととか……キスのことは駄目だ、それは考えるな、彼の術はすべてを打ち倒す……ていうかネルよ、ネル、きみはなぜ僕が二人の間にいてしかも逃げ場のないこんな状況でそういうことを言い出すんだ。二人だけのときにやれよそういうのは!
「……だ、大体なんでこんな時に言うんだよ、ふ、ふ、二人っきりのときに言うもんだろ普通はっ? そう! そういうところも馬鹿じゃねーのって思って動揺してるんだからな! キスとかのせいじゃないぞ!」
 ようやくいくらかの冷静さを取り戻したらしいシーフォンの突っ込みは、僕の心の叫びとぴったり重なった。
「だってしーぽん、私と二人っきりにならないじゃない」
 ネルがむっとした声で答える。
「んなことねーよ、なるよ……ち、違っ、ならないよ! じゃなくてならねーよっていうか、なるっ、違っ」
「キャシアスが誘ったらすぐに嬉しそうについてく癖にさあ」
 ……変な言い方は勘弁してください。
「それに今がいいの。今キスしてもらわないと駄目なの」
 ネルは本気で拗ねた子供みたいな声で言った。
 ようやく僕の中から笑いの波が引いていった。
 珍しい。本当にすごく珍しい。
 ネルは基本的にお姉さん気質というか『我慢する』子なのだ。フランとは別の意味で『我慢する』。だから僕はネルのこんな声、随分長いこときいていなかった。彼女がこんな風に拗ねるんだということをようやく思い出したくらいだ。
 でもネルとつきあいの短いシーフォンはそんなのわからないから、ぐるぐると怯えた獣のような唸り声をあげるだけだ。
 それまで僕はネルが単純な好意からシーフォンにキスをせまってるんだろうなあ本当にしょうがねぇなー場所選べよと思っていたのだけれど、なんとなく、これはちょっと違うんじゃないかなと思った。いや、好意があるのは確かなんだろうけれど。
 シーフォンのぐるぐるがとまった。
 ネルは沈黙している。
 僕は、今度は別の意味でむずむずしはじめた。
 パリス兄貴や僕には駄々なんかこねないネルが、シーフォン相手に我儘を言っている。言いたくて言っている。
 ネルは骨の髄まで女の子なのだ。
 しかしシーフォンには賭けてもいい、こういった繊細なものは理解できないに違いない。
 唐突に、ネルが便所に行かねぇかなと思った。十五秒でいいからシーフォンと二人きりになりたかった。そしたら僕はむくりと起き上がり、ネルはおまえみたいな奴にはもったいないようないい子なんだからすぐにキスしてやれただしそれ以上は駄目だと忠告してやるのに――たとえその後シーフォンにぶっ飛ばされるとしてもだ。
 
 でもネルは当然席を外したりしなかった。黙ってシーフォンの回答を待ち続けている。沈黙が流れて流れて部屋中にじりじりするような空気がぱんぱんになった最後に、とうとう、シーフォンが言った。
「……僕、もう寝るからな」
 不機嫌と冷静さを装ったつまらない声だった。シーフォンは毛布を頭からかぶり、壁の方をむいて横たわった。
 沈黙が落ちた。
 真っ暗闇の中、ネルがみじろぎもせずに座ってる。
 シーフォンは息すら殺している。
 僕は安らかな寝息ぽいものをたてて寝たフリをしている。
 胸が痛くなるような沈黙だった。
 僕は突然キスを言いだしたネルの気持ちとかシーフォンの馬鹿さ加減とかしかし十分に理解できる彼の動揺やプライドとか、過ぎ去ったものは二度と戻ってこない青春の日々とかそういったことに思いをはせた。子供時代、ホルムの森でラバン爺に連れられてパリス兄貴とネルの三人で冒険ごっこをした時のことが思い浮かんだ。僕が落馬して足を折ったとき、ネルが手作りのパンを持ってお見舞いに来てくれたこととか。もしかしてこの場にいないパリス兄貴やネルの親父さんにかわって、僕がこのアホを殴るべきなのだろうか? しかし手を出したから殴るというのはよくきくが、手を出さなかったから殴るというのは、完全にどこか間違っているような気がするし、ネルも迫り方を間違えているというか、ああそうかつまりこれはあれか、僕が便所に行くべきなのか?
 ていうかアレだ、便所に行くついでにネルにもう寝ろ! と言い、シーフォンには起きろ! といって一発殴ればいいんだなその通りだそれでいこう。
 多分僕も動揺しきっていたせいで、そんな結論にたどりついたのだと思う。
 僕が起き上がろうとした瞬間に、シーフォンががばっと跳ね起きた。
「ほっぺたでいーのかよ?」
 と、言った。
 これもまた珍しい、きいたこともないような声だった。というよりシーフォンはこんな――普通の声で――しゃべるのかよと、僕は驚いたのだった。
 僕の横でネルがわずかに肩から力を抜く。彼女が笑った気配があった。
「ううん口がいい」
「調子のんなよ!」
 シーフォンが凄んで、ごそごそと尻を動かした。
 するとさっきまでキスしろキスキス! と必死だった僕の胸に、突然、あっれーマジですんのぉ? という気持ちがわきあがってくる。だって位置的にどう考えてもそれって俺の上でやる気だよなおまえらそれはどうなんだ舐めてんのかこら。ていうかそれ以前にちょっと難しくないですかこの暗さとこの距離でお互いの肩も抱かずにその勢いでスムーズにキスってできるものですかお二人さんと僕が思っているあいだに、がつっという音が僕の頭上で響いて、二人が同時に「あう」と言った。
 ですよねー。

 エルフの大樹には森と同じように白い霧がまとわりついている。足を滑らせたら地上にまっさかさまというのは想像しただけでおっかないが、これだけ枝と幹が複雑に絡み合っていればまあどこかでは引っかかってとまるだろう。早朝に町を出発して、僕の目測では昼前には頂上のエルフの王の館へとたどりつけているはずだったのだが、実際には昼になっても僕らはまだ大樹の枝の上を歩いている。
 中央の幹をたどって上へ登り続けることができれば楽なのだけれど、隆起した瘤や折れ曲がり複雑に重なりあう太い太い枝のせいでそうもいかず、結局僕らは入り組んだ迷路のようなこの樹をロープを手に右往左往することになる。
 結び目を作って簡易縄梯子に仕立てたロープを頭上の枝に投げつけて鉤づめをひっかけ、腕の力を頼りに上までよじ登る。最初に僕が上がって、ロープをきちんと結びなおして固定した。僕が合図すると、次にネルが――僕ほどの苦労もなく――するするとよじ登ってくる。最後にシーフォンがもたもたとよじ登ってくるのを、僕とネルは見守った。シーフォンが朝からやけに無口で、文句も悪口も一切きこえないから、今日の旅は実に快適だ。
「大丈夫ー引っ張ったげようかー?」などと声をかけるネルの唇の端が少し切れて赤くなっていた。僕の視線に気づいて顔をあげ、「ん?」といいながら自分の顎を手の甲で拭った。
「あー、いやいや、唇が切れてるなっと思って」
「あっ、そっか。大丈夫だよ、痛くないし」
 唇をおさえたネルの目の端がほんのりと赤らみ、視線が僕から逃げた。ってうわ女の子っぽ!
 その反応では、僕も照れる。
 からかったり冗談ごとに紛らわすには、まだちょっと早いのだろう。僕だってネルがしゃべりたくないことを言及するほど野暮じゃない。つもりだ。だがしかし、今後のことを考えた場合、みっちり釘を刺しておかねばならないことが一つだけあった。
 なので僕は軽く咳払いして、「……僕、最近結構目がさめやすいんだぜ」とだけ言った。
 ……しまった、結構恥ずかしいなこれ。
 しゃがんでうつむいていたネルが、勢いよく僕を振りあおいだ。目が丸くなっている。笑ってごまかすかしれっと流すかと予想したのだが、彼女はまったく違う反応を示した。僕をじっと見つめたまま、ごく真面目な声で言った。

「キャシアス、私たち、ちゃんと生きて帰れるのかな?」
 胸にぐっとくる表情と声だった。

 だから僕はネルの顔を見つめなおす。大切な幼馴染みにむかって宣言する。
「僕たちは必ず生きて帰る――絶対にだ。全員が必ず生きて帰る」
 はっきりとそう断言する。
 ネルは小さく頷いた。
 ようやく僕らの立つ枝に到着したシーフォンの手をつかんで、ネルがその体をひっぱりあげてやる。僕はわざと手伝わずにその様子を眺めていた。エルフの王の館はもうすぐそこだ。


end

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