TOP>TEXT>騎士の嫡子>四月の帰還

四月の帰還

竜の塔以前 / テレージャ キレハ キャシアス


 色素が薄い。
 太陽の下で溶けてしまいそうな肌の色だった。
 赤い眼球だけがぽとりと地面に落下する情景を想像し、軽く身震いする。
 実際にはそんなことがあるわけもなく、私の妄想が走りすぎているだけだ。
 淡い金髪と抜けるような白い肌と赤い瞳、王侯貴族が喜ぶような豪奢な色彩の組み合わせにまず注意がむきそればかりが印象に残るのだけれど、よくよく見ればそれなりに整った顔立ちをしていて――つまり肌や目が気にならないほどの美貌でもないということだが――身にまとう派手なマントや兎の毛で縁取られた真新しい長靴は、彼が所属する階級を誇らしげに示している。すでに成人しているようにも見えるが、時折浮かぶ邪気のない笑みには、青年というよりは少年の印象が強くなる。
 はかなげで、繊細で、美しい。うん、大変よろしい。
 陽光にも溶けていきそうな繊細そうな少年が、春の日差しの下、これもまたお人形さんのように愛らしい黒髪の少女と談笑している。少女の方は一部の隙もない女中服姿だ。
 目を引く光景であると同時に、好奇心をむやみに刺激される組み合わせでもある。

 ホルムは絵に描いたようなのどかな田舎町だ。
 川沿いに建つ古風な建築様式の神殿と、険しい岩山の中腹にそびえる領主の館(砦としてはほぼ完璧だ。籠城されればさぞ面倒なことだろう)を除けば何の見どころもなく、アークフィア大河沿いに点在するよくある港町の一つに過ぎない。
 しかしついひと月前、地下に広がる遺跡が発見されたことで、ホルムは考古学者と歴史学者たちの新たな聖地と化した。
 西シーウァの学会ではホルムの名が人の口にのぼらぬ日はなく、その噂が尼僧院に幽閉された私の耳に届くまで、時間はかからなかった。
 ホルムの大遺跡へ現地調査に赴くことはは、キューグの巫女として当然かつ純粋な欲求であったが、同時に尼僧院を脱出するための素晴らしい口実でもあった。
 尼僧院にぶち込まれる私に、父上は『口を閉ざせ、従順でいろ、意見など捨てろ』と命じたが、そんなものすべてくそくらえだ。
 大量の請願と根回しと論理性の欠片もない口論が繰り返され――現地調査をないがしろにする、腰の重い愚か者どもの呆れた考えよ! 新たな古代遺跡に対し、『危険かつ冒涜的な場所』とは恐れいる!――ようやく私は解放と自由を勝ち取ったのだった。
 ホルムの船着き場に降り立った私の胸は、まだ見ぬ遺跡への期待と、ようやく手にいれた自由への感動に打ち震えていた――といえば格好がつくのだが、実際には胸のむかつきと頭痛を抱え己がふりまく酒の匂いに辟易しつつ船からよろけ出たのだから、まったくどうしようもない。
 仕方なかろう、尼僧院では果実酒しか飲めなかったのだから。シャバに出れば多少はたがも外れるというものだし、船にエール酒の大樽が積んであったとなればなおさらだ。
 しかしまあ、始まりはいつだってなんだってこんなものだ。だらしなく、ありきたりで、格好が悪く、思い返せば恥ずかしくなる。
 肝心なのは終わり方ではないかね?

 港で教えられたひばり亭という店は、建て物自体は古いが、清潔で手入れの行き届いた気持ちのいい宿屋だった。一階部分は酒場になっており、テーブルについた客は皆黒く汚れた革や鎖の鎧で身をかため、腰には剣だの大鎚だの物騒な獲物をぶら下げてる。
 ここ数カ月、キスだけで失神するような清楚可憐な尼僧たちばかりに囲まれていた私は、この胡散臭い連中の群れに一瞬たじろぎ、だがすぐに苦笑した。彼らは遺跡の探索者たちであり、つまり私もいまや彼らのご同類なのだ。
 父上がご覧になれば泣いて喜ぶことだろう。その後髭を震わせ、心臓の発作を起こすに違いない(天秤を持つキューグよ、あのご老体の心には平安、体には長寿を!)。
 カウンターに腰をすえ荷物を足下に置き、外套を脱いで、さてと周囲を見回した。
 テーブルの間を忙しく歩き回っている女主人が注文を取りにくるのを待ちながら、なんとはなしに開いた扉から外を眺めた。そして私は古びた家の並ぶ街角に、その光景を――彼らを――見つけたのだった。

 白い少年と黒い少女は立ち話を続けている。
 風の向きがよいのだろう。柔らかな二人の笑い声は、通りを渡り、店内にいる私の耳にまではっきりと届いてくる。実に仲がよさそうで、あれだけ身分差が歴然とした格好でなければ、恋人同士だと誰もが思うに違いない。しかし常識的に考えてその可能性は極めて低く、だからこそ好奇心と物語欲がおおいに刺激されるのだ。
 ――使用人を引き連れて遺跡見物にやって来た自由都市の大金持ちのお坊ちゃまとその使用人か、あるいはナザリから訪れた腕自慢の騎士見習いと、彼が思いを寄せる貴婦人の小間使いか――はたまた物好きな大富豪に飼われている少年と、外見とは裏腹に冷酷な見張り役か。
 酒場の開け放された扉のむこう、明るい街角で談笑をかわす彼らを己の勝手な妄想に遊ばせながら、私はカウンターに戻ってきた女主人にワインを注文する。
「氷をたっぷりいれてくれたまえ。二日酔いがひどくてね」
「あらま。果物で割りましょうか?」
「いや、結構。これまでの経験上、ひどい酔いを撃退するにはがつんとパンチのきいたワインが一番だ」
 女主人が私の側を離れた。
「馬鹿じゃないの」という呟きがきこえた。
 …………。
 うん?
 首を回し、薄暗い店内に目をやった。
 カウンターの奥で、長い灰色の髪の女が、一人で杯を傾けていた。
 厚い毛皮のマント、埃にまみれた上着、使いこまれた短弓を背負っている。鋭い目はこちらに向いているが、焦点は私ではなく店の外を――つまり白い少年と女中の姿に結ばれていた。
「失礼?」
 声をかけると、彼女が私を見た。ぐいと顎をあげ、少々挑戦的な口調で「馬鹿じゃないの?」と繰り返した。西シーウァではきいたことがない微かな訛りがあった。
 女主人がワインを運んできて、私は銅貨と引き換えに杯を受け取る。長い髪の女と目をあわせたまま、杯を持った指で白い少年たちを指差してみた。
 女が首を横に振った。
 私の胸を指さす。
 女は頷いた。ということはつまり、馬鹿じゃないの、とは私のことらしい。
 ふーむ。
 ワインを一口すすり、なめらかな舌触りと喉ごしを味わってから、女に言った。
「アルコールの成分はアルコールでないと薄まらないという学派があってね。私はその学説の熱心な信奉者なのだよ」
「そんな学説投げ捨てて、水をお飲みなさいよ。頭痛がひどくなるわよ」
「あなたの親切に乾杯しよう――遺跡の探索者とお見受けしたが?」
「そういうことになるんでしょうね。そんなつもりで来たわけでもないのだけれど」
 彼女は指先でこつこつとカウンターを叩く。まっすぐな視線が私の大きく開いた胸元とむきだしの肩をなで、再び店の外へ、麗しい少年たちの元へと跳んだ。
「色んな人がいるのね、この町は」
 そういった彼女の服はぴったりと喉元までを覆い、むきだしになった顔と手はよく日に焼けている。私は微笑した――不器用なくらいの率直さで、大変好ましく感じられたのだ。『口を閉ざせ、従順でいろ、意見など捨てろ』とは縁遠い。
「ひとつ言わせてもらうがね、私の生まれた土地では……私の教団ではこれは普通の格好だよ。着込みすぎて暑いくらいだ」
「あら、そうなの?」
「しかしあのような少年は、私も故郷で見たことがない。ネスでも珍しい肌と目だね。北部の出身かな」
 分厚いパンの間にカリカリに焼けた鶏肉をはさんだサンドウィッチを運んできた女主人が、それをどんと『馬鹿じゃないの』の前に置いた。
「お嬢さんたち、この町に滞在するならあの方のことは覚えておいてもらいたいわね」おどけた調子でいう。「キャシアス様は、ここの領主のご子息様なんですから」
 これには素直に驚いた。
 ホルムは遺跡が発見されるまでは、私のように古代文化に興味を持つ研究者でもなければ、名を知る人も少ないような田舎町だった。その私とて、この町の現在の住人については、せいぜいが毛皮を脱いだ熊程度の無粋な田舎者としか想像していなかったのだ。
 街角に立つ少年に再び目をやる。
 繊細きわまりない容姿で、目線の動きも時折髪をかきあげる仕草も、実に神経質に見える。
「……そういえばホルム伯グリムワルドは、妖精郷の血を引くという伝承があったね」
 ここに来る船内で読んだホルム地方の伝承を思いだし、私は言った。あの純白の少年は時折生まれる先祖返りの一人かもしれないと思ったのだ。女主人はにっこり笑って――もしかしたら領主様のご子息を悪くいうよそ者どもへの剣呑な感情があったのかもしれないが、笑顔の表面にはそういった物は一切、現れていなかった――「妖精の加護があるなんて言われちゃいるけどね。これもすぐにわかると思うけど、まあそんな上品な代物でもないわよ」
「それは一体――」
 どういう意味かと問いかけた瞬間に、私の視界の端で少年が崩れ落ちた。
 はっとして見れば、少年は路面に膝をつき腹を抱えている。さっきまで談笑していた女中姿の少女は、顔を真っ赤にして走り去っていくところだった。
 なんだこりゃ。
 私は『馬鹿じゃないの』に視線を送る。彼女は軽く眉をひそめ、「殴ったわよ、女の子が」といった。
 ……状況が理解できん。
 やがて少年が立ちあがった。
「よーっフラン、そう怒らなくてもよーっ! 悪かったから! もう猫耳はいいからっ!」
 ……。
 妖精のようにかろやかな……はかなげで神経質そうな……美しい……そういう妄想が崩れ落ちるのを感じた。猫耳て。
「ば、か、じゃ、ないの?」
『馬鹿じゃないの』が、実にお見事な感想を述べた。食べさしのサンドウィッチを手にし、背中の弓を背負いなおす。
「町中でなにやってるのよ? とんだ馬鹿息子じゃない――ご馳走様」
 通り過ぎて行こうとする彼女に、「遺跡へ?」ときいた。
「ええ。少し様子を見てくるつもり」
「一人で?」
「そうよ。……何か言いたそうな顔ね」
「そうだね、もう少し待ちたまえ。このワインを飲み終えれば一緒に行ける。遺跡の底からは、昼でも怪物どもが湧いて出てくるという話だ」
 彼女は私がカウンターに立て掛けた錫杖をちらりと見、おそらくは私が信頼できる人間かどうかを考え、最後に私がワインを飲み干す様子にため息をついた。
「……結構よ。酔っぱらいを連れていって怪我でもされたら面倒だわ。それにあなた、さっき到着したばかりでしょ? 荷物を置いて体を休めてからでも遅くはないと思うわよ」
 私は軽く肩をすくめる。二日酔いではあるものの、新たな酔いに頭痛は引き始めていたし、そもそも古代の神秘を目の当たりにすれば酔いなどいつでも吹っ飛ぶのだと言いたかったが、初めての町で初めて会話を交わした彼女の気遣いが嬉しくもあったのだ。……まあ遺跡にはすでに探索者が山ほど突入しているだろうし、本当に様子を見るだけならば、それほどの問題はなかろう。彼女もまた、腕に自信のある探索者の一人なのだ。
 空になった杯を置き、私は右手を差し伸べた。
「ではきみに同伴するのは次回の楽しみとさせて頂こう。エムノス――いや――テレージャだ。ただのテレージャ。古文書と古代の品の類を見つけたら、是非声をかけてくれたまえ。それときみが怪我をした場合にも」
 一瞬ためらうような表情を見せるが、彼女は私の手をにぎる。
「キレハよ。よろしくね」
 きびきびとした口調とは裏腹に、控えめな握手をかえし、キレハは手を離した。
 外へ行く彼女とすれ違いに、白い影がひばり亭の中へ入ってきた。さきほどまで私の目を楽しませていたあの少年だった――だがしかし――私は一瞬目を細める。

 ……タイタス帝はいつか必ずよみがえりたもう……

 禁書庫で目にした一文をふと思い出したのは、一体どういう気まぐれだったのか。
 なぜか彼が、彼ではなく彼女であるように思えた。
 ひばり亭の扉を押しあけ、白い肌と赤い目の彼女が長い髪をふりみだし私の名前を呼びながら駆け寄ってくる……『テレージャ、よかった、無事だったの?』と……しかし、しかしながら彼女のその手はすでに……。
「よっ、オハラさん、今日もお綺麗ですね!」
 明るく能天気な声が響き、私を襲った暴力的なまでの既視感は消え去った。
 既視感? いや、そんなはずはない、いつものように妄想が走りすぎただけだ。二日酔いとホルムに到着した興奮のせいだ。頭を振り、自分の意識を落ち着かせた。
 赤い瞳の少年は、混乱する私には目もくれず、入り口のすぐそばのテーブルにどんと腰を下ろした。神秘的な容貌とはちぐはぐな、乱暴で粗雑で子供っぽさの漂う、はっきりいってしまえば町のチンピラめいた仕草だった。いやはや。
「パリス兄貴かラバン爺は来てる? 待ち合わせてるんだけどさ? ワイン……いや水……いやいやいや、男はどかんと! エール! エールちょうだい」
 ……美学的見地からはいささかもったいないが、青春時代を明るく楽しく過ごせることに勝る宝もないだろう。領主の息子が酒場でこれほど屈託なく振舞えるほど、この土地は平和だ、いや、平和だったという見方もできる。
 荷物をまとめて立ちあがり、私は黙って酒場を出た。
 私は自由で、やりたいこととやるべきことは山のようにある。遺跡に入る前に、まずこの町を見て回るところから始めたかった。


end

TOP>TEXT>騎士の嫡子>四月の帰還