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 メロダークが部屋を訪ねて来たとき、エメクは窓際の机に向かい、紙の上にペンを走らせているところだった。扉の前に立った友人に向かって、顔もあげぬまま、言った。
「待ってください。少し待って。今、肉屋に詫び状を書いているんですよ。エンダが軒先から羊の脚をかっぱらって――代金を持って謝罪に行ったら、金の問題じゃないとカンカンでね。町の神殿で面倒をみている子供があれじゃあ困るって。神殿が責任と誠意を見せなきゃいけないらしい。アダ様に相談したら、書面として残る形で謝罪するのが一番だっておっしゃるのでね。くだらない用事ですよ。書き終えたらすぐに」
「いや、おまえの用事をやりながら、ついでできいてくれればいい」
「そうですか? じゃあどうぞ」
「あまり深く考えず、これもまたついででしてもらいたいことなのだが」
「ええ」
「本当に深く考えずにさらりとやってもらいたいのだが」
「なんです、まどろっこしい」
「ちょっとここを触ってくれないか」
 ペンを動かしながらエメクは視界の端で、メロダークが股間のあたりを指差すのを確認した。自分では治せないような面倒くさい怪我か病気でもしたかねとちらりと思い、すぐに詫び状の方に意識が戻った。
 エンダにはつくづく悩まされるが、これでも以前よりは随分人間らしく振るまうようになったのだ。エメクは己の常識の範囲がかなり広めだと自覚しているのだが、そのエメクから見れば、エンダはもはや『そのへんにいる普通の子』だった。今回だって羊の脚をたかが一本、以前なら羊をまるごと一頭持ってきたところだ――しかも群れの中で一番大きい奴を。
 もう二度とこういうことはさせません、と断言してしまっていいものか悩みつつ、「いいですよ」と気のない調子で答える。
「それは助かる」
 珍しくメロダークが弾んだ声を出した。
「いや、断られるだろうと思っていたのだ」
「そんな簡単な頼み、断るわけがないじゃないですか」
 こういうことはさせないように気をつけます、でいいだろう。最後に自分の名前を記し、町を救った英雄ということでいくらかまけてもらえればいいのだが、と思った。
 ペンを置き、軽く息を吐いてから、エメクはメロダークに向きなおった。
 エメクの側に一歩近づいたメロダークは、ズボンを下着ごとおろしたところだった。だらりと垂れさがった相変わらずの大きさの一物を眺め、無表情にエメクが言った。
「性器ですか?」
「そうだ」
「あいにくですが、内臓の疾患は僕はあまり得手では――」
「いいから深く考えずに触ってくれ」
 エメクが視線をあげ、メロダークの顔を見た。メロダークの黒髪の下で、子供の純粋さを残す澄んだ瞳が、隠しようのない期待に真冬の星のように輝いていた。言った。
「とりあえず勃起するまで頼む。できれば射精まで」
 表情を変えぬままエメクが体の向きを変え、机の上に身をのりだして、大通りに面した窓を開けた。いつになく機敏な動きでエメクにとびかかったメロダークは、危ういところで彼を取り押さえることができた。
「貴様、なぜ人を呼ぶ!?」
「なぜ呼ばれないと思ったんですかね!?」
「ええい、呼んでもいいが後だ、いいから今は何も考えず無心に俺の股間を触れ!」
「おっま、わっ、りさー!」
「後にしろと言っとるのだ!」
「変態、変態です! 誰か! 見逃さないで! 堂々としてるけれど変態ですよ!?」
「阿呆か!」
 メロダークが血相を変えて怒鳴った。
「変態ならもっとこそこそとしておるわ!」
「……堂々と頼めば変態じゃないというご判断ですか?」
「そうだ、だからさっきから何度もさりげなくやれと言っとるだろうが! いいから口笛でも吹きながら気軽に触ってみろ!」
「あんたまた俺の常識を軽々と凌駕してきたね!?」
 揉みあううちに、メロダークが、突然、「おっ!」と声をあげた。この場にはそぐわぬ、嬉しげな声だった。背後から腰をつかまれ机上に上半身を投げ出して伸ばした手を窓枠にかけ、つまり突きだした尻をメロダークの股間に密着させていたエメクが、一瞬遅れて臀部の違和感に気づいた。
 メロダークが言った。
「よし、やはりそうか!」
「やはりって、そっ、あっ――嘘――だ、誰か! 誰か助けて!」
「おいエメク、落ち着け――」
「落ち着くのはあんただって待てよおい待――腰! 腰ィ! おいすぐに止めろ、止めねえと七回殺して七回蘇生させっぞ嘘じゃねえぞ、僕は本気でちゅっちゅっ忠誠はどうし――た――助けておばあちゃーん!」
 見事な絶叫であった。

 青年からひっぺがした長衣を、汚れを内側にしてくるくると丸めながら、メロダークが言った。
「何しろあれだけの強敵との長い戦いの後だ。それに環境も心境も大きく変わった。最初は精神的な物だと思っていたのだが、そのうち、どうやら他に原因があるように思えてきてな」
 いつもの陰気な口調に戻っている。
「思いついて試してみたら案の定だ。どうもあの忘却界での一連の出来事が関係しているようにも思えるが――しかし、この年で男を相手にすることになるとはな」
 そこで言葉を切ると、部屋の隅でパンツ一枚の格好で正座しているエメクをじろりと睨んだ。
「おい、そう怒るな。実際に何かされたわけではなし……」
「された」
 青年神官は、暗い顔をしていた。言った。
「汚された」
「汚れたのはお前の服だけだ」
 すっきりと落ち着きを取り戻した表情で、メロダークが断定した。
「そして服は俺が洗う。つまり何ひとつ問題ない」
「問題しか存在しない」
「……そうなのか? まあ、お前がそう言うなら、そうなのだろうな」
 罪悪感の欠片もなくそう言ってのけた年長の男の顔を、エメクはまじまじと見つめた。――そこからか。と思った。