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生きている玉座

死者の宮殿

 おそらくは邪法なのだと思われるが、判断の術もない。
 とにかく、気がついた時には生きておったのだ。
 己の事なのによくわからぬのは恥ずかしい限りであるが、人間どもよ、おまえらだってどうして自分が生きているのか、自分の命がいつ発生し魂がどこから来たのかわからんだろうが。つまりおまえらは余と同じであるのだぞ。
 余というのは、余だよ、余、余、知ってるだろほら、この我、つまり皇帝の玉座をやっておった余であるよ。歩きまわっておったのおまえらも見たであろう?
 知らんか。
 そもそも玉座を知らんか。
 そのへんにある物でもないからな。
 玉座というのはアレだ、族長やら王様やら皇帝やらその国で最高の位にいる人間が座るための椅子である。ただ勘違いするでないぞ、皇帝が歩き疲れてそのへんの縁石によっこいしょと座ったとしても、石は石で玉座ではない。皇帝だけが座れる椅子、皇帝のためだけに作られた椅子、それが玉座であるぞよ。
 ま、威張るようなこともでないけどな。
 余は気がついたら勝手に玉座だったわけで、自分で選んでやってることでもないからの。

 余は玉座であった。
 気がついた時には皇帝を座らせて、謁見の間で人々を睥睨しておった。睥睨は余ではないぞ、皇帝がやっとるのだ。皇帝が余の右の肘掛を握ると、進め、の合図であるので、余は前に進んだ。背もたれに背を預ければ止まり、姿勢を低くした。右折左折、後退、そのへんも自在である。あとは爪先だってそろそろ歩いたり、座面をふんわりさせたりもした。このあたりの合図は具体的に決っているわけではなく、ま、指先やらもぞりもぞりとした尻の動きの微妙な感覚であるな。最初は読み違いも多かったが、そのうちお互いに慣れてきて、まあ、まあ、不都合もなくなったのである。
 普通の椅子ならば置かれた場所にじっとしていて、人が来たら胸を貸してやればいい(比喩表現だからなこれ)のであるが、余は動く玉座なので仕事が多い。日中は宮殿の中や町を、皇帝を載せて魔法のかかった大剣を持った警備兵どもに囲まれて、あちこち歩きまわった。外にいくと足の裏が汚れるのともう一つ嫌なことがあってあまり外出はしたくなかったのだが、それが余の仕事なので嫌というわけにもいかず、毎日人間どもに掃除された。連中は絹の布で余の脚の裏を拭い、孔雀の羽根を束ねたはたきで肘掛けの埃を払った。もちろん皇帝がおらん時にだぞ。余は掃除されるのが結構好きであったが、触れられるとくすぐったいのでふるふる震えてはよく人間どもに「掃除しづらい」と叱られたものだ。
 皇帝は余の上に座り、施政と裁きを行い勅令を下した。座りっぱなしというのも結構大変なものなのでな、皇帝が堂々とした態度に見えるよう、余もさりげなく尻の座りをよくしてやったり、背もたれを軽く動かして肩や腰を揉んでやったり、クッションをふわふわにしてやったりと、それなりに皇帝によくしてやった。
 基本的に皇帝というのは一人でな。
 すなわち玉座というのは、たった一人のために作られた特別な椅子よ。
 皇帝以外の人間は座らんし、座ったらまずは死刑であるな。
 そういうわけで、つきあいが長くなるにつれ、皇帝とは独特の相棒感のようなものも出てくるという寸法だ。
 余は皇帝がさほど嫌いではなかったぞ。
 人間どもには色々言われておったがな。椅子と人間は自然違う見解を持つのじゃ。


 しかし皇帝が座らん夜は暇でな。
 おまえらとは違って眠る必要がないから、仕方ないので、一人で勝手に宮殿をうろつき回るようになった。
 あそこは結構夜でも人がいてな、若い連中などが広間では皆で酒を飲んではうるさく騒いでおったことよ。余がべったんべったん足音をたてて近づいていくと、人間どもは顔色が変わりおる。どうも皇帝が見回りを命じておると思っておったようでな。それまでぺちゃくちゃとしゃべっておったのに余が近づけばぴたりと黙りおる。会話ができるわけではないのでそれでも別に構わんのだが、遠巻きにじろじろ見られるとどうもな。椅子が注目を浴びるのはどうも筋が違う気がしてな。
 だが宮殿の中には一人だけ、はしゃいだ声をあげて近づいてくる子供がおってな。書庫で余を見つけると、その子はぱあっと笑みを浮かべ、服の裾をつかんでちょこまかと走り寄ってくると、「椅子さん、椅子さん」と小さな手で余にぺたぺたと触ったものだ。
「お散歩してるの? 父さまがおられないと寂しいの? わたしとおんなじね!」
 喋り方はまだまだ舌足らずだが、なかなか的確に見抜きおる、賢い子供でな。これが皇帝の一人娘よ。よじ登ってきて余に座り、よく顔色を変えたお付きの者に叱られておったわ。
「皇女様、そこにお掛けになることができるのは陛下だけでございますよ」
 とな。
「わたしの椅子は動かないもの! この椅子さんがいいの!」
 そうやって駄々を捏ねて余にしがみつくのだが、まあなんだ、皇女といえどもまだ三つ四つなので、市井の子と変わることなく、つまりいつでも手がべったべたでな。子供は余のようにきらびやかで手触りのいい布地と同じくらい、飴だの泥だの虫の死骸だの、べたべたする物が大好きなのよ。余は布張りなので、べったべたにはちと弱くてな。余の上でどしん、ばたんと暴れることに関しては、まあ余は普通の椅子とは違い玉座なのでな、こんなにも頑丈だぞというところを示すことができるので悪くもなかったし、時々はぽおんと跳ね上げてやれば皇女がきゃあっと声をあげて大喜びするので楽しいものであったが、しかしべったべたはいかん。それだけはいかん。そのうえ子供は、侍女が見ていない隙に、汚れた手や口をさりげなく余の背で拭きおるしな。
 それで皇女が座りにくるたび、余はそーっと傾いて、皇女を床に滑り落としてやることにしておった。ぽてんと床に滑り落ちた皇女は目を輝かせきゃっきゃと声をあげ、また嬉しそうに余によじ登ってきたものよ。最後は「皇女様、いけませんったら!」と悲鳴をあげた侍女たちに取り押さえられ、それでも機嫌のいい笑い声をあげておったわ。この皇女は本当に笑うのが好きで、今ひとつ影が薄く、軽視されがちな父親とは違って宮殿の者どもには随分愛されておったことよ。皇帝自身も皇女を愛する一人であったぞよ。散歩の途中に皇女の姿を見かければ、すぐに余に命じて、皇女の側へ近づいていきおったわ。皇女も「父さま、父さま」と小さな手を差し伸べて駆け寄って来てな。
 皇帝は娘を膝の上に抱き上げ、親子二人は余の上で機嫌のよい笑い声をあげていたものよ。お付きの者どもも、この光景を笑顔で見つめておった。
「このまま皇太子様がお生まれにならなければ、お世継ぎは皇女様。女帝は賢王がアルケアの伝統。陛下に何かあったとしても、皇女様がおられる限り、帝国は末永く泰平でございましょう」
 こういった暗に現皇帝への批判を含むちくりとした囁きを、あちらこちらで耳にした物だ。
 余は皇帝も好きであったが皇女も好きであったぞ。「椅子さん、椅子さん」というくすぐったい呼ばれ方は、なかなか気持ちが良いものであった。椅子はな、さんづけで呼ばれることがあまりないのだ。椅子とて己を好いてくれるものには好意を持つ。
 それに宮殿内をうろつく余を好いてくれるのはこの皇女くらいなものでな。それも年が経つにつれて……いや、これは後で話そう。
 大分ずれてしまったが、夜が暇、という話であったな。
 長い夜の間、余は宮殿を歩き回った。謁見の間はつまらん。中庭は静かだが枯れぬ泉があって年中湿気ておる。中広間や会議場は若い連中で騒がしい。大浴場などもっての他。結局、余は夜な夜な宮殿の書庫に入り浸るようになった。書庫に収められている本は皇帝はもちろん貴族どもの無聊を慰める目的で集められた物、つまり英雄譚や神話の他にも物語が多くてな。神々の戦だの辺境の魔術師だの不死の英雄だの、なかなか面白く暇が潰せたものよ。ちなみに余が使う様々な魔術もこの時に魔道書から学んだものだ。そうよ、ありゃ後学の賜物であって天賦の才能ではないのだぞ。口がないから呪文の詠唱をせずに魔力を発動させるのは大変であったぞよ。
 おまえらの中で細かいことを気にするタチの者は、口がないのを気にするならば、そもそも目がないのにどうやって本を読むのか、そういった事を言いたくなるかもしれん。だがおまえらだって、自分の目がどういう理屈で動いているのか知らぬうちから、勝手に物を見ておっただろうが。そのへんは椅子も人間も同じなんだって何度も言わせる物ではないぞ。つまりガタガタうるさいぞ。ちなみにガタガタうるさいとは人間どもには普通の罵詈雑言であるが、椅子にとっては大変な侮蔑の言葉なので、椅子にはなるべく使わぬよう、気をつけるようにな。余からの忠告であるぞよ。


 さて、そうやって昼は皇帝を座らせ、夜は一人で様々な書物に耽溺し、余は代わり映えのしない毎日を送っていた。しかし物語風に言えば『その幸せは長くは続かなかった』というところでな。
 どのように家臣どもの目から光がなくなり、元老院の議員たちが鞭を当てられ、処刑人どもすら吐き気を催す死があり、集められた女たちが種付けをされ、市街から送られてきた奴隷たちが闘技場で珍獣に踏み殺されあるいは食われたか、事細かに説明しても面白くはあるまい。人間どもよ、さまざまな物語を知っているおまえらにはこのように言うだけで事足りることであろう。すなわち『皇帝は暴君となった』。
 夜になっても皇帝は余から離れぬようになった。
 痩せ衰え汗で濡れた手で余の肘掛をぎゅっとつかみ、誰もいない大広間の暗闇を凝視して、一晩中歯をカタカタいわせておったわ。始祖帝の霊が夜毎訪れるという話であったが、さてどこまでが本当でどこまでが偽りであったのか。余には未だにとんとわからぬよ。
 昼には人民どもの叛乱に怯え、夜には地上を滅ぼさんとする亡者どもの夢に怯え、明け方と夕暮れのはざまの時間は自分が殺した人間たちの幽霊に怯えておったのよ。そのどれもが彼にとっては現実の恐怖であった。



 不思議な物での、奴が暴虐に傾けば傾くほど、人民は熱狂的に彼を愛するようになった。恐怖というのは愛情を燃やすための素晴らしい燃料ぞ。最初のうちは皇帝が粛清するのは元老院の議員どもばかりであったから、人民どもにとって対岸の火事であったせいもあるだろう。
 余が皇帝を乗せて市中を歩くと、人間どもが集まってきて「陛下、万歳、帝国、万歳」そのように騒いだものよ。しかしまあ、街道を埋める人の列の向こうには、増税や徴兵によって貧しく辛い暮らしになった者共の冷ややかな、あるいは虚ろな視線があったわな。なんじゃのう、しかし繰り返すが余は皇帝がさほど嫌いではなかったぞよ。なにしろ玉座だからな。玉座はそこに座する一人と特別な関係を結んでおるのよ。



 皇帝は日中は余から離れなくなった。
 余は玉座であり、玉座は皇帝の占有物よ。余に腰掛けておる間は、皇帝は皇帝でいられるのだ。
 時には余を駆り立て、「疾くいけ、走れ」と馬に対するかのように絶叫することもあった。それはまあ足で蹴られれば走りだすが、そもそも余は馬ではないので、まあなんだ、ちと困ったわい。痩せ衰えた皇帝の体を乗せて、余は宮殿を、町を飛ぶように……とまではゆかぬが、馬のように走ったの。皇帝が震えておるのが恐怖のせいか体が病んでおるせいか、余にはわからなんだ。皇帝自身もわからなんだ。
「死刑、死刑、死刑」
 皇帝は震える指で死を宣告し、宣告し、宣告した。気が向いた時には死よりも重い刑罰を与えた。
 十世と同じように狂っていると囁かれたのもむべなるかな、しかしなあ、十世とは違って皇帝は恐怖に駆り立てられていたのだから、不純物がたっぷりの無粋な死であったわな。
 夜、宮殿を巡回する余の姿を見ると、人々はさぁっと逃げていきおった。昔とは違い、恐怖と侮蔑の目を向けてな。
 今でも思い出しおるわ。
 ある夜、余が歩いておると、中庭から扉を抜けた真っ直ぐな通路、色とりどりのタペストリに飾られた華美な廊下の先に、一人、女が立っておっての。
 他の人間のように慌てて避けるでもなく、近づいてくる余を見つめておった。
 黄金に縁取られた薄衣一枚を身にまとうたおやかな立ち姿であったが、赤い両目は上に立つ人間として生まれた者の輝きであったぞよ。余はゆっくりと速度をゆるめ、彼女の前で足を止めた。
 そうよ、幼い王女は父王が狂気へむかう一日、一日の間に美しく賢く気高く成長しておったのだ。そして今は憎しみと悲しみのこもる目で、余を見つめておるのだ。王女はもはや子供ではなかったぞ。わかっておったのに、余はついつい、王女の前で脚を曲げて身を屈めてしまったのだ。さて、余は王女が幼い頃、父を無邪気に愛していたあの頃のように余の上によじ登ってくると思ったのか。あるいはこの娘の発する威厳に、玉座としての本能から膝を折ったのか。
 いやいや、脚の定まらぬ話で恥ずかしいことだが、その時何を思ってそんなことをしたのか、余は自分でもわからんのよ。

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