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虚栄の市

商人

 ここではもちろん価値のない物ほど素晴らしく、役に立たぬ物ほど高く取り引きされるのでございますよ。さあ、こちらへどうぞ。そんなつまらぬ武器ではなく、若い娘さんが喜ぶ物が、奥にはたくさんございます。どれも自由に手にとって、好きなだけご覧ください!
 割れた硝子玉の首飾り。メッキの剥げた鉛のボタン。七色に染め分けられた鳥の羽根。そこのショールは虫喰ったボロ布です。広げてごらんなさい、遠慮などなさらずに。ほら、元は天の川を思わせる、金色の糸が織り込んであったのですよ。今は醜く黒ずんで、星のかわりに虫の死骸が散らばっているようでしょう?
 あなた様のほっそりした手、白い顔がよく映える。


 お客様。
 お嬢様。お客様。若々しい、お美しい、聡明なお嬢さん。
 この店の天井までを埋めるガラクタの数々に、夢中にならぬあなた様。あれが欲しい、これが欲しいと目を輝かせるどころか、怯えた顔をしておられる。
 この島の住人とは様子が違う。珍しいことだ、どうやら島の外からおいでになられた方のようだ。いったいどこでどうやって、島々を渡る舟と、その舟を漕ぎ出す勇気を手にお入れになったのか。
 この島に来るのは初めてではない?
 いえ、いえ、どうか、それ以上はお語りなさるな! お話は結構。私はしがない商人です。品さえ売れればそれで満足。


 おや、お気づきになられましたか。さすがでございます。この店の、いいえ、この市に溢れるすべてのガラクタには、古い物には香水のように染み付いている『思い出』という奴がない。
 お母様が一針一針心を込めて縫ってくださったエプロンや、幼馴染みの少年が買ってくれた髪飾り、美しい従姉妹が嫁入り前に譲ってくれた糸巻き、そのままでは価値のない安物をキラキラと眩しく輝かせて執着の種となる『思い出』がないのです。孔雀の羽根で身を飾った貴婦人を真似て、天鵞絨の羽根をつける娘が滑稽なのは、それが本物ではないからです。ところがもしも少女が天鵞絨の羽根に美しい思い出を持つならば、それは彼女にとって本物以上の本物となるでしょう。美しいお話ですか? 大事なのは人の心だと? それは己をうまく騙しただけのこと。高価で美しく、傷のない本物の方が価値がある! 孔雀は孔雀、天鵞絨は天鵞絨。虚栄、欺瞞、嘘つき、詐欺師――美しい思い出は人の眼を曇らせ、頭を鈍らせ、心を虚ろにしてしまいます。「これは本物より素晴らしい、だって私だけの思い出があるのだから!」、そう自分に言い聞かせ、物の価値を見失う人のなんと多いこと! それを美談と持て囃す、嘘のなんと卑しいこと! 思い出は最高の金メッキ、美しく照らす星明り、醜さともろさを隠す薄闇、めくらましの銀糸、貧しき愚か者のよすが、世の罪悪にございます。


 お嬢さん、先程からそれをしきりに気にしておられるようですが、それは若い娘さんの身を飾る物ではありませんよ。


 さあ、どうぞもっと奥へ。
 この腕環をご覧なさい!
 嵌めこまれた石ころがまるで真珠のようでしょう?
 もちろんこれはただの石、光り輝いて人の目を集めることができませんから、かわりに台座に固定されず、カチャカチャと耳障りな音を立てるように工夫されているのです。耳飾りになる鉄のピンはいかがです? 錆びているから耳に刺すことはできない、ですって? ええ、ええ、お目ざとい。けれどもこれを耳に刺すと美しく見えるからと――いいえ、刺さなければ醜く思われるからと、娘さん方は歯を食いしばり、噛み締めた唇に血をにじませて、震える指でこの錆で赤茶けぬるぬると汚水に汚れたピンを、ぷつりと耳に刺すのですよ。
 この市には鏡はございません。
 着飾った己の姿を己の目で見て、満足することはできないのです。他の人から賞賛を浴びようと通りに出ても、誰も自分を見てはくれません! そのくせ着飾らずに外へでれば、たちまち嘲笑の対象となるのですからね。お嬢さまはここではないどこかで、それをよくご存知のはずですよ!


 おや、またそれを見ておられる。
 若者の虚栄は娘の虚栄とまた違います。あなたが得るべきものはそれではありません。それは義務を果たす忠実な兵士、正義のために手を汚すことができる勇敢な若者、そういった男らしい男のための刀でございますよ。


 そんな立派な人がここに来るはずがない?
 おお――お嬢さん! おや! なんと!
 失礼、失礼! こんな風に笑う私をお許しください。なにしろこの場所ではお嬢さんのように無邪気な方は珍しい。その無垢なお言葉に、つい笑みがこぼれただけです。馬鹿にされているよう、ですと? とんでもない。とんでもない。
 そうですとも、これは英雄のための剣ですよ。よくごらんなさい。やけに重いでしょう? 丸まった刃先のこの鈍さ。戦場では鞘から抜くのも厄介な長さ、ごてごてと飾り立てた細かな装飾。鞘にも柄にも、言葉が刻んであるのがわかりますか? 正義、法、勇気、名誉、王のため。誇りを満足させる美辞麗句。本当の英雄がこのような言葉を必要とするものでしょうか? これは身動きの取れぬ、弱い者を殺すために作られた、処刑刀です。正面から向かいあうための剣ではありません。宮殿を軍隊を宝物庫を王国を持つ強い強い王様を守るため、武装した男たちが、捕縛された勇敢な若者の首を背後から打ち落とし、身も守れぬ裸足の貧しい幼子や、その幼子を守ろうと杖を振り上げて飛び出してきた老婆を一刀のもとに切り殺すための刀です! これを手にすることができるのは、臆病な、卑怯者だけです。虚栄の王を殺すほどの虚栄の持ち主、愚者のふりをする愚者だけが握れる剣なのです。


 いいえ、私はただの商人。品さえ売れればなんでもよろしい。ようござんすよ、どうか手にとってご覧ください。ほら、重くてお持ちになれない。それはあなたのための武器ではないのですから。それに第一、お嬢さん、正義の名のもとに罪なき多くを殺めてきたあなた様の無邪気で愚かな目、死を宣告する残酷な指、許しを知らぬ白い顔は、そんな汚い刀では満足いたしますまい!



 お嬢さん?

 お嬢様。
 お顔の色がお悪い。


 そろそろ出発の時間が近づいてきたようですね。


 さあ、お決めになりましたか? そのような粗末な格好で道を歩くのは、傲慢なあなた様には耐えられますまい。御身を飾る奴隷の首輪はいかがです? かつて小さな田舎町の巫女が、傲慢に、冷酷に、異形と化した仲間の首につけた首輪です! あるいはこちらの血に染まったボロ布は? さもなければこの本を! 友を殺した魔術師の背の皮でできていて、手触りは抜群、ただしページを開くことはできません――中身など問題ではない、あなた様にとって大切なのは外側だけ。戒律、道徳、常識、罪を犯す人を裁き、ただそれだけ、苦しむ人の心にはなんの興味もありはしない。
 どれもいらない。どれも怖いから見たくない。不思議なことをおっしゃいますな。
 どうしてもその処刑刀が欲しいと?
 本当にしかたのないお客様だ。もちろんお譲りしますとも。ただ私が見るに、あなたはどうもそれに釣り合う代価をお持ちでない。財布などおしまいなさい、金貨や銀貨はこの市では一番のガラクタだと、あなたはすでにご存知のはず! これは金で買える物ではありません。はじめに申したとおりです。ここではもちろん価値のない物ほど素晴らしく、役に立たぬ物ほど高く取り引きされるのです。持ち主を失ったその刀は、カラカラと乾いた音で鳴る乾ききったあなたの魂とは、もはや引き換えにはならない物なのですよ。




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