TOP>TEXT

私の心臓はあなたのもの

/シーフォン アベリオン

 翌朝、シーフォンの部屋まで来たアベリオンが、「これをなんとかしろ」と珍しく焦りの滲む口調で言い、いつもぴったり閉じている黒い上着の前を開けた。だいたい焦点具を使う魔術師たちは身動きの邪魔にならぬようゆったりした軽い服を着ているものなのだが、この田舎のまじない師は固い襟や袖で首筋から手首までを隠しくまなく全身を覆う服ばかりで、普段見えているところは顔と手ぐらい、なんだあの格好とシーフォンはずっと不思議に思っていたのだが、アベリオンはその服をためらいなく脱いでいく。寝台に寝転がったシーフォンは、ふーんとへーえの間ぐらいの気持ちでその様子を眺めていた。隠されているものを暴き出すのは好きだが、それがいけすかない野郎の裸となればまた別だ。これっぽっちも嬉しくない。嬉しくはないが止める義理もないので、シーフォンは黙ってアベリオンの脱衣を見守っていた。
 細く長い指が上着の合わせを外していく。灰色のシャツが現れ、その下の生成りの薄い肌着をめくりあげれば、真っ白い皮膚があった。ピンと張り詰めた皮膚やそこに浮いた細い肋に、シーフォンはほっそりとした弦楽器を連想した。最後にアベリオンは腹の皮膚も無造作にまくりあげた。
「お――」
 シーフォンは起き上がった。
 アベリオンの肋骨の中に、内臓ではなく、一匹の赤い小鳥が入っていた。胸椎のひとつを止まり木がわりに眠っている鳥の羽が自分の髪の毛と同じ色なのに気づいた時、シーフォンはけけっと笑い声をあげた。
「なにやってんだよお前。なんだよこれ、僕様じゃねえか」
「そうだ、お前だ。なんとかしろ」
 昨夜お前があんなことを話すから、と、アベリオンは言った。部屋に帰ったあとも色々考えてしまい眠りは浅く、憂鬱な夢を見て、目覚めたらこのありさまだ。
 実を言うと、昨夜の眠りが浅かったのは、シーフォンも同様だった。人気のない深夜の酒場にいつものように無口に黙りこくるアベリオンと二人きり、気がつけばあいつには関係のない昔の話をぺらぺらと、酒も入っていないのに! 部屋に引き上げてからシーフォンは珍しく自分の発言を後悔したのだった。いつのまにやら始まった慣れ合いが、とうとう度を越したというわけだ。アベリオン、あのクソッタレ、クソジジイのクソ弟子、魔術師のくせに力を追い求めようとしない腰抜け、なんだって僕様があんな奴にあんな話をしなきゃならなかったんだ? 
 だが今、アベリオンの胸の空洞で眠っているのはシーフォンにそっくりな羽を持つ小鳥で、シーフォンはにやにや笑い出した。
「なんだよ、アベリオン、こんなになっちゃってシーフォン様が大好きでちゅってか?」
 アベリオンの頬が赤くなり、怒りに顔が歪んだ。
「ふざけんな。殺すぞ」
 切れのいい口調で毒を吐いたが、否定しない。嘘はつけない男なのだ。それでシーフォンは、ますます勝ち誇り、いよいよ上機嫌になった。
 指を伸ばし、むきだしになった肋骨をなぞった。やめろ、と怒鳴られるかと思ったがアベリオンはそうしなかった。めくりあげられた腹と胸の薄い皮膚は新雪を思わせる白さであったが、骨は他と変わらぬ濁った白色をしていた。もちろん地下世界をうろつく呪われた死者どもに比べればずいぶん綺麗な色であったが。
 ざらつく骨の表面に指先を滑らせ、それを肋骨の間に差し込む。アベリオンはじっと押し黙り、身じろぎせずにいる。それでシーフォンは好きなように、遠慮なく、しかし場所が場所なのでさすがに丁寧な手つきで硬い骨をいじり続けた。ゆるやかなカーブに指を這わせ、接合部の丸みを指の腹で丸く撫でた。
 これ、触られてる感触、あんのか?
 尋ねようとして顔をあげると、アベリオンとごく近い場所で目があった。
 とたんにそれまでおとなしく眠っていた赤い鳥が、悲鳴に似た鳴き声を上げ、驚いたシーフォンは後ずさった。ぎりぎりまで巻かれたぜんまいが弾けたかのような勢いで、赤い鳥は暴れだした。
 アベリオンの肋骨に囲まれた空洞は、翼を広げたこの鳥を閉じ込めておくには狭すぎるようだった。小鳥は激しく胸骨や脊椎にぶつかった。細かな羽毛が宙に舞った。燃える炎と火の粉のようだった。
 アベリオンは慌てて皮膚を引き下ろした。幕のようにするりと下りた皮膚は少年の空洞を覆い隠し、彼の胸の内に赤い鳥を住まわせていることなど、外からはもうわからなくなる。
「驚かすな。見た目より繊細なんだから」
 そう言ったアベリオンの喉の奥から、チチ、というさえずりが漏れてきて、珍しく動揺を見せた少年の声と重なった。鳴き声の方はたいしてシーフォンに似ていなかった。
「見た目よりってなんだよ」
「そのままの意味だろ。とにかく、なんとかしろ」
「とか言われてもよ。これ僕には関係ないんじゃねえの? お前の体なんだから、お前の問題だろ」
 当然の道理のつもりで言っているので、自然と口調はそっけなくなる。アベリオンは腹を立てたようだった。乱れた着衣を直しながら、「そうかよ」と言った。
「なら、もう頼まないよ」
 アベリオンが部屋を出ていってから、シーフォンはこっそり自分の服をめくりあげた。アベリオンと負けず劣らずの貧弱な胸や腹を触り、肋の浮いた脇の皮膚を指先でこすってみたりした。自分の肉体など意識したこともなかったが、あいつと比べると、ずいぶん色が濃い肌だと思った。ありがたいことにシーフォンの体に異変は見られなかった。アベリオンと違って。
 
 その日も翌日もシーフォンは機嫌がよかったが、その分アベリオンは不機嫌で、きっちりとシーフォンを無視し続けた。冷静で無感情に見えるこの若者が、実際は負けず嫌いで挑発に乗りやすく、もしかしたらシーフォン以上に傲慢で短気なのを、短いつきあいのうちにシーフォンは学んでいた。
 朝、晩、ひばり亭でアベリオンは冷ややかな横顔をシーフォンに向けたが、幼馴染みや他の探索者たちにもいつもの愛想のない態度で、どうやら赤い鳥のことを誰にも話していないようだった。そういう奴なのだ。体にあった丈の長い細い上着とその下の常に清潔なシャツは、いつも乱れることなくアベリオンの肉体を完全に覆い隠していた。
 シーフォンはアベリオンを見るたび(あいつの心臓は今は僕の形をしている)と思い、最初は勝ち誇っていたのに、段々と気分が沈みこむようになった。
 冷静さを取り戻してみれば、他人の体内に自分の形をした物がいるというのは、どう考えても気持ちのいい話ではなかった。こっちが頼んだわけでもなく、許可した覚えもなく、いつ消えるのかもわからない。それならなんで最初にあれを見た時、あんなに高揚したのかという話だ。いっとき味わった勝利の気分すら馬鹿げている。
 ――あの野郎が相手だと、調子が狂う。
 シーフォンは年上の少年に対して単純な怒りを覚えた。
 アベリオンは意地を張り続けてシーフォンに近づかず、シーフォンも自分の方から声を掛けることをよしとしなかった。それで自然と、二人の距離は開いた。

 今日もひばり亭の丸テーブルに就いたアベリオンは、アルソンとパリスと一緒に探索の算段をしている。探索にシーフォンを誘おうとはしない。シーフォンは舌打ちした。膝に乗せた魔導書に目を落とし、しばらくしてまた顔をあげると、今度はアベリオンと目があった。卓上の地図だか書状だかを覗き込んで何かを相談している二人の頭越しに、まっすぐこちらを見つめている。
 なんだよ、と見つめ返したが、アベリオンの白い顔はいつもの静けさを保ったままでいた。表情が読めない。アベリオンはシーフォンと目をあわせたまま、さりげない動きで自分の胸元を押さえた。
 シーフォンはそれで、自分と同じ色をしたあの鳥がまだ若い魔術師の胸の内側にいることを知った。
 部屋に帰ってから、シーフォンは自分の胸元に触れた。薄いローブの下で規則正しく、だがいつもよりほんのすこし速く脈打つ臓の脈動を感じただけだった。



 それからシーフォンとアベリオンは遺跡に一緒に行くことがなくなった。顔を突き合わせれば喧嘩ばかりの二人だったので、それを不審に思った者はいないようだった。ただしその後もシーフォンはたびたび、酒場を見下ろす吹き抜けの廊下に立つアベリオンを見かけた。止まり木で羽根を休める鳥の足のように、白い両手が手すりをつかんでいた。


 それで、燃えるように赤い目が、いつも誰を見つめていたって?




end

TOP>TEXT