TOP>TEXT>R18TEXT>にゃーにゃーいうあの

にゃーにゃーいうあの

エンド後/メロダーク マナ テレージャ

「大変だメロダークくん! ピートくんから購入した猫耳フードに不良品が混ざっていて二月二十二日に猫化してしまう呪いがかけられていたんだがよりによってマナくんがそれをうっかり身につけてしまった! 今日中に比喩的表現であるところのにゃんにゃんな行為によりマナくんにたっぷり快感を与えてやらないと一生この呪いが解けない! マナくんはフードの呪いによって発情期に突入しており、猫の体の仕組み的には若干おかしいのだがそこは混沌の力がどうのこうの、もはや前後もわからぬありさまだ!」
 堂々たる説明台詞であった。
 薄い扉を蹴り開けて突入してきたテレージャはしかし、何恥じることもなくその台詞を最後まで言い終えて、ふんと鼻を鳴らし胸を張った。
 メロダークは朝の身支度の最中で、最後の仕上げに髭をそっているところであった。剃刀を手にしたまま、泡に汚れた顔で呆然とテレージャを見つめる。
 密偵として神殿軍に送り込まれたメロダークが、この田舎町の神殿の小間使いとして暮らしはじめてはや三月。
 戦場と荒事には強い男であったが、不得手なものが三つある。聖職者と、女と、理屈であった。つまり彼はテレージャが苦手だった。優雅かつ高飛車な表情を浮かべたシーウァの巫女に圧倒されながら、メロダークは口をもごもごと動かした。
「……今日は二月二十三日だぞ」
 眼鏡の奥で、テレージャが固く目を閉じた。
 次の瞬間、カッと開眼して怒鳴る。
「男のくせに細かいことにこだわる奴だな! ごちゃごちゃ言わずに来たまえ!」
「……細かいのか? そこの前提が違ってくると話が大分――」
「よし言い直そう。マナくんが困っているので、助けに来たまえ」
「わかった、行こう」



*



 ひばり亭の四人部屋をテレージャは一人で贅沢に占拠しており、広いはずの室内はしかし、遺跡から運びだされた骨董品と古書で足の踏み場もなくなっている。奥に寄せられた本来は寝台なのだろうが今は書物の山脈が出来ている台の下に、生き物の気配があった。しゃがみこもうとしたメロダークに、「待ちたまえ」とテレージャが声をかけた。
「猫化したあとすぐに洞窟までピートくんを捕まえにいったのだが、一人で部屋に閉じ込められている間にすっかり怯えてしまったようでね。すぐには出てこない」
 帯の間から、青々としたねこじゃらしを取り出した。
「まず私がやってみよう」
 凛々しい口調でそう宣言し、くいと眼鏡を押し上げる。床に膝をつくと、ねこじゃらしをぶんぶん振って「にゃおーん!」と甘ったるい声をあげながら、にじり寄っていく。何事も全力で取り組み、照れることなくやりつくすタイプであった。メロダークはなんとなく目を逸らした。
「ほーらほら、出ておいでマナくーん。にゃーん! すっごいねこじゃらしだぞー、こいつは楽しいぞー」
 テレージャが寝台の下に頭を突っ込む。たちまちフギャーっと獣の怒声が響き渡り、「いだだだ!」という絶叫と唱和した。寝台から体を引きぬいたテレージャの額に、ひっかき傷が三本、ついている。
 顔に、とメロダークは思ったが、テレージャはまるで気にした様子もなく、無造作に額の傷を拭った。舌打ちして、「このようにネコ化しているのだ」と言った。
「小動物はどうも苦手でね。いや、私は好きなのだが、彼らが私を嫌がる」
「……言っておくが、私も動物は……」
「きみは好かれるタイプだ」
「根拠はあるのか、それは」
「猫は基本的に動作が遅くて動きが鈍く体臭がきつい人間を好む」
 ひと息で三つもけなされて、しょんぼりした。神殿に出入りするようになってからは毎日清潔にしているし、いや密偵時代も別に臭くはなかったはずだ。テレージャはひどい。
 しかし自分が猫に好かれるかはともかく、寝台の下にいるのがマナならば、手ひどく嫌われるはずはなかろうと元気を出す。
「私がやろう」
「ねこじゃらし使うかい? まだいっぱいあるよ?」
「……お前は傷を消毒しておけ」
 メロダークは床に寝そべると、寝台の下の暗がりを覗き込んだ。真っ白い毛のかたまりが、ひゅっと視界を横切る。尻尾だと気づいた次には、薄闇に光る赤い目が見えた。その目の光が、
 ――怯えている。
 すぐにそう理解できて、「マナ!」と思わず咎めるような声が出た。
 沈黙のあと、にゃ、と頼りない声がした。メロダークは躊躇なく片手を伸ばし、やわらかな毛の塊に触れた。フーッと威嚇の声がして、手首を斜めに引っかかれる。気にせずに手を滑らせて、くびれたところの骨をつかみ、一気に引き出して、身を起こした。
「おっ!」
 驚嘆の声をあげたテレージャと
「うむ――」
 メロダークの唸り声は同時だった。
 メロダークの手はマナの首筋を掴んでいた。空中にぶら下げられた巫女の頭には、にょっきりと、三角形の耳が生えている。見慣れた猫耳フードの形であったが、短毛に覆われたその部分は、少女の銀色の頭髪の間で、それ自体が独立した意思を持つかのように、神経質にぴくぴくと震えていた。
 元から小柄な方だが、首根っこを押さえられてだらんと手足と尻尾を伸ばしたマナの体は、いつもより一回り小さい。長衣が垂れさがり、巫女らしからぬ格好ではあったが、乳房を晒したマナはあまり気にした様子もなかった。
 亜人らしく末端にいくほど人から離れている。両手足はもふもふの白い毛に覆われ、一見すると白い猫型の手袋と靴を履いているようであった。
「にゃー」
 と、情けない顔をしたマナが言った。
 部屋が明るいせいで、瞳孔がきゅーっと小さくなっている。不安をむき出しにしているくせに、どこかに意識を飛ばしているようにぼんやりとした、奇妙にうつろな表情であった。借りてきた猫などがよくこういう顔になる。
「マナ」
「にゃ」
「これは……しゃべれなくなっているのか?」
「うん。きく方もおおむね猫程度の理解度だね、今のところは」
 獣人化した少女を挟んで二人が冷静でいるのは、まずこういった事態――人間が獣に近づき、言葉も通じず混乱している――に慣れているせいもあった。
 探索者仲間のキレハは少しの刺激で犬耳やら尻尾やらをぴょこぴょこ立てて、風の強い日などは実に面倒くさそうに、「ああ、今日は花粉が多いわね。いつもより耳が出ちゃうわ」などと言っているのであった。彼女と探索を続けた今では、獣の耳や尻尾はおなじみになっている。それともう一つ、
「ピートはなんと言っているのだ」
 己が商売をやっていくうえでの信用に関し、常に万全な金色猫のことを、メロダークが尋ねた。
「こちらの手落ちでもありますので解呪は六千でやらせていただきます」
「高いな。全面的にあいつの手落ちだろう」
「それは言った。値切った後だぜ」
「強欲め――ミーアクックはこれだから信用ならん」
「いざとなりゃそのくらいは出せるがね、今月は月刊『人と歴史』主催の古代水路調査に参加するつもりだから、何かと物入りなんだよなあ」
 テレージャは、ぽんとメロダークの肩を叩いた。
「じゃあ、自分の部屋に戻ってあとはよろしくやってくれたまえ。任せたよ。私はこれから懸賞論文の最終校正があるから」
「……よろしく、と言われても――」
 メロダークは半猫半マナを胸元に抱き直した。マナは男の腕の中でじたばたと暴れる。しかしそうすることによって、己の服の袖を飾るリボンが揺れて、そちらに気を取られたようだった。ひらめくリボンを目で追い始めたマナの心臓の脈動は、体が小さくなったせいかいつもより速い。
「おいおいなんだよ。二度も言わせるなよ。恥ずかしいから最初に勢いをつけてまとめて説明してやったのに、そういった私の努力をだな」
 そう言いながら、テレージャは一気に面倒くさそうな顔になった。
「きみ、まさか私に、しろ、というつもりじゃなかろうね」
「……」
 冗談を言っている目ではない。キューグの巫女は、やれというならやろう、くらいの顔であった。メロダークはリボンにじゃれるマナを無言で抱え直し、テレージャには急いで背を向けた。



 *



 指が短くなっており、見た目はもはや手でなく前足に近い。
 いつもはほっそりとした少女の掌は肉厚になっていて、ふにふにと触ると気持ちいい。肉球だ! と気づいて、不覚にも胸が踊った。
 両手の甲のあたりを押さえると、鋭い小さな爪がにゅっと出てくる。握る力の入れ方によって、爪が飛び出す長さや角度が変わるのが少し面白い。
「……爪はこういう仕組みなのか」
 なるほど、とつぶやくと、猫耳の裏に息がかかった。メロダークの顎の下で、とがった白い三角が激しくひくついた。寝台の上で、立てた両膝の間に少女の背をすっぽりと抱え込んでいる。マナは猫なりに観念したようすで、メロダークのなすがままになっていた。顎をつむじに乗せ(いつもはこうすると、顎が刺さって痛いと怒られる)、両手で小さな前足を握ってにゃっにゃっと爪を出し入れさせながら、メロダークはしばらく思案にふけっていた。
 ――快感を与えろと言われても。
 小さくなった少女の背が親しんだ感触でないせいもあって、性欲よりは、猫だ小動物だううむ可愛がらねば、の方に気持ちが流れていく。マナの尻尾は絶え間なくぱたぱたと揺れ続けており、彼の股間や胸板や時には顎までをくすぐっていた。マナの顎の下に手をあてる。そこをそっと撫でてやると、ようやく、尻尾の動きが止まった。喉も普段より張っている気がするのだが、違いが明瞭にはわからず、恋人の体なのにまだ知らないところがあるのだなと反省した。
 撫で続けるうちに、緊張しきっていたマナの体からようやく力が抜けた。ぐるん、と指先に妙な感覚が伝わる。慌てて手をひきかけたが、ごろごろと震えだす感触があった。
 以前、エンダに噛まれた猫の手当てをしたことがあり、猫に関してはまったくの無知というわけでもない。
「……気持ちいいのか?」
 返事のかわりにごろごろと喉を鳴らす音が大きくなった。マナが自分の手の中で緊張をとき、気持ちよくなっている。そんな場合でもないのに、単純な達成感と、奉仕の喜びが同時に胸に湧き上がってくる。
「普段からこのくらいわかりやすいといいのだがな」
 文句を言うと、マナの耳がぴくぴくと動く。
「にゃ」
「大体お前は」
 相手は猫なので反論ができない。つまり言いたいことが好きなだけ言えるというわけで、よし、ここは一つ色々言ってやろうと決めた。しかしマナの言動に様々に思いを巡らせた沈黙のあと、メロダークは「すまん、なんでもない」と謝罪した。我慢していることが特にない。全然ない。遅刻しても食事をとっておいてくれるし、アダに叱られたら庇ってくれるし。二人になりたい時は大体そうしてくれるし。気楽なものだ。己の今の境遇の幸運をしみじみと噛み締めている間に、マナの体はすっかり弛緩しきっている。くたくたと横になり、男の股ぐらの中に丸くなる格好で一旦すっぽりと収まると、次はくるりと上向いて背をのけぞらせ、両目を細め、白い喉をさらけだした。もっと撫でろのポーズであった。よしやろう。忠犬気質のメロダークは、一段熱心に喉を愛撫しはじめた。
 撫でれば撫でるだけいいようにごろごろいう。両者至福の一時であった。
 しばらく喉撫でに没頭していたメロダークは、これでは日が暮れてしまうと気づいて、本来の目的を思い出した。
 手を首筋から胸元に滑らせ、なだめるように乳房に触れながら、もう一方の手で長衣の裾をまくりあげる。抵抗されるかと思ったが、今日のマナは自分から腰を持ち上げて、彼が服を脱がせるのに協力した。
 ――楽だ。
 これはいいと感心したが、いやしかし普段からこれでは恥じらいがなくていかんだろうと思いなおす。いつものマナは、いつも通りでいい。少女に対する不満がない。
 ズパッと勢いよくパンツを引き下ろすと、小さな布地から解放された長い尻尾が気持ちよさげに揺れた。メロダークは無表情に手を滑らせ、ふんわりと伸びた毛に覆われた場所に指を潜り込ませた。
 ごろごろという音がぴたりと止んだ。
 マナの目が、男を見つめたまま、まん丸になった。軽く口が開く。混乱と恐怖をむき出しに硬直した。赤い瞳が、どうして? なんで? と問うている。平時であれば罪悪感と同時に嗜虐心をくすぐられるところであったが、今はそれどころではなかった。メロダークは表情を変えぬまま、内心でひどくうろたえていた。指先が馴染んだ女の形を辿れない。手足だけでなくここまで違ってしまっている。
 ――どうすればいいのだ、これは。わからんぞ。
 マナの体のことはよくわかっている。そのつもりだ。なのでこれまで悠長に構えていたのだが、突然、焦りが来た。
 猫の交尾を思い出そうとしたが、記憶の引き出しの隅々までをひっくり返しても、そんなものは入っていなかった。マナがまだ彼を見つめており、とっさに「大丈夫だ、静かにしていろ」といつもの癖で断言してしまう。言葉がわからないはずのマナが、そう言われたとたん、両目から緊張の色を消した。瞼を閉じて持ち上げていた頭を彼の太腿にことんと落とし、全身から力を抜いた。温かな体を委ねられる。絶対の信頼を示されてしまい、いよいよ後がなくなった。緊張しすぎて嫌な汗が出てくる。
 奥の部分で乱暴に指を動かした瞬間、マナが反応した。
 膝が跳ね上がり、フーッ、と威嚇めいた音が喉から漏れ、すぐにその声が裏返る。
 いつもの癖でこれがよかったのかと尋ねかけたとき、マナがくるりと体の向きを変え、彼の腿に思い切り爪を立てた。尖った爪が、布地を破り深く食い込む。鋭い痛みにメロダークは息を止めた。
「フルゥルルルゥ!」
 巻き込まれた快感の渦の激しさを表すような、そんな悲鳴をあげ、全身を硬直させたあと――マナの小さな体が、脱力した。膨らんだ尻尾が揺れて、ぱたりと垂れた。
 濡れた手で前足に触れ、皮膚に食い込んだ爪を優しく引っ込めさせたあと、メロダークは破れた下衣を脱ぎ捨てた。
 こちらもようやくその気になってきた。



 *



 絶え間なくすすり泣きを漏らし続けていた白い喉がひきつるように痙攣しているのに気づいた。腕を解くと、支えをなくしたマナの上体はことんと手もなく寝台の上に倒れこむ。汚れた口を開き息を吸いこむ音が、シューッと、奇妙な大きさでメロダークの耳に届いた。
「んーっ……はっ……ロ……んっ……」
 マナの顔が歪んでいるが、快感の余波が続いているせいか肉体的な苦痛のせいなのかメロダークには判断がつかない。男もまた冷静でない。伸ばした手で乱暴に乳房をつかみ、ふたたび拷問めいた快楽の奉仕に戻ろうとする。
 ニィ、という鳴き声ではなく、言葉の断片が漏れた。ごきん、と喉の中央、不自然な位置で骨が鳴る。曇りのない白い皮膚の上を漣のように魔法の熱が走っていく。
「メロ……ん……メロダー……さ……あ……」
 猫の格好をしたマナの手を握りしめると、毛がずるりと束になって抜けた。ぎくりとしたが、マナが甘い吐息を吐いて、毛の抜けた下からはほっそりとした元の形を取り戻した指先が露出する。自由に動く少女の手がメロダークの手首をつかみ腕を引き寄せ、近づいてきた男の頬を撫でた。柔らかな優しい動きに、いつものマナが戻ってきたのを感じ、同時に彼の心にも冷静さが戻ってくる。マナの手に手を重ね、
「……落ち着いたか?」
 ときいた。
 マナが目を開けた。涙が溜まった目が、ううん、と答えている。ぴんと立った猫耳を引っ張ってみるが、前足の毛とは違って取れる気配すらなかった。指の間で薄い皮膚が、苦しげにぴぴぴと震えた。
「……ん……そこ、や……」
 マナが声をあげつつもがき、身をよじった。
「これは……取れんのか」
 背を向けて無遠慮な男の手から逃れたマナは、そのまま寝台にうつぶせになった。荒い息を吐きながら片手で後ろ髪をかきあげて、ほっそりとした白いうなじを露にした。どこであれ体の一部を強調するような姿勢を自分から取ることが珍しく、やけに艶めかしいその手つきにかすかに興奮する。肩越しに振り向いたマナが、乱れた髪のむこうから潤んだ目を向ける。かすれた声で囁いた。
「ここ……か……噛んで」
「……なんだと?」
「噛んで。に……逃げられないように」
「……」
 意味がわからない。わからないまま、唇を寄せた。そっと歯を当ててから、吸った。そのとたん、マナが勢いよく振り返った。
「違うの!」
 絶叫するなり、さっと片手を――まだ猫足の名残りがある手をあげて、メロダークの頬を躊躇も遠慮もなくパチンとひっぱたいた。仰天したメロダークに、泣き声で怒鳴った。
「キスじゃないの! 噛むの! 噛んで、噛みながら、し……して? そしたら、絶対、き……気持ちいいから」
 メロダークはしばらく呆然としていた。
 ぶたれた。
 ショックだ。
 少女の口から転がり出た露骨な言葉も。
 マナは剣呑きわまりない目つきで彼を睨んでいる。恥じる様子は欠片もなく、口元が絶え間なくむにゃむにゃと動いていた。マタタビを与えられて興奮しきっている猫を自然と連想した。
「……まだ、だいぶおかしいぞ」
 思わずそうつぶやくと、マナは、ふん、と鼻から息を吐いた。朝方よりは幾分短くなっている尻尾が海藻のようにゆらゆらと揺れ、立った猫耳は時折きゅーっと後ろに動く。真剣に怒っているらしいのだった。
 そろそろと屈みこんで――抱えこんだ少女のしなやかな腰が、さきほどより重みを増している。人間の体に戻りつつある――挿入の瞬間、めったにないことだがこめかみが熱くなって奥歯が浮いたようになった。長い絶食のあと、湯気のたつ料理を口に運ぶ瞬間のようだ――誘うように、いや実際誘うために、うなじを晒したままのマナが息を整えるのを待ち――待ちきれず――そこでようやく、自分も完全に冷静さを失っているのに気づいた。
「マナ」
「はあっ……は……んーっ……う……」
「いいんだな?」
「うん……あ……あ、あっ……」
「噛むぞ」
「うん。うん……」
 顔を傾けてほっそりとしたうなじの真ん中に歯を当て、少しだけ顎に力をこめた。じわじわと圧していき、ぴんと張った皮膚に音を立てて上下の歯が食い込んだ瞬間、マナの全身が激しく反応した。細い骨がある。いくつもの連なり。神経と血管と筋肉。急所だ。熱を帯びてうねっている。
 マナの狂乱の声が鼓膜を震わすと同時に、彼の歯、顎、喉、少女の首筋をとらえたすべての部分が心地良く振動した。背筋をぞくりと冷たい物が滑り落ち、腰の奥で熱く爪を立てる。肉食獣の快感であった。だが人間だ。どうしようもなく。
 いかんなと思いながらマナの腰をとらえて膝を進めた。硬く勃起している。筋肉が勝手に収縮する。体を律することができず、ただ顎だけはそれ以上決して力を込めないよう必死に脳が命じ、射精を口で堪えるような錯覚にまた奇妙な興奮が湧き上がる。口中からだらだらと涎が流れて少女の曇りのない白い肌を汚した。舌を動かせばマナの味がした。少女の脈動に彼の歯が食い込んでいる。頬がひりひりと痛む。叩かれた。手で。顔を。殺すつもりで対峙した時すら、手足だけを狙っていた少女なのに。先程までの獣の声ではなく理性をなくした人間の声で、途切れ途切れに、神官の少女が彼の名前を呼んでいる。マナの尾が震えながらメロダークの硬い尻と太腿に絡まり、柔らかな毛先でねだるように、何度も何度も厚い鈍感な皮膚を擦り上げる。獣の部分でも人の部分でもマナが彼を求めている。俺のマナが。噛めと。逃げないように傷をつけろと。噛んで、して、気持ちよくなりたい――。
 実にいかん。
 ひどく興奮する。




  *



 当然こうなると予想していたのだが、案の定、視線どころか顔すら向けてくれないのであった。
 目を覚ましたあとすぐに寝台を出たマナは、彼には背を向けたままいつもより時間をかけてぴったりと丁寧に長衣の胸元と袖を止め、神経質な手つきで長い髪を首筋にくるりと巻きつけ、最後に分厚い外套まで着込んでしまう。部屋の中は暖かなのに。メロダークは寝台の上で、全裸でごろごろしていた。起き上がるのすら億劫な体の疲労とは裏腹に、大変充実した、爽快な気分であった。寝台の上に散らばった白い毛を払いながら、人生は素晴らしい、そんなことまで考えていたのだが、「ひっひっひっ」というマナの声に我に返った。扉の横で、壁に鼻先を突きつけるように立ったマナの両肩はぶるぶると震えている。
「ひっ……昼間から……へっへっへっ」
 なんだか嬉しそうだがもちろんそうではなく、感情が高ぶりすぎて言葉が出ないのであった。
 いや昼ではなく朝から――、と思ったが、それは言わなかった。
「へ、へ……変なことをっ! た……たくさん……変なっ……!」
 ごん、と額を壁に打ち付け、斜塔よろしく斜めに傾いた不自然な姿勢のまま固まってしまう。なかなか回復しない。しばらくして、「めっ」とあえいだので、メロダークはのっそりと起き上がった。
「メロダークさん!」
「なんだ」
「思ったのですが……考えたのですが! わ、私の巫女としての自覚が足りなくて、だからお詫び……そ、そうですお詫び……ご……ごめんなさい! これをきいたら本当に軽蔑なさると思うのですが、ああなっている間も、い、い、意識はちゃんとあったんです。そりゃあお魚やお肉やあの揺れるものにじゃれつきたいというのが主でしたけれど、それでもちゃんとテレージャさんにもメロダークさんにもご迷惑をおかけしないようにって最初は思っていて、なのに結局ああいった、ふ……ふしだら……ううう、不潔……ご迷惑どころか、は、は、破廉恥きわまりない……、つまり……うう……うーっ!」
 色々と限界だったらしい。壁に両手をついて顔を押し付け、声をあげて泣きだした。
 さすがに放っておけなくなって、慌てて立ち上がった。終わったことに興奮しすぎだとか、呪いのせいなら仕方なかろうとか、礼を言いたいご迷惑だとか、色々思いつくが何を言ってもうまく収まりそうな気がしない。泣きじゃくる少女の後ろに立ち、渋い顔をしてぽりぽりと首を掻いていたが、結局言葉でなだめるのは諦めた。
 背中に触れたが、マナは振り向かなかった。忍者のように壁にぴったり張り付いて、
「駄目」
 と、細い声で言った。
「……お、お、怒って……私のこと、け……軽蔑……」
 しゃべる声にあわせて震える背中は、相変わらず細く頼りない。いつものマナの体だ。手を伸ばし、髪を梳きわけてやると、びくりと緊張する。しかし抵抗はせず、メロダークは安心した。
 露出したうなじには、男の歯列の形に赤く黒く痛々しい痣が残っている。気をつけていたつもりだが、やはりどこかで抑制がきかなくなっていたようだ。
「怒っていない」
 傷口には触れぬよう気をつけながら髪の生え際に指先を這わせ、身を屈めて、耳元に囁いた。
「軽蔑も。マナ。こちらを見ろ」
 振り向いたマナは、真っ赤になった目で、怯えたようにメロダークを見あげた。しばらく凝視していたが、やがてようやく、詰めていた息を吐いた。肩を引き寄せれば胸元にふらりと飛び込んでくる。安堵したメロダークが少女を抱き締めようとした瞬間、マナががばりと体を引き離した。
 かっと両目を見開いて、怒鳴った。
「どうしてまだ裸なんです!? 服を着てくださいっ!」
 すごすごと寝台まで引き返し、服を着た。
 聖職者と、女と、理屈に弱い。この三つが揃った相手には、たびたびしょんぼりさせられる。



 *



 早春の日差しと暖かさが丸二日続いたおかげで、マナが神殿に持ち帰って丸洗いした猫耳フードは、無事乾いた。
「耳の先がまだ少し湿っているんですが……」
 申し訳なさそうにマナがひばり亭のテーブルの上に置いたフードを、テレージャはなんの躊躇いもなく手にして頭に被った。マナの隣に座ったメロダークは、表情には出さぬまま、一瞬だけ緊張した。しかし二月の二十二日だか三日だかを越した猫耳フードは、テレージャの頭部と肩をふんわりと覆っただけだった。
「構わないよ、要は機能さ」
「ごめんなさい! 今回はテレージャさんにたくさんご迷惑を……」
 深々と頭を下げたマナの謝罪を、テレージャは苦笑ひとつで柔らかく遮った。
「いいさ別に。探索の頃からこの程度の迷惑なんて、お互いさまの話じゃないか」
 さっぱりした口調で断言し、この話はこれでおしまいと言外に匂わせると、さっさと話を切りかえた。
「とにかくこれで、安心して古代水路調査ツアーに参加できる。手持ちの呪具だけでは心許なくてね。遺跡では何が起こるかわからないから、用心はいくらしてもし足りない」
 テレージャの言葉に感銘を受けたように頷くマナを横目で見ながら、
 ――遺跡どころか宿屋ですら、妙なことになっているだろうが。
 メロダークは内心でそう突っ込み、黙って酒杯を煽った。
 テレージャは被り心地を整えるように、猫耳の先端を軽く引っ張った。フードから手を離すと、どういうわけかその部分が黒く染まり、ブチの猫耳フードになっている。
 マナとメロダークの視線を追ったテレージャは、はっとして自分の指に視線を落とした。べったりとインクの染みがついている。
「あー、いかん! そうだ、忘れていた。さっき論文に表紙をつけている最中に、インク壺の蓋が……」
「私、布巾をお借りしてきますね」
 カウンターに向かって駆け出していったマナを目の端にとらえつつ、メロダークは「……本当に大丈夫なのかそれは」と言った。
「大丈夫だと思うがね。探索中は何度も血まみれになったわけだし」
「そうではなくて、それの呪いだ。一日遅れで発動するいい加減なものだぞ、数日経ったからと言って危険がなくなったとも」
「そこはアルケアの暦と現行の王国歴のずれによるものらしいんだが……まあ大丈夫だろう。大丈夫でなくても、神殿で呪いを解いてもらえばいいだけの話だし」
「なるほど」
 まあそれはそうだ、ホルムの巫女長は解呪に関して、大神殿でも見たことがないような見事な腕前の持ち主であるし。おおいに納得したメロダークはエールを飲み干し、ぼんやりと空中を見つめ、眉間に一度皺を寄せ――ようやく、テレージャの方に向き直った。
「……おい!」
「……と、後になってから気がついたんだ。原因が呪具だとはっきりしてるんだから、そのまま神殿に行けば全部解決だったんだよな。いや参った参った。あのときは論文の締め切りが近くて、睡眠時間と思考力が正比例だったからなあ」
 しみじみとそう言ってから、テレージャはさすがにばつの悪そうな顔になった。メロダークがもうひとつくらいは文句を言おうとした時、濡れた布巾を手にしたマナが戻ってきた。テレージャはくるりとメロダークに背を向け、「やあ、ありがとうマナくん! 迷惑かけるね!」と実に調子のいい声で言った。




 *




 ひばり亭からの帰り道、のんびりと先を歩いていたマナが振り返った。
「メロダークさん、午後からは?」
「……巫女長殿からは特に。アダ殿がお出かけになった後は施療室に詰めておくつもりだが……そうだな、薬棚の整理でもするか」
 ふぅん、と言ったマナが歩調を緩めてメロダークの隣に並ぶ。
「でも、じゃあ、その前に、二人で一緒にお茶を飲むくらいのお暇はありますよね?」
「ある」
 前を向いたまま即答した。
 嬉しげに微笑しかけたマナが、突然、くるりと振り向いた。いぶかしげな視線が、メロダークと自分の臀部の間を行き来する。
「どうした」
「な……なんだか少し変な……」
「……」
「あ、大丈夫です。そんなにすごく変なわけじゃなくて、今、空中で。ええと……猫でいるあいだに、ずいぶん尻尾に馴染んでいたものだから……まだ、尻尾が生えているような気がしたんです」
 手足が失われたあとも体にはまだ感覚がどうのこうのとメロダークが言いかけたとき、マナが「それで今、メロダークさんの尻尾と……くるっとこう、空中で絡まったような」と続けて、彼を沈黙させた。
「……馬鹿げたことを」
「そうですよね」
「俺には尻尾はない」
「わ……わかってますよ。ただなんとなく、そんな感じがしたんです」

 神殿の中に入ったところで、メロダークは足を止めた。列柱の影にマナを引き寄せ、喉に指を這わせる。
「じっとしていろ」
 体を引いて手から逃れようとしたマナを叱って、円を描くように指先で喉を撫でた。まだおかしいところがあるなら治癒術をかけた方がいいのではないかと思い、簡単な触診のつもりだったのだが、マナの手が彼の上衣の裾を握った。気がつくと、かすかに頬を上気させたマナは両目を閉じ唇を薄く開き、明らかに彼の接吻を待っている。
 違う。
 と思ったが、メロダークは結局、少女の喉を掌でそっと覆った。腰を曲げ、いささか不自然な姿勢でキスをした。喉はごろごろいわなかった。かわりにぴったりとくっついてきた少女の体の柔らかさと心臓の脈動が、彼の腕の中にいることの安心と幸福と満足を、雄弁に物語っていた。


end

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