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女神の癒し手

グッドエンド後 / 顔2マナ メロダーク

 
 神殿の正面の階段を駆け下りようとして一段、二段、足元でぷつんと音がして、突然体がつんのめった。白い石造りの階段が視界いっぱいに広がり、次の瞬間ぐるんと青空に変わる。悲鳴をあげる暇もなく私は階段を転がり落ちていく。膝と脛に火が走るような痛みを感じた。
「マナ!」
 土埃の向こうでネルが叫んだ。
 気がついた時には円柱のそびえる空を見上げ、地面に仰向けに倒れていた。心臓がどきんどきんいっている。靴紐が切れて転んだのだ、そう気づくまで時間がかかった。
 駆け寄ってきたネルが泣き出しそうな顔で私を覗き込む。
「大丈夫!?」
「だ……大丈夫。痛いけど……大丈夫」
 両足の膝から下がじんじんと痺れている。肩も、背中も、腰も――肘をついてなんとか上半身を起こした。メロダークさんが神殿の入り口から、階段をゆっくりと下りてこられるのが見えた。あんなに高い場所から転げ落ちたことにぞっとする。彼がなんだか笑っているように見えて、私は混乱する。メロダークさんは時々ひどく意地悪で、人の痛みに鈍感だ。私のそばに到着した時、彼の顔には笑いの影すらなくて、代わりに冷たい声でおっしゃった。
「はしゃいで駆け出すからだ」
「メロさん、今そんなこと言うのひどいんじゃないかな!?」
 膝をついて私の肩を支えてくれたネルが、珍しく怒りを露にする。
「マナがこんな怪我してるのに! それにさ、つまずいた時あんなに側にいたんだから、手を伸ばして助けられたんじゃないの?」
「――とっさのことで動けなかったのだ」
 なおも言い募ろうとしたネルをなだめようとしたけれど、その前にネルは「あっ!」と声をあげていた。しゃがみこんだメロダークさんが、両手で私を抱き上げたからだ。ふわりと体が浮き地面が遠ざかる。私は悲鳴をあげて身をよじった。
「なっ……ま、待ってください! 自分で歩けますから! 下ろして!」
「うっひゃあ!」
 先程までの怒りをどこかに放り出したネルが、なんとも形容しがたい声をあげ、私は思い切り赤面した。
「手当てをせねばならん。今日の外出は取りやめだ」
「メロダークさん!」
 あまりに横暴な物言いだった。ネルの視線を遮るように抱えられて、私は彼の胸元を手で叩いた。
「下ろしてくださいってば! 本当に怒りますよ!? ネル、ごめんね、ちょっと待ってて――手当てをしたらすぐに戻るから」
「ひゃあああ、お、お姫様抱っこ!」
「ネルーっ!」
 羞恥のあまり耳が熱くなる。ネルはひょいと身を屈めて私の抗議をやりすごし、ついでに路面に転がった私のサンダルを拾い上げた。紐の切れたそれをメロダークさんの指に持たせながら、メロダークさんの腕の中の私に、少し真面目な顔を向けた。
「マナ、残念だけど今日はいいよ。あんたの怪我本当にひどいもの。パリスとチュナちゃんには言っておくからさ、皆で遊ぶのはまた今度にしよう?」
 ネルの視線を追って見下ろせば、確かに私の服の裾は破れ、膝から流れる血にべったりと赤黒く染まっていた。

 体のあちこちをしたたかに打ちつけ、両膝の下、特に右足は脛の全部を石段の角で削ってしまっていた。最初の衝撃と痺れがとれたあとは、熱した鉄のヤスリをかけられているような激痛がやってくる。神殿の治療室まで運ばれながら、私はメロダークさんの腕の中でずっと泣きじゃくっていた。軽々と私を抱き上げたメロダークさんは回廊に人がいないのをいいことに、私の額や目尻に繰り返し口づけをする。
「泣くなマナ。大丈夫だ、俺がいるから」
 とても優しくそうおっしゃる。夜半、二人でいる時しか見せてくださらない愛情の滲む声や仕草で、安心した私はかえって我慢ができなくなり、子供のように声をあげ泣き続けた。メロダークさんは時々意地悪だけれど、その後はいつもすごく優しくなる。
 治療室の木の扉をメロダークさんは肩で開け、消毒液と薬品の匂いが混ざりあう狭い部屋の中に踏み込んでいく。私を粗末な寝台に腰掛けさせてから、メロダークさんはすっかり慣れた手つきで壁の戸棚を開ける。包帯と薬を手に戻って来て、「だから言っただろう、今日は出かけるなと」と諭すようにおっしゃった。
「せっかく巫女長殿から一日休みを頂いたのだから、外出はやめて大人しく俺と過ごせばよかったのだ」
 私がメロダークさんを置いていったせいで怪我をしたとでも言いたげな、恨みがましい口ぶりだった。理屈に合わない。まるで子供だ。
「だってネルたちとは前から約束していてすごく楽しみで」
 泣きながら言い訳みたいなことを言ってしまう私も子供みたい。
 寝台の側に跪いたメロダークさんにうながされ、私は裸足を彼の硬い太股の上にのせる。失礼な姿勢だけれど仕方がない。改めて見れば、右足の膝や脛からはじくじくと血が流れ続けていて、めくれた皮膚の下に白い肉が覗いている。本当にひどい怪我だった。探索の間ならば、いやそうでなくてもこれが信者の方なら絶対に魔法を使い、痛みも後遺症もないように素早く癒すべき傷なのだけれど、メロダークさんは傷薬の瓶を手に取る。塗りこまれた軟膏が染みて皮膚の下の肉までが熱くなり、私はシーツをつかみ唇を噛んで悲鳴をこらえる。
 この平和に気が緩んでいるのか、あるいは彼が神殿で暮らすようになったことで気持ちがはしゃぎすぎているのか、最近の私は転んだりぶつけたりして怪我をすることがしょっちゅうだ。メロダークさんにはそのたびに助けて頂いて、でも彼は治癒術を決して使おうとしない。私が始祖の魔法使いであるタイタスの器であったことを気にしておられるのかなと思って、一度恐る恐るそうお尋ねしたら、ひどくびっくりなさって、違う、と即座に否定され、でも結局、魔法に頼らぬ理由は教えてくださらないままだった。
「痛いか、マナ」
 指先にのせた傷薬を丁寧に摺り込みながらメロダークさんがそう尋ね、私はこくこくと頷く。泣きながら意地を張っても仕方がない。でもきかないとわからないのかな。こんなにひどい怪我なのに。メロダークさんは痛みに鈍感すぎる気がする。
「痛いです……う……すごく痛い……これ、跡……残りそうですね」
「気にするな。どんな傷がついたとしてもお前の美しさに違いはない」
 斜め上の返事に私はうっと息をとめ赤面する。ネルがいなくてよかった。うっひゃあ、ではすまないところだ。
 ひと通り手当てを終えたあとも、彼の手は私の足から離れなかった。片方の足首を点検するように持ち上げられ、私は乱れた服の裾を慌てて押さえる。血はようやく止まったものの塗り薬はひどく染みて痛み、私はまだ涙も止まらず呼吸も荒いままなのに、内腿に滑りこんできたメロダークさんの手は情欲を滲ませて動きはじめる。やめてくださいと強い口調で拒絶すると、メロダークさんは傷の横に指を滑らせ、熱を帯びた皮膚がその刺激に震え激痛が走る。私のうめき声を無視して「では今夜」と囁いた。
「メロダークさん!」
「マナ」
「駄目。嫌です。すごく痛いのに」
「マナ――」
「それに、だって……ん……夕べも――」
「毎日したい」
 本気でそうおっしゃっているようで、ひどく恥ずかしい、昨夜の疲労が澱のように体に篭っているのを感じるし、神官としてどうなのかしらと不安になって、でもその一方で求められることはとても嬉しい。ずきずきと疼く痛みを凌駕して、彼への愛情が胸に沸き起こってくる。
「駄目」
 口ではそう言いながら、私は身を屈めてそろそろと彼の肩に手を伸ばし、臆病な抱擁を与える。
 膝立ちになったメロダークさんが私を強く抱き返してくださって、彼の肩越しに視線を落とせば、木の床の上に私のサンダルが転がっている。足首を止める紐がぷつりと切れていた。この間新しく買ったばかりなのに。最近の私は本当に運が悪い。


 夜、メロダークさんはつながったまま、私の体をご自分の上に全部乗せてしまわれることをお好みになる。背後から抱きしめられ大きな手で膝の裏を抱えられ、身動きの取れない体を揺さぶられると、両足の傷に響きとても痛い、とても怖い。泣きながら手を伸ばしメロダークさんの体に縋ろうとするけれど、彼は私の両腕を押さえこんでそれすら許してくださらない。私の耳に、彼がかすれた声で囁く。俺のマナ。背中がぞくぞくする。もうどこにも行かないでくれ、俺のマナ。
 あの日、アーガデウムから戻って来た私に、メロダークさんは同じことを、顔色を変えて怒鳴りつけるようにおっしゃった。もうどこにも行かないでくれ、二度と俺を置いて行かないでくれ。それまで一度も怒りを見せたことのなかった彼の激昂に私は怯え、泣いて、でもメロダークさんも私と同じように泣いていた。あの日からずっと私はこの人を愛している。
「ええ、私、メロダークさんの物です。どこにも行きません」
 そうお答えする私の声は、喉や背と同じようにいやらしく震えている。だって体の中がひどく熱い。
「嘘つきめ」
 メロダークさんは低い声でそうおっしゃって私の乳房を握り耳朶を甘く噛み、私の官能を煽る。
「もう痛くないか?」
「足? ううん……痛い……あ……あっ……そこ、駄目……」
「そうではなくて――女の――お前の体の、女の――」
「……ん……大丈夫……もう大丈夫です。もう痛くな……あ……メロダークさ……」
「そうだろう。痛みは一時だ。繰り返せばすぐに慣れ、大きな痛みも苦痛ではなくなる。俺はそのことをよく知っているのだ」
 メロダークさんの声はひどく満足気だ。
 快感に頭の中が白く霞む。悦楽の忘我の底で外れたことのない直感が私に囁く。いつかきっと悪いことが起こる。とてもとても悪いことが。でも私は己の中に脈打つ熱に気をとられ、彼の名を繰り返し呼ぶことしかできない。
 メロダークさんの手が彼の腿の上に置かれた私の足をさする。小さな五本の指や、硬い踵や、白い足の甲や、土踏まずのアーチや、くるぶしの半球を、愛しげに、愛しげに、まるで別れを惜しむかのように。俺のマナ。どうすればお前が行ってしまわぬよう、お前を俺の裡に閉じ込め、俺一人のものにできるのだろう? 俺の女神、俺のマナ。俺のこの不安を癒してくれ。ぎゅっとつかまれた足首がとても痛い。骨までが音を立てて軋む。




end

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