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神殿の子

エンド後/マナ チュナ エンダ



 抱えた洗濯物の山に視界が遮られ、前が見えない。
 それでも礼拝堂から響いてくる元気のいい足音のおかげで、誰かが近づいてきていることがわかる。チュナちゃんだな、とマナが思ったちょうどその時、チュナが回廊に飛び出してきた。
「あーっ、マナ、いいところに! ちょっと叱ってやってよ! ひどいんだよ! ひどいんだから!」
 足を止めたマナは、行く手を遮るチュナの頬が子供らしい健康的な赤みを帯びているのを見て、にっこりと笑った。眠り病から目覚めたチュナは、暖かな春の訪れとともに、すっかり元の健康と快活さを取り戻していた。パリスから頼まれていたこともあり、神殿に訪れるチュナの体調をこっそりと気にかけていたマナも、最近では前より落ち着いた気分で少女の様子を見守るようになっていた。
「こんにちは、チュナちゃん。エンダがどうしたの?」
 以前ではパリスが独占していた『ひどい』の主語が、最近ではもっぱらエンダを指すようになっている。チュナが返事をするより早く、礼拝堂から元気よく駆け出してきた竜の子が、朝にはゆったりした長衣だったはずのぼろ布を翻し、マナの腰に勢いよく飛びついてきた。勢いがよすぎる。悲鳴をあげて傾いたマナを、チュナが広げた両手で支えようとして失敗し、結局三人で縺れあように床に転倒してしまう。
「エンダーっ! あんたは、もう!」
 と叫んだのは折り重なったシーツの上に仰向けに倒れこんだチュナで、マナは体に馬乗りになったエンダの重みに「ううう」と情けない声をあげただけだった。石の床の上に伸びたマナを見下ろして、エンダが言った。
「ブブブブブブブブブブブブブブ」
「……エンダ、下りて。それから、ぺっして」
 マナから下り、次にぺっした従順なエンダの口中から、巨大なカブトムシが飛び出して来た。解放されたカブトムシは、四枚の羽を音を立てて震わせながら、中庭の向こうの青空へと慌てて飛び去っていった。
 エンダはそれを名残惜しそうに目で追いかけていたが、すぐにマナの方へ向きなおった。
「おいマナ、チュナを叱れ。チュナはひどいんだぞ」
「どっちがあ!」
「エンダが分けてやったおやつを捨てた。タベモノを粗末にすると駄目なんだろ」
「おやつじゃない、あれは断じておやつじゃない! マナ、エンダを叱って! 得体の知れない黒いカタマリを、口に突っ込んでくるんだよ! 石は食べ物じゃないよね!?」
 ようやく体を起こしたマナは、右と左で自分を挟んでぎゃんぎゃんと大声で怒鳴りあう子供たちの頭を同時に等分に撫で、二人の視線が自分に集中したところで、重々しい口調で告げた。
「わかりました。メロダークさんを叱っておきます」
「おー、そうか。そうしろ」
「……そうしてください」
「だから二人とも、礼拝堂で暴れちゃ駄目だよ。長椅子とか祭具があるから、ぶつかったら怪我しちゃうからね。特にエンダ! 痛くなくても怪我は怪我なんだからね!」
 面倒くさげにエンダが思い切り唇を尖らせて、しかしそれはチュナが機嫌の悪い時によく見せる表情なので、マナは思わず微笑した。立ち上がったエンダは、「じゃあ待ってろ、別のおやつを持って来てやる!」と元気よく宣言し、どんなおやつをどこで手に入れるつもりなのか、中庭に駆け出していった。
「最近、すぐにおやつをくれるんだよ」
 チュナが悲愴な口調でつぶやいて、思わず吹き出しかけたマナは、危ないところで笑いを噛み殺した。身を屈め、散乱した洗濯物を拾い集めるのを、チュナが手伝ってくれる。
「ありがとう」
 差し出された洗濯物を受け取り、
「エンダはチュナちゃんが好きなんだよ」
 と、マナは言った。
「そうなの?」
「そうだよ」
 チュナはうんと難しい顔になったあと、「知ってるけどさ!」と少し照れの混ざった、しかし嬉しそうな口調で言った。なんだかんだで面倒見がいい子なのだ。パリスの妹だなあ、と思う。
「でもあれはメロダークさんの真似をしているだけだと思う。最近は料理を手伝っているって言ってたし……」
「んー……やっぱり、メロダークさんを叱っておきます」
 チュナはしばらくマナを真面目な顔で見つめていたが、やがて、「マナは、メロダークさんだけは遠慮無く叱るんだね」と言った。
「えっ、そうかな!?」
 マナは、驚いてそう答えた。
「そんなことないと思うけど……他の人と同じにしてるつもりだけど」
「でも、そうだよ!」
 朗らかに断言したあと、チュナはエンダの名前を呼びながら、午後の中庭へと姿を消した。残されたマナは駆けていく少女の、乱れることのないしっかりした足取りを目で追いかけていたが、完全に一人になったあと、少し考えこみ、やがてうっすらと紅潮した顔を、汚れた洗濯物の影に隠した。


end

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