小人の塔終了直前 / シーフォン パリス アルソン
「ラバン爺からきいたんだが」
席につくなりパリスが言った。
「小人の塔の地下に、温泉があるらしい」
スープをすすりながら魔道書のページをめくっていたシーフォンは、パリスを見つめやった。しばし無言だった。
着席から開口までパリスの一連の動作があまりにも自然だったせいで、パリスと自分はもしかして待ち合わせをしていたのだろうか――そう自問していたのだった。
夜のひばり亭は、食事を取りに階下へ下りてきた宿泊客と酒を飲みにきたホルムの住人とでごったがえしている。
とはいうものの、空席はある。
カウンターにはちらほらと空きがあるし、なによりも中央近くの丸いテーブルでは、マナやネルといった顔見知りの探索者連中が和気あいあいと食事中だ。普段のパリスならためらいなくそちらにむかうはずだった。
しかし今シーフォンのむかいに座ったパリスはえらく熱っぽい、訴えかけるような、真剣なまなざしを見せている。
「温泉だぜ」
かすかな興奮の滲む声で繰り返す。
「温泉」
オウム返しにつぶやく。別にこいつとは何の約束もしていない。つまりわけがわからんという結論に達した。
シーフォンは温泉に興味がなく、これは魔道書に関係がありそうな話ではなく、パリスとの会話も楽しみたくはない。
なんなんだこいつはと思う。
単なる世間話の相手としてシーフォンを選んだのならば、馬鹿か、帰れといったところだ。そういうのはむこうのお友達相手にやれよ、と思う――わざわざこの席までやってきたことについては、ほんの少しだけ微妙に嬉しかったのは確かだが(そこは認めよう。悪の魔術師たる者、己の心も含めて現実は冷静に受け止めなければならない)、アホの相手をするだけの忍耐力はなかった。
というわけでシーフォンは、魔道書に再び目を落としつつ、つとめて冷酷そうな声をだす。
「興味ねえくだらねえどうでもいい」
「まあきけよ――きけって――温泉だぜ? そこで一体何があったと思う?」
「茹でイカでも出たのか?」
無視を決め込むつもりが、思わずそう答えてしまう。自分の冗談にけっけっと笑った。
パリスはのってこなかった。吐き捨てるように言う。
「馬鹿か」
「なんだと!?」
「常識的に考えろ。温泉だぞ。温泉に行ったら何をする?」
「湯に入るんだろ」
「そうだ。その通り。いいか、落ち着いてきけよ、興奮するんじゃねーぞ。ラバン爺からきくところによるとだな、小人の塔の温泉は泳げるほど広くて、温度は快適で――そこで全員で一緒に湯に入ったそうだ――ラバン爺とマナとキレハの三人で」
シーフォンはぱたんと魔道書を閉ざした。
パリスの目は、嘘をついている人間のそれではなかった。
しかしまさかと思う。
女だけならばわかる。あるいは一緒に行った面子がノリのいいネルと奔放なテレージャならばそういうこともあるだろう。だが、マナとキレハという組み合わせは……ラバンが『その時のおっぱいが目に焼き付いて今もはなれん』式の冗談を言うたび、神官らしくごくごく静かにものすごく引いた表情になるマナと、ためらうことなく蔑んだ目で踏みつけるような視線をむけるキレハが。当のラバンと一緒に入浴など。
「またジジイにかつがれてるんじゃねえの?」
懐疑的な目つきになったシーフォンに、パリスが言った。
「マナがせっかくだから入って行きましょうと言いだして、キレハがすぐに賛成したらしい。ただしその温泉は、湯気がすごくて、目と鼻の先すら見えない状態だったそうだ」
「やっぱりそんなオチじゃねーか」
「馬鹿、本題はここからだ……つまり、女の子たちは温泉に一緒に入ること自体に抵抗はない」
「見えねえんだろ?」
「湯気のせいでな。だが! そこで! もしも! オレとお前と女の子が探索中に温泉に入り!」パリスがぴしっと人差し指を立てた。「……風が吹いてその湯気が突然なくなったら! そこで裸を見てしまった場合、それは不可抗力! 合法的に全裸! 単なるアクシデント! そう思わんか!?」
そう都合よく風が吹くかよといいかけて、シーフォンはようやく、パリスが何を言わんとしているかに気付いた。ついでにシーフォンに声をかけに来た理由も。
「バッ――」
かじゃねえのと怒鳴りかけ、声の届く範囲で知人たちが食事をしているのを危ないところで思いだした。テーブルにがばと上半身をかがめた。
「……カじゃねえの!? お前頭におが屑でも詰まってんのか? なんで僕がそんなことのために魔法を使わにゃならんのだ!」
小声で怒鳴る。
パリスはそれには答えずわずかに視線をそらす。シーフォンをうながすように、己の視線の先へと顎をしゃくってみせた。
顔をあげて見れば、ひばり亭の中央の丸テーブルには顔馴染みの探索者の娘たちが顔をそろえていた。彼女らは食事をしながらおしゃべりに花を咲かせている。季節は秋。今日は天気がよく、ひばり亭の中は人いきれで暖かい。安全なこの場所で、娘たちは厚い外套と身を守る鎧を脱ぎ、くつろいだ薄着姿だった。
マナとネルは隣あった席で、仲良く話している。神殿の少女はいつもの真面目な表情で軽く頭をふりながら、両腕で自分の体を軽く抱く。それに対してネルが驚いたように小さく両手をあげた。少女たちの隣では、さして興味のなさそうな顔をしたキレハが、軽く体をひねり、身をかがめ、服の裾を直していた。そして偶然テーブルの横を通りかかったテレージャが、マナに呼びとめられたらしく、足を止めた。マナがふた言み言、何かを語りかけた――テレージャはうなずきながら少女の言葉をきいていたが、やがて片手をあげて、無造作に前髪をかきあげた。
彼女らのそういった動きにあわせて、それぞれの胸がそれぞれの薄布の下、それぞれの形と大きさと柔らかさで揺れ、動き、震え、弾んでいた。
はっきりと言おう。
それは大変素晴らしい光景であった。
シーフォンは一瞬瞼を閉じ、様々なことに思いをはせた。
知性はいつでも冷静で、どんな時もシーフォンを裏切らない。
――そう、たとえ持ち主が誰であろうとも、おっぱいが素晴らしい物であるように。
かつて神童の名を欲しいままにした魔術師の少年は、やがて目を開けると、言った。
「……呪文の詠唱には焦点具が必要なんだぞ。湯気が晴れたあと、すっ裸の僕が杖を持ってる光景を、一体どう説明するんだよ?」
パリスが世慣れた微笑を浮かべる。
「落とせばいいじゃねーか――湯の中にな」
「音がするよな? 落としたらさ?」
「まかせろ、オレが跳びはねてやる。じゃっぽん、じゃっぽん、すごい勢いでな」
「おいっ、冗談ごとじゃねえんだぞ! 忘れたらぶち殺すぞ!」
「安心しろ、一緒に行く面子によっては片方だけが殺されるようなことにはならない。キレハならまず間違いなく両方が始末される――フランちゃんなら、俺たちの死体は見つからないだろう」
「危険だらけじゃねーか!」
計画に穴しかねえんだよタコと怒鳴りかけた時、テーブルに影が差した。
「何が危険なんです?」
明るい声が降ってきた。
ぎくりとした二人が動きを止める。振り仰ぎ、テーブルの側に立つのがアルソンだとわかると、同時に息を吐いた。
「死体がどうとか言っていましたが、まさかお二人で何か危険な」
声が大きい。
「違ぇよバカ!」
「そういうんじゃないから黙ってくれ!」
シーフォンとパリスの慌てた様子に、アルソンはますます眉をひそめた。手にしていたぴかぴかの兜をテーブルに置いて、二人の顔を均等に眺めた。
「探索に関することなら僕も混ぜてください、力になりますよ」
善意と誠実さのみなぎる眼差しであった。
面倒なことこのうえない。
シーフォンとパリスは視線を交わす。
「こいつは密告するタイプだ」
シーフォンがずばっと断言すると、アルソンは深く傷ついた表情を見せた。
「な、何言ってるんですか!? 密告なんて、僕はそんな卑怯なこと……ってまさか何か法に触れるようなことを考えてるんじゃないでしょうね? ぼ、僕でよければお二人のお力に!」
一瞬の間により一層面倒なことになった。放っておけば次は剣を抜き、『この剣に誓って!』と言いだしかねない勢いである。
アルソンが剣に手をかけた。
「よーし、この剣に誓っ……」
シーフォンが先に切れた。
「ああーもう面倒くせえ! 地下遺跡に温泉があるんだってよ!」 と、押さえた声で叫ぶ。
「ああ、ええ? それが何……」
「女の子と混浴しようって話だよ!」
「混浴……?」
アルソンの顔にゆっくりと理解が広がって行く。パリスもシーフォンも、
『ええっ、そんなことを考えてたんですか……あわわ、駄目ですよー』
という返事を予期し、待った。
しかしアルソンは安心したような息を吐くと、すぐに笑みを浮かべた。
「ああ……なにかと思えば……あはは、なーんだそんなことですか。勘違いしちゃいましたよ。いや、もちろん気持ちはわかりますよ。密告なんかしませんとも。お二人くらいの年齢なら、そりゃ色々想像しちゃいますよね。僕も子供のころはそういうものでしたよ。それにしても温泉かあ、素敵ですねえ。僕も行きたいなあ。ぜひご一緒させて下さい……あっ、もちろん女の子を誘う時に……って四人だと転移魔法が使えないのか、すごく残念ですね」
一抹の余裕、そして春の風のような爽やかさすら感じさせる口調だった。両目に浮かんでいるのは、すべてを包み込む大きな優しさであった。
……。
パリスが無言で手を伸ばし、アルソンの肩をつかんだ。シーフォンが細い杖を手に立ちあがる。
「ってどうし……わあああ、なんです!? 痛い痛い痛い痛い! やめ、痛、なに!」
「死ね! いや待て死ぬな、僕が殺す。なんだよ子供の頃って!? お前大して年上でもないだろうが! な、なに、どういう自慢なのそれマジで!」
「どうせあれだろあんた、白い馬に乗って自分の領地をうろついて美人を見つけりゃ言うんだろ! 『はーい僕アルソン、伯父さんはネスの大公で僕はその筋の侯爵家、独身で長男で領地持ちなんだけど僕の馬に乗ってかない?』それだけで! そ、それだけでっ! オレたちがどれだけ汗水垂らして! 畜生! 畜生ーっ!」
「見下しやがって! やっぱり死ね! 一ぺん死んで蘇ってまた死ね!」
「さっ、刺さないで! そんなことしませんよ、しませんからお二人とも落ち着い……い……いやああぁー!」
泣きながら転げるように走り去ったアルソンを見送った後、シーフォンとパリスはたがいに目を見合わせた。
もはや言葉など必要なかった。
どちらともなく差し出した手を、しっかりと握り締める。
かたいかたい握手だった。
――階級、格差、不平等。さまざまな理不尽への闘争を共にすませた彼らの間には、熱い友情が芽生えていた。
再び着席してから、シーフォンが言った。
「あの石柱の呪文が一度に運べるのは三人だけだぞ。誰を誘うんだ? ――フランとキレハは論外ってか?」
「おいおいおいおい、今は守る時じゃなくて攻める時だろ? 消去法はよそうや。男なら、見たいおっぱいを見ようぜ」
「見たいおっぱいを……」
なんという力強い言葉であろう。シーフォンは本気で感動しかける。根から間違っているので感動しなかった。
二人はぐるりと酒場を見回した。
「二度目はないよな」
シーフォンがきく。返事をすでに確信しているような問いかけであり、果たしてパリスは重々しく頷いた。
「ない。その通りだ。そういうことがあったときけば、女の子たちは全員警戒するだろう。チャンスは一度――つまり、オレたちが裸を見れるのは、たった一人きりというわけだ」
「……星辰学院には、こんな格言がある。夜空の星と川辺の砂、どちらも無数だが何ひとつ同じものはない、それゆえ星の一つと砂の一粒はどちらもかけがえがない、と」
「おっぱいもそうか」
「多分そうだ」
二人のあいだに沈黙が落ちた。
不快なものではなかった――思い浮かべている何かは違えど、心に燃える理想は同じであると、たがいに確信していた。
やがてパリスが言った。
「せーのでいくか?」
「は? 行くかってなんだよ」
「なんだってなんだ? せーの、で同時に名前を言うんだよ。その……す、好きな相手の。っていうか裸だぞ、あくまで好きな裸って意味だからだな!」
変なところでどもったせいで、変なニュアンスがついてしまう。シーフォンがたちまち、うろたえた。
「はぁぁぁ!? それなんだよ、な、なんで同時に言うんだ!? しかもその言い方……す、好きって、おい、かえって恥ずかしくねーか! 僕は恥ずかしくなったぞ!」
「馬鹿っ、同時じゃなきゃ後の奴が裏切って言わねーかもしんねえだろ! そしたら一人で恥ずかしいじゃねえか!」
「普通にしろ、普通に! 好きとか嫌いとかじゃなくて、もっと単純に胸のでかさでいいだろうが!」
シーフォンなりの真理に基づく、魂の叫びであった。
*
シーフォンとパリスの仲がいい。
通りがかり話に加わろうとしたアルソンをかなり乱暴に追い払い、二人だけでずっと話しこんでいる。マナたちの座るテーブルまでは距離があり、声はきこえないが、時には憤怒に歪む真剣な表情や絶えまない派手な身振りが、彼らの会話への熱中ぶりを雄弁に物語っていた。
夕食後、テレージャも加えてマナたちはとても真面目な話を――最上位の神職者だけが行える蘇生と復活の秘儀は、誰に、いやどんな生き物に対しても施せるものなのか? ――していたのだが、途中からマナは、会話ではなくパリスたちについつい気をとられてしまっていた。さっきまで真っ赤な顔で何かを激しくいい争っていた二人は、今、椅子から立ち上がり、それぞれの顔に真剣な表情を浮かべ全身を使った大きなフォームで、じゃんけんを始めていた。
――何をしてるんだろう?
マナの胸中はいつのまにか、九割の好奇心と一割の嫌な予感で満たされていた。
嫌な予感……そう、遺跡の探索中にときおり感じる、ざわつくような胸騒ぎがするのだ。あの二人を放っておいてはいけないような、しかし近づいて会話に加わるのもよくないような……。
「マナ?」
「あっ、ごめん、何?」
名前を呼ばれ、慌ててネルの方を振りむいた。しかしネルもキレハも食事の途中から同席したテレージャも、全員がマナと同じ方向を、マナと似たような目つきで眺めていた。
「パリスくんとシーフォンくんは、いつの間にあんなに親しくなったのだろう?」
テレージャが疑わしげにつぶやく。
「妙な感じはするわね――ま、どうでもいいけど」
キレハがどこか投げやりな口調で言った。
「パリスがそこはかとなく輝いてる……でも多分きっと駄目なこと言ってるよね、あれ」
パリスとのつきあいの長いネルが冷静にそう評し、マナはためらい――だって彼らが何を話しているのか、まったくわからないわけで――しかし結局は頷いた。こちらにむけた横顔の、あのきりりとした眉も情熱に燃える瞳も、残念ながらマナたちにはおなじみの、パリスが絶好調に駄目なことを思いついたときの顔だった。
ちょきちょきぱっぱっとあいこが続き、最後にグー対チョキでシーフォンが勝った。勝った――椅子の上に勢いよく片足をのせ、天井にむけてかためた拳を何度もつきあげる。高笑いしていそうな表情と動きであったが、声はまったくきこえない。ただ、壮絶にいい笑顔であった。チョキの手を震わせながらテーブルに突っ伏したパリスとは対照的だ。
やがてパリスがのろのろと顔をあげた。娘たちが見守るなか、立ち上がり、こちらのテーブルにむかって歩いてくる。いつも通りの少し機嫌が悪そうな表情を浮かべ、不自然なくらいのさりげなさでマナたちの方に顔をむけた。
マナたちのテーブルには到達しなかった。
突如姿を現したフランが、音もなくパリスの側へ近づいていく。パリスの隣に並んで歩き、にこやかに何ごとかを囁いた。パリスの片方の眉が軽く上がり、次に下がって、二人は同時にくるりと振りむいた。
連れだってシーフォンの待つテーブルへと戻っていく。
――フランの片手は、なぜかしっかりとパリスの右手首をつかまえていた。
「え、ど、どうしたの?」
マナのつぶやきに答えられる人間は、当然、その場にはいなかった。
フランを加えて三人になったシーフォンたちは、再び長い話しあいを始めたようだった。
今度は話し声がきこえた。
フランがいつにないきっぱりとした口調でいっていた――。
「お館様からは皆様をお守りするように申しつけられておりますので――ええ、当然、そーゆーのも駄目です!」
*
朝のひばり亭は、遺跡へ向かう探索者たちの元気のいい喧騒に満ちている。
杖で首筋を叩きながら階段を下りてきたシーフォンは、テーブルのいつもの自分の席のむかいに、パリスの姿を発見した。
今朝のパリスは、椅子に深く腰掛け、テーブルの上にぐったりと額を垂れている。
――なんなんだよこいつは。
寝起きなので不機嫌にそう思い、しかし別の席を探すほどの面倒臭さでもなく、シーフォンはあくびをしながらテーブルに近づいていく。杖を置き、背中の道具袋を下ろして腰かけたところで、突っ伏したままのパリスが「おーす」と元気のない声をあげた。挨拶のつもりらしい。
「朝からうぜえなあ。なに暗くなってんだよ」
「気持ちもアレだがフランちゃんに極められた関節がまだ痛くて……」
「あっ、あのメイド! あいつ夕べ、僕の部屋まで来やがったぞ! うぜえよ、マジでうぜえ。ていうか怖ぇ。目を覚ましたら枕元にいるんだぜ!」
「……知ってる。多分その後、オレんとこにも来た」
「それで『お起こしして申し訳ありませんが、まだお返事を頂いておりませんので』って礼儀正しいのがかえって怖いんだよ!」
「……いいじゃん。お前魔術師じゃねぇか。オレん家の錠って、オレでも外せないような特注品だぜ? それを針金一本で……オレのプライド、色んな意味でもうずたぼろ……」
「ちっともよくねえよ、なんだよあれ、なんであんな必死なんだよ! あいつとあいつらってただの友達だろ!? 大体見られても減るもんでもねーのによ!」
「おめえがあの場でごめんなさいもうしませんって言わねえから……」
「はぁ? なに僕が悪いみたいに言ってんだよ、殺すぞ」
大体ことの元凶はお前だろうがとさらに言いつのろうとしたその時に、「おはよう!」背後から元気な声がかかる。
振りむけば、探索の支度を整えたマナとネルが笑顔でこちらに近づいてくるところだった。「うぃー」とやる気のない声をだす。挨拶のつもりだ。二人の胸は皮の鎧と鎖帷子にしっかり包まれている。見慣れた光景であったにも関わらず、なぜか妙にもったいなさが漂っている。ステーキの匂いだけ嗅がされて肉は食べられなかったような気分とでもいおうか。
――損してねえのに損した感じじゃねーか。むかつく。
内心で舌打ちし、外面でも不機嫌さを露わにして少女たちを迎える。
「えーっ、今日も二人なの!? 突然どーしたのかね、きみたちは」
「うるせー」
「昨日はなに話してたの?」
「関係ねぇー」
ネルの驚きの声はシーフォンが切って捨て、マナの問いかけは突っ伏したままのパリスが打ちかえす。
マナとネルは顔を見合わせ、だが何も言わなかった。随分息があってるとかいつからそんなに仲良くなったのとか、そういった素直な感想を漏らせば、パリスはともかくシーフォンが烈火のごとく怒りだすのは確実だった。朝からそれは困ってしまう。マナは魔術師の少年にむきなおった。別のことを――というよりこちらが本題だったのだが――きいた。
「あのね、シーフォンくん、今日一緒に行けるかな? 古い書庫を見つけたんだけど」
「どこだよ」
「小人の塔――」
目をむいたシーフォンと、跳ね起きたパリスの声が揃った。
「断る!」
二人の剣幕に押され、小さく悲鳴をあげたマナがネルに抱きついた――「なんで怒るの!?」
「そこはオレが今、この世で最も行きたくないところだ! 危険だらけなんだよ! この場で百回『やべっ』って言ってやらぁ!」
「ピンポイントで生まれたてのトラウマ攻撃してくるな、舐めてんのか! あの変人巫女でも誘っとけ!」
「へ、へんじ……テレージャさん……? テレージャさんはだってさっき、キレハさんとアルソンさんと約束を……変人巫女って……本当になんで怒ってるの?」
不機嫌な唸り声をあげて目をそらしたシーフォンと、再びテーブルの上に今度は上半身すべてをばったりと投げ出したパリスを前に、マナとネルは無言で目配せを交わし、たがいの胸のうちを確認しあった。
――この二人、変だよね?
――うん、すごく変だと思いますよ?
口には出さずとも通じあう親友二人であった。
*
夕方のひばり亭は、遺跡から帰還した探索者たちのたてる喧騒に満ちている。
つまり真昼と深夜以外はいつも賑やかなひばり亭のテーブルと探索者たちとの間を縫って、両手どころか両腕の上にまで皿を載せたオハラが足早に店内を横切って行く。中央のテーブルの側で足を止め、湯気のたつ皿をどんどんと卓上に移した。
「はーい、チキンサンドと肉団子のシチューお待たせぇー……ってマナ、あんた今日も食べていくの? 連日は珍しいわね」
今日はネルと二人でテーブルを占領したマナが、シチューの器を引き寄せながらオハラに笑みをむけた。
「テレージャさんと待ち合わせなんです。古文書を鑑定してもらうことになっていて」
「ふーん? メロダークさんに頼めばいいんじゃないの?」
「ん……い、いいんです、テレージャさんにお願いしたから」
「あらま、ごめんね。ま、ゆっくりしていってちょうだいな」
さらりと詫びたオハラがテーブルを離れていく。サンドウィッチの皿をネルの方に回しながら、マナが上目づかいになって、きいた。
「なに?」
「え? ううん、なんでもないけど?」
きょとんとした顔でネルが答え、分厚いサンドウィッチを取り上げた。かぶりつく前にきょろきょろと店内を見回した。
「今は仲良くしてないね、パリスとシーフォンくん」
シーフォンは窓際のいつもの席でいつも通り魔道書に目を落としており、パリスはカウンターのラバンの隣に座り、何事かを話しあっている。マナが一度咳払いしてから、明るい声で言った。
「後でフランちゃんにきいてみようか? 夕べ、長い間話してたよね?」
「マナさんや、そーいうの、フランちゃんが素直に教えてくれると思うかね?」
「う、そうでした。そういうのはしないフランちゃんでした」
二人でもぐもぐと食事に集中していたが、やがてネルが手を止め、口の周囲を指先で拭うと、笑った。
「でもさー、フランちゃんとこんなに仲良くなれるなんて思わなかったよね」
同じ町に暮らし顔を知りながら、これまでは挨拶すら交わしたことがなかった少女のことを――気弱で優しくて時々大胆に常識が抜けていて、そのくせひどく頼りになるフランの顔を思い浮かべ、マナも自然と優しい笑みを浮かべた。
「ほんとだね」
「パリスとシーフォンくんも最初はあんな感じだったのに仲良くなってるし。なんかさー、色々変わっていってさ」
「うん」
「怖かったり後悔したりしたけど、それって全部が悪いわけじゃないんだなって、最近、そう思うようになったよ。うん。そりゃ色んないいことで悪いことが全部チャラになるとは思わないけど――全然思わないし、多分変わらない方がよかったこともいっぱいあるんだろうけど――でも私、みんな、好きだもん」
「……そうだね。悪いことばっかりじゃないよね」
ひばり亭のこの喧騒には随分慣れた。
探索者たちのにぎやかな話し声は、今ではもう耳になじみ、懐かしさを覚えるくらいだ。朝のお勤めを終えれば掃除をする代わりに遺跡へむかう。神殿に戻れば走ってきたエンダに飛びつかれる。もちろんそこには欠けている人たちや痛みを伴う記憶や取り戻せない悲しいことがいっぱいあって――それでも、確かに悪いことばかりではない。
ようやく虫を食べないようになったから、最近のエンダは本当にお利口だなあとかそういうことを考えていたせいで、「まあ私の好きを全部あわせても、メロさんのマナ好きにはかなわないけどね」うっかりネルのひと言をきき逃しかける。
「えっ?」
ぎょっとして振り向くと、ネルはすでにサンドウィッチの残りに取り掛かっていた。
「えって? ううん、なんにも?」
「――ちょっと、今度こそほんとになにか言ってたでしょ!」
「ええっ、なにかって何!?」
「ネ、ネルの意地悪!」
赤面したマナが逃げ出そうとしたネルをつかまえ、その手を振り払おうとネルがもがき、にぎやかにきゃあきゃあと揉みあっていると、
「楽しそうですね、なんのお話ですか?」
明るい声が降ってきた。見上げると、脇に土埃に汚れた兜を抱えたアルソンが、にこやかに二人を見つめていた。
「あっ、お帰り!」
「お帰りなさい、アルソンさん――ご無事で何よりです」
「ただいま戻りました。無事なのは同行して頂いたテレージャさんとキレハさんと、それにマナさんに祈って頂いたおかげです。あのー、それで、ええと、お二人は一体何を……」
マナが慌ててネルの腰から両腕を外すと、ネルはアルソンの背後に逃げ込んだ。
「危ないところだったよアルソン、きみが止めてくれなかったら私はいまごろマナの手にかかって……」
「どうもなりません! もうっ、ネル!」
「うむ、そういうことなら遠慮せずにどんどん続けたまえ」
「テレージャ?」
アルソンに遅れて、テレージャとキレハがテーブルに近づいてくる。三人が揃って無事な様子にマナはほっとする。いいことの中にもほんの少しは悪いことがあって――仲間といえる彼らは遺跡の探索者で、毎日無事に帰還するとも、翌日にまた会えるとも限らない。にぎやかに帰還の挨拶を交わしあった一同が再びテーブルに着席するまでのざわついた隙に、マナは一瞬だけ目を閉じ、胸中で短く女神へ感謝の祈りを捧げた。
目を開けるとむかいの席で、テレージャがからかうような微笑を浮かべていた。
「私がアークフィア女神なら、きみには喜んで蘇生の秘儀を授けるだろうね」
「……そんなことは……テレージャさん、なんだか今日、すごくお綺麗ですね」
「おや、ありがとう。きみもかわいいよ」
「そ、そういうことではなくて」変人巫女というよりは不良巫女の方が近いんじゃないかなあこの人と思いつつ、マナは言葉を探す。「遺跡から戻られたところなのに、埃っぽくないなあって」
「ふむ、わかるかね? 温泉に入ってきたんだよ」
隣のテーブルから空いた椅子を引っ張ってきたアルソンが、笑顔で話を引き継いだ。
「キレハさんに案内して頂いて……僕、皆さんのどなたかとはお会いできると思ったんですけれどね」
彼らが話している温泉というのが、先日竜を退治した場所のことだとわかった。マナはあーっと声をあげ、キレハの方を見る。
「また行かれたんですか? いいなあ!」
「ええ。このあいだは随分気持ちよかったから――今日もさっぱりしたわ」
長い髪をふんわりとかきあげ、キレハが涼しい声で言う。テレージャがすかさず口をはさむ。
「アルソンくんは我々の玉の肌を見られて、役得というわけだ」
「へ、変な言い方よしてくださいよ。むしろ僕の方が見られて大変だったじゃないですか!」
「大変だったって……あのね、入浴中にあんなに足を突きだす必要がどこにあるのよ!? てっきり水中に怪物でも出たかと思うわよ!」
ネルが「温泉って?」とマナにきき、マナがこのあいだ小人の塔の地下で、と説明を始める。その間にアルソンたちの会話は、あっという間に言いあいに変化していた。
「あれは気分ですよ、僕はああしないと入浴したなーって気分になれないんです!」「変態だね」「違いますよ! ていうかキレハさんこそ先に声をかけてくれれば……いきなり詠唱を始めちゃうんだから、それこそなにかあったかと思いましたよ!」
「武器を手元に寄せておきすぎるのも問題だよなあ――キレハくん、きみもまたどうして風なんか呼んだのかね」
「だ、だってああいう場所では視界を確保するのが先決でしょ」
「こうしてきくと冷静だなあ」
「あの場でも冷静だったでしょうが! それを責めるのは待ちなさいよ、おかしいじゃない、そこは全然納得いかないわよ!」
「全部見られて恥ずかしかったですよ僕は!」
「男のあなたがなんで恥ずかしがるの! むしろ見られた上に見ちゃったこっちの方がね!」
「私は全然気にしていないよ」
しれっと言ってのけたテレージャに、アルソンとキレハが揃って「そうでしょうとも!」と突っ込みをいれる。
喧騒の中でテーブルに肘をつきくつろいだ表情をしていたテレージャの視線が、上へ、アルソンの背後へと移動した。
アルソンが視線を追って振りむいた。
――パリスとシーフォンが、いつのまにかアルソンの背後に立っていた。全身から発散される威圧感といい表情の厳しさといい目線の冷たさといい、雪に覆われた連峰を彷彿させる二人であった。
吹きつける吹雪のような視線をもろともせず、アルソンが元気よく挨拶した。
「あ、どうも。お二人とも、今日は温泉にはおいでじゃなかったんですねえ。僕はてっきりお会いできるかと」
「……よりにもよってテレージャとキレハときたか……」
パリスがぽきぽきと拳を鳴らしながら、低い声でつぶやいた。
「しかも風を……本当にまるきりのアクシデントで風を……音すら気にせずに風だと……?」
杖を握りしめたシーフォンの上半身を覆うローブが、不穏な感じにゆらゆら揺れている。
左からはシーフォン、右からはパリスが、アルソンの腕をつかんで起立させた。「えっ? えっ? なんです?」「ちょっと来い」「ツラ貸せよお貴族さま」「あれっ、なんだか怒ってませんか? ていうかちょっと待ってください、温泉行かなかったんですか!? な、なんでです? 普通に誘えば都合があえば女の子はうん行くよって言いますよね……えっ、ふざけんな? って何が?……ちょっとおおお!」そのまま二人はアルソンを引っ張り、ずるずると開いた戸口の方へと連れて行く。
「え」
椅子から腰を浮かしたマナが声をあげた。
「パリス、シーフォンくんも! 一体どうしたの――えええっ? と、止めなくても大丈夫でしょうか?」
「まあ大丈夫だろ。みんな大人だから、喧嘩になっても手加減はできるさ――なんだか事情は知らないけどさ」
「アルソンも甲冑のままだったじゃない。重傷は負わないんじゃないかしら」
そろって冷静な返事だったが、テレージャとキレハの表情を見る限り、単純に『面倒くさい』感がみなぎっていた。――探索を終えて一日の汗を洗い流し、宿に帰りついたあと、人は誰しも世はなべて事もなしというくつろいだ気分になるものだ――不思議な物で一旦くつろぎ始めると、人間は簡単なつまみを作って酒を飲むことくらいしかできなくなるものだ。一人で余力の残るネルはネルで、なぜか変に納得したような落ち着いた顔でうなずいていた。
「アルソンもみんなと仲良くなったよねえ。三人とも最初はあんなに喧嘩ばっかりして噛みあわなかったのにさあ。お姉さん嬉しいよ」
「あれって仲いいの?」
「うん、男の友情だと思う」
ネルが自信たっぷりに断言する語尾に重なるように、いまひとつ男らしさに欠ける裏返った悲鳴が外からきこえてきた。ような気がした。
end