/
1・エンダがどこからか火炎蜥蜴を拾ってきた
2・マナがそれを殺そうとした
3・喧嘩になったが両者とも譲らず
4・火炎蜥蜴を連れてエンダが家出した
というのがその日の夕暮れ、突然パリスの家を訪れたマナが手短に語った来訪の理由だった。
パリスとチュナは食堂で夕食の途中だったが、話を聞き終わると同時に口をそろえて、「そりゃあマナが悪いよ」と言った。その言葉にぴくりと瞼を震わせたのはマナの背後に立ったメロダークで、マナの方は両手を胸の下で組んでぴんと背を伸ばし、最近ではすっかり板についた巫女らしい物静かな表情で、二人の抗議を正面から受け止めた。
「でも火を吐くトカゲを神殿に置いておくことはできないもの。人間に害を与えるまえに、殺さなきゃ」
口調こそ柔らかかったが、きっぱりと断言するマナの両目は、びくともしないような硬い輝きを帯びていた。
眠り病から目覚めてから、チュナは時々、マナが変わってしまったと思う。今もそう思った。マナはマナだから怖いとか嫌だとか思ったりはしないけど。
「お前、それエンダに言ったわけ? 馬鹿じゃねえの?」
幼馴染みらしい遠慮のなさでパリスがそう吐き捨てると、メロダークが再び身動ぎした。眉間に皺がよって、ほんの少し不快そうにパリスを見つめている。チュナは口の中の肉を咀嚼しながら、このおじさんがマナに絶対の絶対に服従していることに、改めて感心した。こんな風に誰かから好かれるのって、一体、どんな気分なんだろう?
「火を吐くトカゲってよ、そりゃエンダじゃねえか。オレがエンダでも怒るぜ」
「エンダはトカゲでも怪物でもないわ。それに私、エンダには自分がそういう風だと思って欲しくないの。エンダはエンダだもの」
「神殿育ちはこれだからよ」
パリスがため息をついて立ち上がった。
「おう、チュナ、ちゃんと鍵かけて寝てろよ。朝までにオレが戻らなかったら、店は開けなくていいからな」
チュナは口の中の物をいそいで飲み込んだ。
「わたしも行く」
「子供は家でじっとしてろ」
にべもなく断られてしまう。いつもはそれなりにチュナの味方になってくれるマナも、今日はどうやらパリス側のようだった。チュナの視線を受けて、マナは両手を左右に広げた。ぐい、とかなり思い切った大きさまで広げてから、あのね、と真面目な顔で言う。
「このくらいの大きさなの。エンダのトカゲ」
パリスが目をむいた。
「おい、先に言え! 手ぶらで行くところだったぞ!」
「手ぶらでいいよ、ネルに頼んで火を防ぐ防具と武器を用意してもらっているから。ひばり亭でテレージャさんと合流してから行こう」
「エンダはどこからそれを連れてきたんだよ?」
「洞窟に入ったらしいんだけど、詳しく聞く前に出ていってしまって」
マナたちが行ったあと、残されたチュナは玄関の扉に鍵を掛けてから、通りに面した出窓に急いで駆け寄った。カーテンを開け、ひばり亭へ向かう三人の背中を見送る。メロダークが一番背を高く、一番小さいのがマナで、パリス兄さんは中くらいだ。それなのに、誰が一番強いの? ときいたらみんながマナを指さして、マナは困ったように笑うけれどそれを否定しないのだった。わたしが眠り病になる前は、パリス兄さんは喧嘩慣れしていて、ネルは力が強くて、マナはおとなしい神殿の子だったのにな。
ホルムの町は夕闇に覆われていて、家々の窓からは温かな明かりが漏れている。三人は肩を並べ、時々はマナが先頭に立ち、振り返り、パリスにメロダークが何かを手渡して、そうやって通りを遠ざかっていく。
前に住んでいた屋根裏の部屋からはパリスの背中をずっと見送ることができたけれど、今のこの家の窓からは、角を曲がるところまでしか見送れないのだ。
一人で残されるのは、やっぱり、嫌だ。今はもうパリス兄さんは必ず帰って来ると知ってるから、以前ほどは怖くないけど。
チュナは窓ガラスに額を押し付け、両目を閉じて短く女神様に祈りを捧げた。
アークフィア様。
どうかパリス兄さんが無事に戻って来ますように。
三人とエンダが怪我をしませんように。
エンダとマナが仲直りできますように。パリス兄さんをエンダをマナをメロダークを、テレージャさんをネルを、すべての人をお守りください――。
ガタン、と玄関の方から物音がして、チュナは組んでいた指を解いた。忘れ物をしたパリスが戻って来たのだろうか。さもなければ近所の人が訪ねてきたのかもしれない。だが玄関の扉の上部についた覗き窓を押し開けると、そこには銀色の髪の毛が見えた。
「エンダ!?」
「おー」
竜の子のいつもの返事が戻ってくる。チュナはいそいで鍵を外し、扉を押し開けた。
「さっきマナとメロダークが来たんだよ。エンダを探して……」
「知ってる」
エンダが重々しい口調で答えて、扉の影に隠れてた巨大な蜥蜴を撫でた。しゅるしゅると炎がまとわりつく舌を出し入れする蜥蜴の頭は、エンダやチュナの頭とちょうど同じくらいの高さにあった。先ほどマナが両手で大きさを教えてくれたわけだが、あれに尻尾は入っていなかった。
チュナは勢いよく扉を閉めた。
エンダと蜥蜴が猛烈な勢いで扉にぶつかりはじめた。
「おい、開けろチュナ! エンダは家出してきたんだ、匿え!」
チュナは背中で揺れる扉を押さえながら、絶叫した。
「トカゲは無理! その大きさは、絶対、無理ー!」
*
食堂の椅子にエンダが座ってパンと肉をもりもりと頬張って食事をする間、火蜥蜴は、暖炉の灰の中でぬくぬくと丸まっていた。チュナは以前、年を取った大きな亀の背中に、苔が生えているのを見たことがある。この巨大な蜥蜴の背中には、苔の代わりに小さな炎が赤くまとわりついていた。
暖炉の側に座り込んだエンダは、無造作に尻尾の付け根をひっかいてやっている。
「ここを掻くと喜ぶ」
そう教えてくれた。
いらない情報であった。
チュナが大きな器に注いだシチューの残りを、エンダは嬉しそうに食べた。
「それであんた、どうするつもりなの?」
「どうするかな。まだ決めていない」
エンダはむぅ、と眉根を寄せた。
「マナがわからずやなんだ」
「……わかられたらまずいと思う。色々と」
「エンダはなー、こいつのお母さんなんだぞ」
エンダの言葉はいつものように今ひとつわかりづらい。それでもシチューをおかわりして食べ終えるまでに、洞窟に行ったら(でもなんで? という問いにエンダは答えなかった)火炎蜥蜴に襲われたこと、やっつけた後で蜥蜴が巣を守っていたとわかったこと、巣の中には割れた卵があって、孵ったばかりのこの蜥蜴がシュルシュルと威嚇していたが、エンダを見て親だと思ったらしいこと――そういったことがわかった。
エンダはそうと説明せず、そうと知らないチュナは当然気づかなかったのだが、それはつまり、エンダ自身が孵化してマナに名付けられた時とよく似た状況であった。竜の子は名前をつけることはできなかったが、自分がそうされたように餌を与え、お母さんを名乗り、地上まで蜥蜴を連れてきたのであった。
「なのに殺そうとする。マナはひどい奴だ」
エンダの怒りは筋が通っている。親を知らないチュナにもその怒りはまっとうに思えたので、チュナは最初よりは熱をこめて頷いた。
「そうだね。殺すのはちょっとひどいかもね」
「エンダはなあ、マナが好きだぞ」
「う、うん、知ってるよ。それがどうしたの?」
「でもな、譲れないこともあるんだ。だからこの蜥蜴は殺させない。エンダの……」言葉を選んでいたが、「子分だ」と言って締めくくった。
「あんたさっき、お母さんだって言ってたじゃない」
「むー。でもエンダはトカゲじゃないからな」