竜の塔/マナ メロダーク
町の娘たちの間で、当たる、と噂になっているのだ。
占い屋だ。
橋のたもとに掛けられた大きなテントは、黒いボロ布のいたるところが水染みでまだらに色褪せ、川風にパサパサと音を立てて表面を波打たせ、天辺には黒い鳥が止まって不吉な声で鳴き、あまりにもいかがわしすぎて一種堂々たる風格まで漂っていた。
橋の上で足を止めた大河の巫女は、人通りがないのをいいことに、この黒い占い小屋を無遠慮かつ大胆にじろじろと見下ろしていた。
大河神殿は聖職者と信者に対し、異端の魔術と関わることを禁じている。
しかしユールフレールから遠く離れたこの田舎町では、魔術への忌避感はほとんど存在しない。元からの土地の気風や巫女長を務めるアダの鷹揚な宗教観も手伝って、アークフィア信仰と土着の魔術が「それはそれ、これはこれ」という極めてなあなあな態度で仲良く共存しているのであった。
神殿に拾われた孤児であるマナは、ホルムでおそらくはたった一人、占い屋に抵抗を感じている少女だった。
ほとんど死文化しているといっても戒律は戒律で、そもそもデネロス先生のように薬や癒しで人々を助けるまじない師ならともかく、占い師というのはどうにもいかがわしい。
だが、当たる、という評判なのだ。
特に恋占いが。
テントに目を据えたマナは厳しい表情を崩さなかったが、胸の下で組んだ両手の親指が、もぞもぞと動きだした。
好きな男の子はいない。子供の頃から自分は巫女で、女神様、大河神殿、ホルムの人たちのために一生を捧げるのだと漠然と自覚していたためか、そういう方面にはとんと疎い少女だった。
しかしそれはそれとして、
――気になる。
一体、どんなことを言われるのだろうと思う。恋愛は自分とは関係がないと決め込んでいたが、恋そのものへの憧れはある。ホルムがこんな時期にこういったことではしゃぐのもどうかと思うが、好奇心が抑えきれない。
マナはちらりと橋の向こうに目をやった。ここで今日のお昼にと約束をしたのだが、ネルがやってくる気配はなかった。雑貨屋が忙しいのかもしれないし、ひばり亭へ薬を届けに行ったのかもしれない。マナは密かにため息をついた。未練がましく最後にテントを一瞥し、神殿に戻ろうと決めた時、橋の向こうから近づいてくる長身の男の姿が目に止まった。
「メロダークさん」
マナの側まで来ると、メロダークは少女の見ていた方へと視線を向けた。探索から戻ればすぐに巫女装束か平服に着替えるマナと違い、傭兵はいつも甲冑姿だ。
「なにかあったか」ときく。「……あれは?」
「占い師のテントです」
「まじない師か」
眉をひそめ、吐き捨てるように言った。西方では、魔術は異端だ。ここよりはずっと厳しく忌避されている。西方出身かはわからないが、メロダークが魔術に対してこういう態度を取るのは、マナには意外だった。神官の修行を積むハァル信者といえども、傭兵という仕事柄、魔術にも魔術師にもそれなりに縁があると思っていたのだった。それでマナは、少し控えめな声になった。
「当たるって評判なんです」
「……」
巫女のくせにと叱られそうな気がしたが、嘘をついたりごまかすのも嫌だったので、正直に言う。
「それで、一度行ってみたくてネルを誘って……でも、ネルが来なくて」
「今日、探索を早くに切り上げたのは……」
「す、すみません」
「謝ることでもなかろう。時間ができたおかげで、私も料理を作れた」
「メロダークさん、お料理もなさるんですか」
マナは感心したのだが、メロダークはそれを軽く流す。
「単なる趣味だ。それであの占い屋は、町に元からいるまじない師か?」
「いいえ。怪異が起こるまでホルムにいる魔術師は、デネロス先生だけでしたから」
「ネスの人間か?」
「信者さんの噂だと、ネスやシーウァのあちこちで占いをして来たお婆さんだそうですが」
メロダークは顎に手を当て、考えこむ素振りを見せた。「……旅の占い師か」独り言のようにつぶやく。マナの方を向いた。
「今から入るのか」
「そのつもりだったんですけど、一人ではちょっと……。もう帰ろうかなと思っていたところです」
メロダークは、マナが予想もしていなかったことを言った。
「それなら、私が一緒に行こう」
「メロダークさんが?」
「ああ」
マナは軽く顎を引いて長身の男を凝視し、二人の視線が空中でぶつかった。
「……なんだ」
「あっ、いえ。占いなんて、あまりお好きではないかと思っていましたので」
「占いに興味はない」
即答したあと、メロダークは沈黙した。
「お前が」
「はい」
「行きたいのなら、つきあおうと」
なんだかマナのことはどうでもいいように聞こえたし、第一この男が自分に対してそれほど親切にする理由も思いつかなかったのだが――マナにとっては『言い訳が立った』。
「そうですか? でもメロダークさんがそうおっしゃるなら……ご親切を無下にするのも失礼ですものね!」
元気よくそう言うと、橋のたもとへと続く石の階段へと小走りに向かった。メロダークの先に立ち、急な階段を弾むような足取りで下りはじめた。
「すごくよく当たるっていう評判なんです! 特に恋占いが。ホルムの女の子たちの間ではこの噂でもちきりで。こんな時に不謹慎なってお怒りになる人もいるんですけれど、巫女長様は、こういう時だからこそ占いに夢中になるんだろうねって。本当は、若い人も神殿に来てくださったらいいんですけれど、今はアダ様が、アダ様というのは巫女長のお名前です――信者の方の悩みや相談をお一人で全部聞いておられて、それこそこんな時期ですから、若い人はどうしても遠慮してしまうみたいで。だからといって私が相手だと、年が近いせいでかえって相談できないこともあって……でも私がもっと年上だったとしても、恋占いは、ねえ。神殿ってそういうことを気軽にお話できる場所じゃないですもんね」
おしゃべりに夢中になりはじめたマナの言葉を遮って、
「お前は何を占うつもりなのだ」
と、メロダークが言った。
「えっ? えーっと」
「恋占いか?」
特に興味もなさそうに問われる。
「巫女なのにまさか」軽薄さを責められたような気がして、マナは少し元気をなくした。ネルと二人ならそれでもよかったのだが。他愛のないお遊びだとお互いわかっているし、結果について後からあれこれ言い合うのも楽しい。だがさして親しくもない、しかも大人でそのうえ男性のメロダークが相手では、それも憚られた。冗談があまり通じなさそうな人でもある。「……どうしましょうか。メロダークさんは何かありますか?」
「……あるわけがなかろう」
「お怒りにならなくても」
「怒ってなどいない。町のこれからでも聞いたらどうだ」
「それは、アークフィア様がお導きくださることですから。こういう場所では、戯れでも尋ねたくありません」
これはきっぱりとマナは返事する。
「では、聞くのは自分のことか。将来か、恋か」
「どうしてそればっかりお勧めになるんです。じゃあメロダークさんの恋占いにしましょう」
「馬鹿らしい」
さしたる険悪さもなく言い争いながら、テントに到着する。
入り口には二重に布が垂れており、マナが二枚目の重い布に苦労していると、後ろからメロダークが手を伸ばし、持ち上げるのを手伝った。中からは薄明かりが漏れている。ねっとりと重く甘い香りが漂って来た。
二人の背後で布が閉じたあと、狭いテントの中は、思いもかけないような静寂に包まれた。すぐ横を流れる川のせせらぎも、大通りの騒音も聞こえない。木の骨で支えられたドーム状の低い天井の中央に、絡みあう蔦と竜の意匠が施された真鍮のランプが下がっている。テントの大半を締める丸テーブルにはいかにもな水晶球が乗っており、そのむこうで、ぼろぼろの長衣をまとった小柄な老婆が二人を見つめていた。
いらっしゃいもようこそもなしだった。老婆は入ってきたマナを見るなり、ぎょっとするような甲高い声で笑いだした。身にまとうぼろの布が、笑い声にあわせて炎のように揺れた。マナはたじろいだが、奇妙な哄笑は束の間のことだった。老婆は笑いだした時と同じくらい唐突にぴたりと笑い止んだ。
「お客さんかね。お入り。お入り」
一転して満面の笑みを浮かべ、少女と男を手招いた。テーブルの周囲にはいくつか椅子があり、そこに座れと尖った爪で示す。マナは早くも緊張していた。不安げにメロダークを見やる。天井に頭を打たないよう身を屈めた男は、冷静な表情でテントの中や老婆を見回していた。探索中と変わらぬ様子にマナはなんだか安心し、椅子に腰を下ろした。
真紅の飾り房がついた繻子のクッションに、小ぶりの水晶球が置かれている。橙色のランプの明かりに照らされた水晶球は怪しげな光を放ち、その内側には不気味な鳥か邪悪な霊のような影が曇りとなって揺れていた。目をあげると老婆が、いや、乱れた白髪を振り乱した魔女が、ニタニタと笑いながらこちらを眺めている。このわかりやすく神秘的な雰囲気にマナは手もなくどきどきしはじめたのだが、マナの隣に座った中年の男がもぞもぞと尻を動かし、「ガラス玉だな」とつぶやいた。マナがじっとメロダークを見た。
「なんだ」
黙っていてください、と言いかけたが、さすがに失礼すぎる。
「……なんでもないです」
「ガラス玉じゃないよ」
「す、すみません」
そ知らぬふりをしているメロダークの代わりに、マナが謝罪した。魔女が気を悪くした様子もないのにほっとしたが、それも占いの金額を告げられるまでの間だった。
「二百ですか」
高い。
「他の方から、お代は五十とうかがったのですが……」
マナは、恐る恐るそう質問した。控え目な値切りであった。魔女が大きく口を開けて笑った。皺だらけの顔にさらに皺が増え、目がどこだかわからなくなる。「イイーヒッヒッヒ!」と、再び甲高い鳥のような声がテントの中に響いた。
「不満かい? 運命が違えば値段も違って当然さ。たったの二百だよ! 二百Gで占ってやるよ」
わかったようなわからないような理屈だった。
「私が払おう」
メロダークがそう言って、銅貨を卓上に置いた。
「あっ、えっと……」
「おごりだ」
「メロダークさん! 駄目です、そんなの。頂けません」
マナは慌てた。銅貨を返そうとするが、メロダークは腕組みした手を動かそうとすらしない。
「……じゃあ、私ではなくメロダークさんを占っていただくということでどうでしょう」
「駄目!」
と、きっぱり言ったのは魔女だった。
「あんたのための占いじゃぞ」
マナは窮地に陥った。殺気さえ感じさせるような力をこめた視線で、メロダークと占い師が少女を見つめている。狭いテントの中で、マナは、大変な圧迫感を覚えた。
――なんでこんなことに……?
小さくなったマナは、とうとう
「……じゃあ、お願いします」
とつぶやいた。「でも何を……」占って頂くのか決めていなくてという言葉を最後まで言い終えることはできなかった。椅子を後方に蹴り飛ばして魔女が立ち上がり、ぐわ! と上半身を後ろに逸らしたかと思うと、テントが揺れる勢いで、絶叫したのである。
「キエエーッ!
キエエエーーーッッ!!
キョエーッ!
ギョキョギョィエエエーーーッッ!!」
息継ぎした。腰を半分浮かして逃げ出す姿勢になったマナと、その隣で微動だにしないメロダークを見据え、カッと両目を見開いた。血を吐くようなどでかい声で叫んだ。
「――見えたッ! そなたはメロダークのことが気になっているようじゃ!!」
ところで水晶玉を使っていない。
橋の上に戻ってしまえば、いつも通りの真昼のホルムだ。東には広場のオベリスクの天辺が見えており、西にはホルムの鐘楼がそびえている。階段のせいではなく、マナの心臓はまだどきどきいっていた。テントの空気は怖かったし、魔女のあの絶叫にはものすごくびっくりした。遺跡ではもっと恐ろしい夜種たちを相手にしているわけだが、お金を取ったうえで叫び声をあげる夜種はいない。無言のまま気持ちを鎮めるマナの側で、メロダークはいつもと変わらぬ落ち着いた横顔であった。
――メロダークさんは、大人だな。
こっそりと、マナは感心した。最近のマナは、探索中に何かあるたび泣いたり笑ったり動揺する自分があまりにも子供っぽいような気がしていて、今度もまた、あからさまに怯えてしまった自分を恥じた。神官としてもこういう風に、何事も動じない、気持ちの強い大人になりたいものだと思う。
メロダークがくるりと振り向き、マナに言った。
「驚いたな」
真剣な声だった。
マナはまじまじと男を見つめて、それから、ぷっと噴きだした。
「……なんだ」
両手で口元を覆ってくすくす笑いはじめ、訝しげなメロダークをよそにひとしきり笑ったあと、ようやく息をついた。笑いすぎて滲んだ涙を拭う。
「びっくりしていらしたんですね! メロダークさんも……」
「それは、驚くだろう。あんな声で……」
「ね! 揺れましたよね、テント」
「ランプもな」
「それに、あの占い! あれ、メロダークさんがお金を出してくださったせいですよね? あれできっと誤解しましたよね! あてずっぽうで――」
「……適当に名前を出したな。あれがよく当たる恋占いか? あれなら、私でもできる」
メロダークがますます苦い顔で言い、マナは声をあげて笑った。笑いながらあの占いをでっちあげだとメロダークが一蹴したことに、内心で安堵していた。メロダークに対するまっすぐな敬意や仲間としての信頼を、変な風に取られるのは嫌なことだった。
「まじない師どころかとんだいかさま師だ。西方なら縛り首だぞ」
「怖いことをおっしゃらないでください」
これまでより打ち解けた、気軽な調子でマナが言った。
「あっそうだ、お金。お返しさせてください。あれじゃあんまりですもの」
「構わん、おごりだ。何度も言わせるな」
メロダークはこれで話は終わりだという風にマナの側を離れた。マナも男を引き止めなかった。
「あの、今日はありがとうございました」
離れていくメロダークの背中に声をかけると、肩越しに一瞥される。返事をするわけでもなく仕草で合図をするでもなく、いつも通りに愛想のないことであったが、マナが「また明日――」と大きな声を出すと、もう一度、今度はさっきよりもしっかりと振り向き、わずかに頷いてみせた。すっかり嬉しくなったマナは笑顔のまま、袖がはだけるのも構わずぶんぶんと片手を振った。
「また明日! ありがとうございました、メロダークさん!」
魔女には負けるものの巫女としてははしたないくらいの子供っぽい大きな声をあげ、去っていく男の背を見送ったのだった。
end