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指先

グッドエンド後/メロダーク マナ

 火を落とした部屋は寒く、少女の指先は冷たい。
 温かいのは体に巻きつけた毛布の中だけで、熱いのは肌が触れ合った場所だけだ。
 積もった雪が音を吸い込むのか、石造りの宿舎を満たす静寂は深く、冷たい。馴染んだ寝台の上に座り、恋人の背中をいつものように抱きしめていても、なぜか不安な気持ちになる。
 多分鼓膜どころか体を圧迫するような静けさのせいだ。
 そうでなければ茫洋とした雪明かりのせいだ。
「なにか話せ」
 白い髪に鼻先をうずめ、小さな耳に囁くが、返事がない。両腕にすっぽりとおさまって、男の胸に上体を預けたマナの呼吸は深くゆるやかだ。眠っているのかと思ったが、長い沈黙のあとかすかに身じろぎした。
「どうしたんですか?」
 マナの声は耳より先に胸に響いた。
「いつもは黙っていろっておっしゃるのに」
 いつもはずっとしゃべっているからだ、静かにしてしかるべき時にまで――そう言ってやろうとしたが、その前にマナが毛布の中で体を離し、夜着の襟を正して座りなおした。背中はこちらに向けたまま、薄い霜が張った窓を見つめる。神殿の庭に、墓地に、道に、家々の屋根に、森の木々に、ホルムのすべてに降り積もった雪は、月光を反射して輝き、室内は不思議な明るさに満ちていて、マナの横顔はひどく凛として見える。
「今日は冬至節なので、夜が長いな、と思っていたんです」
 そう静かな声で言った。
「ああ。沢山やれるな」
 毛布の中でマナの背がまた遠ざかった。これだけ隙間ができると寒い。抱き寄せようとすると抵抗される。伸びてきた手を振り払い、振り向いたマナが、いささか固い声で言った。
「雰囲気、というものがあります」
「うむ?」
「あるのですが、メロダークさんには時々、全然、ありません」
「あった方がいいのか、それは」
「あると嬉しいというか、ないと――だって――だって、あの、なければそういう気分になれません」
 自分から言い出したくせに、途中から申し訳なさそうな顔になっている。
 以前同じようなやりとりをした際には途中で面倒になって、「どうせするのだろう」と口と手を滑らせ、その後マナが機嫌をなおすまでには時間がかかった。とてもとても長くかかった。それを思い出し、今日は慎重に言葉を選び、考えた末に、「気をつけよう」と答えた。
 どうやらそれで正解だったらしい。こわばっていたマナの肩がすとんと落ちたので、よし、と内心でつぶやき、だが表情は真面目なままで体ごとこちらに向きなおる少女を見つめていた。こちらを伺うように見つめていたマナは、やがてほっと息を吐いた。じりじりと膝を進めて距離を詰め、今度は自分から抱きついてくる。
「雪の夜は静かすぎて、なんだか怖いような気がしますね」
 メロダークが感じていたのと同じようなことを口にした。
「河の音まで遠いようで」
 そう囁くと右手を伸ばし、シーツの上にあったメロダークの左手を握った。マナの手は夏も冬もひんやりと冷たい。
 探索をしていた頃ふとした折に、メロダークさんの手はとても熱いんですねとまるで邪気のない顔で言われたことを思い出す。二度目に同じ言葉を口にした時は、暗闇の中表情も見えず、だが首筋に押しつけられた唇から漏れる少女の声も息もひどくかすれていた。
 いつかの夜のことを思い出したせいで、急に温もりよりも強く、毛布の中で自分に触れた乳房の柔らかさや肉体の重みが意識された。
 自由な右手でマナの腰を抱き、掌をゆっくりと動かすが、少女は安心しきった表情で両目を閉じており、くすぐったがる素振りすら見せなかった。耳の縁に唇で触れれば何気なく首の向きを変えられ、拒絶の意思すら見せぬまま振り切られる。一度意識すると『雰囲気』を出すのは難しい。せっかくの長い夜なのに妙なことになったなと思う。マナが顔をあげた。
「えっ? なんです?」
「雰囲気、と言ったのだ」
 ひと呼吸おいて、マナがぷっと噴きだした。
「何がおかしい」
 そうきくと、くすくすと笑いながら、ごめんなさいと言った。
「あの、あまり気になさらないでください。雰囲気が全然ないのは時々で……えっと……別の時には、いっぱい、あります。少し困ってしまうくらい」
 言葉遊びは苦手だ。メロダークは一瞬難しく眉をひそめて考え込んだ。
「どういう意味だ」
「つまり……ん……」
 口ごもったマナは、つないだ手の人差し指を動かし、メロダークの手の甲を軽く擦る。誘うような動きだった。
「メロダークさんの好きになさってください」
「……」
「あっ、そ、そういう意味では! すみません、待って、そういうのではなくて! じゃなくて、どうか気をつかわないでください、という!」
 もう一度少女の体を抱き直し、もがいた足が蹴落とした毛布を拾いあげる。さきほどより寒さが和らいだ気がしたのでそう言うと、
「暴れたせいです」
 マナが怒ったような声をだしたが、目元はすでに笑っていた。


 広げた手を重ね、指を絡め、少女の細い指を撫でる。人差し指の根元から先端までを、親指の腹で擦りあげた。光沢を帯びた小さな爪の、滑らかな感触に少し驚く。硬く分厚く、形も不揃いな自分の爪とは大変な違いだ。こんな部分まで女なのだなと思う。人差し指の腹を、少女の指の頂点に当てる。普段触れることのないその部分を、指先でそっと撫でた。
「あ」
 とマナが息を詰めた。
「そこ……ん……」
「ここは皮膚が薄い」
「……えっ、と……そう……みたいですね」
「触れられると、敏感に――」
 爪を立て、半球の形をした指の先端の皮膚を擦る。
 そうしながら、空いた方の手をもう一度少女の背にそえ、腰へむかってゆっくり這わせていった。マナは男の胸元にぴったりと頬を押しつけ、身じろぎもせずに両目を見開き、握られ、愛撫をあたえられる自分の手をじっと見つめている。瞬きもせずに固唾を飲み、少しの怯えの混ざる無防備な表情を見せていた。少女の呼吸が段々乱れていくのを密着した部分に感じる。指をずらして今度は中指を握る。息を震わせたマナが、メロダークの背に回した手に力をこめた。
 窓の外にはまた雪が降り始めた。
 この場所で彼女を相手に、自分は好きなだけ沈黙し、好きな時に語り、あるいは問うことができるのだと思った。怒り、呆れ、恥ずかしがって顔を背けることがあっても、少女が自分の手を離すことはあるまい。
 満足し、ひどく幸福な気持ちになった。冷たい静けさはもう彼の体と心を圧迫しない。温かく、光を放つ物がここにある。ゆっくりと指を動かしながら、なんの気もなしに続けた。
「――だから、拷問の時にはここによく針を刺すな」
 マナが勢いよく手を引いた。
「もうっ、少し黙っていてください!」
 今度こそ本気で怒った声で叱られ、いつもはなんでもいいから話せというくせにと反論しようとすれば、近づいてきたマナの唇が口を塞いだ。




end

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