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しゃべる人

巨人の塔/ヴァン テレージャ


「見るからに無口な雰囲気」と言われたのが今頃になって気になりだしている。
 無口だって?


 確かに元からおしゃべりとは言えない。口数は少ない方だと思う。
 だが探索中には必要最低限の話はするし、沈黙を好む方でもない。俺が無口ならメロダークは石の壁だ。ともかく出会った最初からテレージャの前では口数が減る。テレージャの前で口をきくのが恥ずかしい。自分でもよくわらかんがそうなのだ。理由について真剣に考えてみると、彼女のしゃべり方が俺と違うせいらしい。つまり今まで意識したこともなかったんだが、訛ってるんだよ、俺。俺っていうか、ホルムの住人全員が。


 ネスは分裂したシーウァ三国のひとつ。獅子公が建て赤熊公が広げた、森と鉄と騎士の国だ。勇猛果敢で実利的な国民性といえば聞こえはいいが、要するに未開の森で剣を振り回して暮らす蛮族どもなのだ。シーウァ三国の残り二つ、聖なるユールフレール島を腕に抱く優美なる西シーウァ、学問と商業の国エルパディアをネスと比べてみれば、その差は歴然だ。この国にユールフレール島のような白亜の大神殿はあるか?――ない。首都シーウァのような洗練された美しい町並みは?――ない。それではエルパディアのような立派な大学や学問所は?――ない!
 ネスは田舎。
 ホルムはネスの田舎町。
 そして俺は貧乏人。
 他人から見れば罪人の遺児、腐った魚の匂いがする港のぼろ家に部屋を借り、今は探索者を名乗っちゃあいるがやってることは夜盗まがいだ。
 一方のテレージャは、西シーウァからやってきた正真正銘貴族のお姫様だ。尼僧院出の聖職者、シーウァ大学のヘロデン教授の教え子。聖職者と知識人の間で訓練を受けた流れるようなしゃべり方に、俺はいつも圧倒される。ああ、彼女の口数が多いのや気が強いのは、この劣等感とは別に関係ない。俺の周囲にいる女たち、オハラもチュナもネルもよくしゃべり弁が立ち気が強い。神殿の巫女長もそうだ。こうして並べてみるとうるさいのばっかりだなホルム(しかしそこでテーブルを拭いているフランと目があったので、軽く手を振って挨拶しておく。まあうるさくはないが、あの子はあの子で騒々しいよな)。
 フランに会釈されて俺が手を下ろすのと、テレージャがようやく口を閉ざしたのは同時だった。テーブルの向かいに座ったテレージャは、先ほどまで古代アルケア帝国と西シーウァの徴税制度における意外な共通点について熱弁を振るっていたのだが、俺の意識が逸れていることに気がついたらしい。
「退屈させたかい?」
 この距離でじっと顔を覗きこまれるとそわそわする。俺は目を逸らす。俺の隣でパリスはすでに眠りに落ちている。テレージャが話し始めた瞬間に、寝た。これはしかし彼女の話が退屈なせいではないし飲み過ぎたせいでもない。三人で朝から遺跡を右往左往し、開錠に失敗して妙な液体を浴び、夜種の群れに追いかけられ、足を滑らせて水に落ち、つまりいつも通りの大変な一日だった。接近戦はパリスにまかせてのらりくらりとさぼっていた俺はともかく、テレージャはか弱い癖に案外頑丈だ。怪物どもを相手に乱闘になっても大怪我を負うこともなく、「神のご加護ってやつかね」とけろりとしている。こっちの心配をよそに、いい気な物だ。一日の終わりに、こうやって酒を飲みつつ歴史談義をするような元気まである。
「……いや、別に」
 妙に間が空いたあと、ようやくその一言が出て来た。
 全然退屈ではない。面白く聞いている。俺もそういう話は好きだ。本当はそういうことを長々と答えたいのだが、言えない。きっと訛りのせいだ。俺の言葉がどう聞こえるのか、心配なのだ。この人は言動の端々で、どうもホルムを片田舎と思っている節がある。この人に限ったこっちゃあなくて、ホルムのよそから来た奴らは大体そうだ。いい気はしないが、まあそうだろうなとも思う。ホルムは田舎町だ。ここが世界の中心だと思い込めるほど無知ではない。俺はこの春から歴史やら神話やらホルムの伝承やら以前は興味がなかった本を山ほど読み、他国の情勢について知り、最近では見よう見まねで古文書まで解読できるようになっている。ホルムがちっぽけな田舎町で俺が単なる田舎者だというのが、身に染みて理解できるようになってきたところなのだ。
「それならよかった。しかしヴァンくんは聞き上手だね。一緒にいるとどうもしゃべりすぎてしまう。酒も強いしさ」
 昨夜もしゃべり疲れて顎が痛くなってしまった、嬉しそうにそう報告する。張りのある美しい声、早口だがなめらかなしゃべり方。東方から来た絹の織物や、雪解けの頃、勢いよく流れる小川の澄んだ水を連想する。
 テレージャは機嫌がよさそうな顔をしている。遺跡と歴史の話をしているときは大体そうだ。黙っていても上品なお姫様には見えない。目が輝きすぎている。なんとなく俺の言葉を待っている気がしたが、俺は酒を飲む。テレージャも酒を飲んだ。飲み終える。間が持たない。
 エールの大杯が三つ、目の前にどんと置かれた。
 テーブルに突っ伏して眠っていたパリスが、びくっとして頭を上げた。振り向くとフランがいた。
「お待たせしました!」
 といい笑顔で言われてしまう。
 ……さっき手を振ったのはそういうのではないのだが。
「いや俺は……」
「ありがとう。気が利くね、ヴァンくん」
 嬉しそうにテレージャが言ったので、まあ、いいか。
「ところでさっきの話の続きだけどさ、アルケア帝国の祭事の記録を見ると、大シーウァ王国が西方諸国をなぜ速やかに統合できたかの謎が宗教的側面から理解できてだね」
 俺は傾聴の姿勢を取ったが、滔々と語りはじめたテレージャは、今回も最後まで話し終えることができなかった。
「前から思ってたんだけどよ」
 大あくびをしながら、パリスが彼女の話を遮ったのだった。
「なんだね」
「あんたって訛ってるよな」
 口に含んだエールを危うく噴き出すところだった。
 逆だ、逆。
 訛ってるのはこっちだろうが。世界の中心はここじゃねえぞ。
 だがテレージャの反応は意外な物だった。ほっそりした指を顎に当てて軽く頷く。
「ああ、そうだね。シーウァと比べるときみたちの発音の方が古代語に近いのは確かだ。アルケア帝国の首都があった場所だからかな。最近では自分が訛っているようで気になることもあるよ」
 もっとも今はここは田舎だけどさと一言とつけたし、パリスがうるせーよと眠そうな声で形だけの抗議をし、エールを飲んだ。
 ……ああ、なんだ。
 パリスは再び突っ伏して眠りはじめる。その手から杯を取り上げて、俺は息を吐いた。
 なんだ。
 俺は別に訛ってるわけじゃなかったのか。
 訛ってるのは、テレージャの方か。
 これまで彼女に感じていた気兼ねや不安はまったく無意味な代物だったわけだ! 気持ちが一度に楽になり、おかしくてくすりと笑ってしまった。これまでとは違った楽な気持ちで、俺はテレージャに向き直った。
 よしじゃあパリスやチュナにそうするように、ひとつ冗談でも言ってやるかと思ったのだが、テレージャと目があったとたん、俺の唇は俺の意志を無視して、ぴったりとくっついた。舌が動かなくなり、口の中からつばが消える。
 いつも通りの沈黙が落ちた。
 テレージャは少し不思議そうに俺を見つめている。出会った時と同じ笑顔だ。長い睫毛。恐れのない視線。俺のことをまるで警戒していない。午後のお茶会で出会った知人に対するような気軽さで、初対面の俺にオベリスクの話を始める。俺は彼女からその話を聞くその瞬間まで、古帝国だの暗黒時代だの、歴史のことなんて何一つ興味がなかったのだ。
 あれ。
 あれっ?



 なぜだろう。
 訛ってないんだよな?
 じゃあ俺なんで、この人の前だとしゃべれなくなるんだ?
「なんだい?」
 なんでもない。
 そう答えようとしたが、口が開かない。
 そう、なんでもなくはないのだ。
 訛っていないとわかったとたん、今度は、俺は気の利いた話すらできない退屈な男と思われているのではなかろうかと心配になる。何か言ったらテレージャをがっかりさせる気がして怖い。テレージャは俺が何か言おうとしている気配に沈黙。二人で押し黙る。俺が焦りだしてどうしようもなくなったころ、テレージャがふっと笑った。
「……ヴァンくんと一緒にいると、どうも調子が狂うなあ」
「いや」
 俺が。
 あの。
 何か言わないと。
(あんた綺麗な人だな)
 頭に浮かんだのはそのひと言だったが、当然そんなことは言えない。別の言葉を探している間に、テレージャがうつむいて、真剣に考えこむ表情になった。やがてぽつりとつぶやいた。
「きみとしゃべってるとさ、私一人が楽しくてきみを退屈させてるんじゃないかと怖くなっちまうんだよ。なんだろうね、この気持ち」



end

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