グッドエンド後/メロダーク パリス マナ
冬至節の礼拝には、いつもより多くの町民が訪れた。
遺跡に端を発する災禍があり、西シーウァと神殿軍によるホルム侵攻があり、それに続く何十年かぶりの戦があった。巫女長のアダがぼやくとおり大河神殿の人気は下がる一方で、そもそもアダから愚痴をこぼされるメロダーク自身が一連の出来事をきっかけに大概神殿から決別した身であった。
そのはずなのに冬至節の午後、メロダークはもはや着慣れた下働きの服装で神殿の入り口に立ち、次々とやってくる信者を迎えていた。ホルムの町の人々はやたらと姿勢のいい大男を不審がることもなく、「冬至節おめでとう」とのんびりした挨拶を交わすと、神殿の中へ入っていった。
祭典の日の警備も神殿の入り口に立つことも慣れているが、あくまで神殿軍時代の話だ。兵士は無視される。下働きは挨拶される。いつもの無表情で通していたが、メロダークはひどく居心地が悪かった。にこにこと笑いかけられるのも、丸腰なのも落ち着かない。いっそ酔漢かチンピラでも来て、喧嘩をふっかけてくれればいいのにとさえ思う。祭日らしく着飾った娘たちの一団にくすくすと笑われるよりは、そういった連中の相手をする方がよっぽど楽なことに思えた。
なかには探索者としてのメロダークを知っている者もおり、「ここで働き出したのかね」と驚かれたりもする。マナに剣を捧げたところ、剣のかわりに箒を渡され神殿に厄介になってどうのこうのという経緯を知っているのは、遺跡で共に戦った仲間たちだけだ。何も知らぬはずの町人は、しかし誰一人としてメロダークに説明を求めなかった。彼らはメロダークを人の良い優しい目で見つめ、
「子供も大人も引き取って……マナちゃんは本当に偉いねえ」
と、しみじみとした口調で言うのであった。
エンダはともかく、年端もいかぬ少女に引き取られる大人とは、一体、なんなのだ。そういう大人に対して、お前たちは気を許していいのか。そう思うが、メロダークは黙っている。マナが誉められているなら、それでいい。
大司祭の説教も各国の王侯貴族の来訪もない、静かな冬至節だった。遺跡が発見されてから住人が増えたとはいうものの、一年を通して途切れなく巡礼が訪れるユールフレールの賑やかさとは比べ物にならない。
祭日だというのに寂しい灰色の町にひんやりとした風が吹いている。神殿の中からは時折、子供たちの歌う聖歌が切れ切れに聞こえてきた。礼拝の前に最後の練習をしているのであろう。不揃いで稚拙な歌声はあの日アーガデウムで聞いた合唱とは比べ物にならなかったが、メロダークはこちらの方が好きだった。
夕闇が濃さを増していくのに連れて、町の空を覆う雲は灰色の厚みを増していった。雪になるかもしれんなと彼は思った。
手洗いのついでに礼拝堂の様子を覗きにいき、手伝いが必要ないのを確認してから、もう一度神殿の入り口に戻った。
木枯らしの吹く通りを眺めていると、港の方からやけに薄着のパリスが歩いてきた。一旦神殿の前を通りすぎたが、すぐに引き返して来る。
「ようおっさん。金貸してくれよ」
開口一番、駄目なことを言った。
「断る」
切羽詰まった様子もなかったのでメロダークが即答すると、パリスはあまり落胆した風もなく「だろうな」と頷いた。
「ここでオレに金を貸すような奴なら、神官としてやっていけねえよ」
「……金が必要なのかそうでないのか、どっちだ」
「ありゃいいけどなくてもいい。や、チュナに冬至節の贈り物を買いに出たんだけどよ、ちょっと入った港の酒場に、サイコロ博打の相手を探してる西シーウァの船乗りがいてよ」
「よそ者を相手に博打はやめておけ。くだらん結果にしかならんぞ」
パリスが呆れた顔になった。
「おいおい、なんで負けたことになってんだよ」
「……違うのか」
「勝ったぜ。勝ったけど、酒場を出たところで物乞いの親子に出くわしたんだよ。冬至節に裸足のガキを見過ごすわけにもいかねえだろうが」
胸を張ってそう言ったが、言い終えるまえにくしゃみをし、背中を丸めた。
「寒ッ」
「ほう。金だけではなく、上着もやったのか」
「いや、上着は次の酒場にエルパディアの船乗りがいて、こいつがカード博打の相手を探してやがって」
「結局負けているではないか。おい、金は貸さんが、着る物なら貸すぞ」
「いいよ、面倒くせえ。人の服で帰ったらチュナがまたうるせえ」
「贈り物もないしな」
「だからなんで買ってないことになってるんだ? 買ったよ。買ってからスッたんだよ」
パリスが腰の道具袋から小さな包みを取り出した。薄い紙を開くと、曇天の夕暮れの鈍い薄闇に、薄紅色の宝玉が鮮やかに映えた。
「西シーウァで流行ってる髪飾りだとよ。たいしたもんじゃねえけどさ、へへ、いいだろ?」
嬉しそうに笑ったパリスは、妹への贈り物を大切そうに再び道具袋にしまいこんだあと、思いもかけないことを言った。
「つうかさ、おっさんはマナに何をやるんだ?」
「……」
「用意してねえのかよ!」
容赦のないつっこみにメロダークは押し黙った。
メロダークの生まれた町とは違い、この町では冬至節に贈り物をしあう風習がある。そのことには薄々気づいていたが、無意識のうちに自分には関係のないことだと決めこんでいたのである。
大体、自分がマナに冬至節の贈り物を渡すのは、たとえばバルスムス殿に物を贈るような物ではないかと思う。おかしいだろう、どう考えても。いや、おかしくないのか? 祭壇に供物を捧げるのと同じことなのか? 考えれば考えるほどわからなくなってくる。メロダークは腕組みを解いた。
「マナは何が好きなのだ?」
「……カエル?」
「そうなのか」
「でも冬だからな。あいつ蛇も好きだよな」
「蛇か。蛇はどうも苦手だ」
「待て、生き物は駄目だ。エンダに食われたら目も当てられねえ」
パリスがむき出しの腕をこすった。
「ま、なんでもいいんじゃねえの? あいつが何か欲しがってるとこ、見たことねえしよ。さて、オレぁそろそろ帰るぜ」
「なんだ礼拝には出んのか」
「神様には興味ねえよ。これからひばり亭で、職人連中ともう一杯だ」
一日に何件酒場に行くつもりなのかと思うが、これもまた冬至節の祝い方なのだろう。おお、寒ッ! と元気よくつぶやくと、パリスは軽い足取りで通りを駆け出した。
そのまま行ってしまうかと思ったが、また引き返して来た。
「やっぱり上着、頼むわ。無理だわこれ」
メロダークがマントを取って戻って来た時には、ホルムの町に雪が降りはじめていた。
冬至節の礼拝が終わるまで、メロダークは一人で神殿の入り口に立ち続けていた。両手を後ろで組み、暮れゆく雪空の下、町並みが白く染まっていく様子を眺めていた。
骨に染みる寒さであったが気にならなかった。この程度の苦痛は苦痛ではない。歩哨に立つのも慣れている。
神殿軍からも大河の神々からも離れた身の上だ。信者と一緒に参列し、神々を讃えるわけにはいかない。メロダークなりのけじめであった。
――マナは、こういう勝手を、怒らんな。
礼拝には出ないと言った彼をじっと見つめ、ひとつ頷いたマナの顔を思い出す。そのかわりに与えられた冬至節の仕事が、これだった。神殿の入り口に立ち、やって来る人々を迎える。知ってください、とマナは言った。この町の人たちを。あなたがこれから暮らす場所に生きる人たちのことを。
通りに並ぶ家々の四角い窓に、音もなく明かりが灯っていく。大河のほとりの小さな町は、メロダークの故郷とはまるで違って、それなのに郷愁を呼び起こした。タイタスは滅んだのに自分がまだここにおり、この先もずっといて、こうして穏やかな心で神殿に立っていることが不思議だった。そもそも武器を持たずに過ごすのが成人してから初めてであることに気づき、メロダークはますます不思議な気持ちになった。
ようやく心から剣を捧げたいと思える相手を見つけたのに、その人はもう剣を振るわなくていいと言う。
神殿の中から大河の波音のようなざわめきが聞こえて来た。笑い声、話し声、足音と外套の衣擦れ。どうやら礼拝が終わったようだった。メロダークはそっと神殿の入り口を離れた。礼拝堂からの人の流れを避け、中庭を挟んだ反対側の回廊へ足を向ける。
「メロダークさん!」
礼拝堂の方から名前を呼ばれ、メロダークは立ち止まった。礼拝を終えて出てきた信者たちの間から、巫女の正装をしたマナが顔を出した。中庭を横切って急ぎ足で近づいてくる。少女の粗末な靴の下で、積もった白い雪がさくさくと柔らかな音を立てた。
礼拝を終えたばかりのせいか、頬が上気している。ずいぶんと楽しそうだ。太い柱の影に隠れるように立ったメロダークのそばまで駆け寄ってくると、彼を見上げて笑った。
「冬至節おめでとうございます」
「ああ、おめでとう」
「メロダークさんもお疲れ様でした」
「疲れるようなことはしていないが……」
メロダークが言い終えるより先に、マナが両手を伸ばし、男の手を取った。冷気に晒されてかじかんだ手を包み込む少女の温もりは心地よく、そのせいで振り払うのが遅れた。
「ほら、やっぱり。宿舎か食堂にでもいてくだされば良かったのに、礼拝が終わるまで、ずっと外にいらしたんでしょう?」
「……お前は礼拝の直後に、こういう軽率なことをだな」
マナの指をそっと外してやりながら説教をすると、マナは困った顔になった。
「かじかんだ手を温めるの、軽率なことですか?」
「……そう言われるとな。とにかく、私のことは気にしなくていい。勝手にやっていることだ。お前はお前の務めを果たせ」
「私の務めは、メロダークさんが幸福にお過ごしになれるよう気を配ることです」
屈託のない明るい声で言う。長い髪と巫女服は銀色に光っている。もう武器を持たず、同じように武器を持たぬ彼のそばで、幸福そうに笑っている。
少女を見つめるうちに、突然、メロダークの胸にある衝動がこみ上げて来た。突き動かされるように身をかがめ、白い額の真ん中に唇を押し当てた。
マナは嫌がるそぶりを見せなかった。喜びも驚きも抵抗もせずに乾いた接吻を受け、ただ両目が丸くなった。メロダークの唇が離れてしばらくしてから、ゆっくりと手を上げ、指先で額を押さえる。まだ丸い目をしたまま、ひどくあやふやな口調で言った。
「あのう、今……ひょっとして、もしかしたら、なんと言うかあの、キスをなさいました?」
その時にはメロダークも我に返っていた。
「……」
「しましたよね?」
「……そのようだな」
丸くなったマナの目がいっこうに元に戻らない。メロダークのさっきまで凍えていたはずの指先はどういうわけか熱を取り戻している。メロダークは咳払いをした。
「軽率だったな」
マナが額を押さえたまま後ずさりした。柱の影から出たせいで雪明かりに照らされ、メロダークは少女が真っ赤になっていることに気づいた。
「なんですそれ。なんだか……なんだか、ずるくないですか!?」
「……そうだな。すまん」
と素直に謝罪したのは、この物言いはいくらなんでもいい加減すぎると思ったせいで、接吻そのものへの罪悪感は特になかった。よこしまな気持ちでしたわけではないのだ。なので、
「次はやる前に言おう」
と言った。
マナが両手で額を隠して、さらに後ずさった。次、が今すぐ来るかというような警戒ぶりであった。耳まで赤くなっている。
「そういえば先ほどパリスが通りかかったのだが」
あっ、違う話を! と、遠くでマナがびっくりしたようにつぶやいたが、メロダークは気にせず続けた。
「……お前に冬至節の贈り物をしないのかときかれた。俺は特に何も用意していなかったのだが……お前は何が好きなのだ、マナ」
「好きなものって……カ……カエル?」
パリスが言ったとおりであった。そこまでカエルが好きなのかと改めてマナを見直すと、マナは「違います!」と叫んだ。
「カエルは好きですがそうじゃなくて。ちょっと待ってください。今は少し、だいぶ、気持ちが動転していますので。後からまた、きちんと考えて申し上げます」
しゃべっているうちにようやく落ち着いてきたらしい。マナは息を吐いて巫女服の乱れをなおし、メロダークを見た。
「次っていつです?」
キスの予定をきかれる。
「……それを今決めるのはおかしくないか」
「でも心の準備がありますから」
「次は……いつかだ。わからんが、したくなったらする」
「と、とにかくまたなさるのは確実なんですね。わかりました。そのつもりでいます。それで、冬至節の贈り物のことですが……そちらもちゃんと考えておきますが、メロダークさんは?」
「なんだ」
「ですから、メロダークさんに私からお贈りする物のお話です。メロダークさんのお好きな物はなんです?」
これは答えるのが楽だった。
「お前だ」
あっ! とまたマナがびっくりした声を出した。
「メロダークさんは、ほんとにずるいですね!」
遠く離れたところで、怒った声を出す。
音もなく雪が降り続けている。
礼拝堂から出ておしゃべりに花を咲かせていた信者たちは、いつのまにか回廊から姿を消していた。静寂のうちに中庭に枝を広げた木々や植え込みが白く染まっていく。
気が付くとマナがまた近づいてきて、中庭を眺めるメロダークの隣に並んでいた。いつもより近い。人肌の温もりが感じられるくらいだった。
「今年もこんな風に冬至節を迎えられるなんて、思ってもみませんでした」
「そうだな」
「去年よりもずっと素敵な冬至節です」
メロダークさんがおられるし、と彼の巫女は小さな声でつけたした。メロダークを見上げるとついと爪先立って、風に吹かれて降りこんで来た雪を、男の黒い髪から払いのけた。これまでの人生で、メロダークが一度たりとて願ったことも、思い描いたことも、そもそも与えられると思ったことすらない、優しい指の動きであった。
end