星の果て

エンド後/フィー ネル


 アーガデウムでついた傷は残しておいた。
 あの日あそこで起こったことをいつでもちゃんと思い出せるよう、目に見える何かが欲しかったのだ。
 人の記憶は不確かだ。
 太陽の傾きにあわせて影の形がうつろうように、変わっていく心に引き摺られ、記憶は姿を変えていく。時間を経たあとも信頼できるのは自分の内側ではなく外側に存在する物だけで、だから今日もフィーの左の乳房はずきずき痛む。
 ひばり亭のいつもの席から見上げれば、歪んだ窓ガラスのむこうに広がるホルムの空は、今日も雲ひとつない晴天だ。



 *



 ひばり亭の部屋代は、遺跡で拾い集めた財宝の一部でこと足りた。オハラさんは「サービス分のチップはもらうけどチップ以上は受け取らないわよー。だってほら、貸しにしとくって言ったでしょ?」と冗談と本気が半分ずつな顔で言い、そういわれると確かにお金では支払えないような気がしてくる。涙が止まらない夜に黙って差し出してくれたお茶の温かさや、『悪い魔術師』の弟子を探す神殿軍の兵士たちから匿ってもらったことや、あれやこれやの恩は多分、金貨や宝玉では釣り合いがとれないものなのだ。
 オハラだけではない。ホルムの町の人たちには、異変の間にいっぱい迷惑をかけた。いっぱいお世話になった。
「だからねえ、魔物よけのまじないを張ろうと思って」
 お皿にはネルお手製の黄金色のアップルパイがどんとのり、ほかほかの湯気をあげている。大きく三角形に切り分けたパイの一片をうやうやしい手つきで口に運んだフィーは、もぐもぐするうちに目を丸くした。ごくんと飲み込んだあと、
「わっ、美味しいねこれ!」
 と大きな声を出す。
 フィーの向かいに座ったネルは、率直な賞賛にえへへと照れながら、本の上にパイの皿を置いた。革張りの豪華っぽい装丁の本に食べ物のお皿はどうなのかなーと思うのだが、フィーが占領したひばり亭のテーブルは、分厚い本が何冊も積み上げられ、茶色い紙片が散らばり、その隙間隙間にインク壷や何かの瓶やエールの入った杯が並んで、お皿の置き場がないのだった。
「あ、置いちゃっていいよーそれ魔道書じゃなくて『アルケア年代記』だから」
「ふうん? 面白いの?」
「ぜーんぜん」
 のんびりとそう答え、フィーは二切れ目のパイに取り掛かった。散らかったテーブルにむかい、パイを食べながら両足をぶらぶらと揺するフィーの姿は、まるで小さい子供のようだった。いや実際、頑張ればまだ子供ですと言い張れる年齢なのだけれど。それにフィーは年の割にはぐっと幼く見えちゃう童顔なのだけれど。
「デネロス先生が森に作ってたあれ?」
 ネルがきくと、フィーはパイ生地をぽろぽろとこぼしながら頷いた。
「あれのもうちょっと高度な奴。えーと、動物や鳥や人間は平気で出入りできるんだけど、魔物と軍隊は入れないような奴にしようと思うの」
「そんなのできるの?」
「うーんとね。軍隊ってさ、みんな魔法の防具とか武器とか魔法使いを連れてくるじゃない。だから、魔力のそーりょーに反応する仕組みを作っちゃえばいいかなって。ひとつだったり一人じゃなくて、たくさんの人のいっぱいの魔力が……断続的に来た時に……時間と、範囲で、ぴーんと来るような仕組み。でもネス公国の兵隊さんは出入り自由にしなきゃいけなくて、あ、でもこっちは簡単なんだけどね。転移魔法の応用だから」
 のんびりとそう言うと、フィーは蜜と林檎で金色に汚れた指をぺろりと舐めた。インク壷に浸していた羽根ペンを引き抜き、息すら整えることなく、歪みのない完璧な正円を二重に描いた。その内側に寸分の狂いもない六芒星が足される。
「難しそうだねえ」
「うーんと、でもない。むしろ理論上は簡単で、単純になりすぎちゃうんだよね。単純だと強すぎちゃう。でも複雑にしたら他の人にはわかんないから、何かあったときに困っちゃうし。だからね、ちょっとだけ面倒くさくて、でもあまりごちゃごちゃしてない呪文にするの。そのバランスの取り方が難しいかな。うん、それが難しいね。強い物を弱くするのって、結構難しい。大きな山羊を小さな檻に入れなきゃいけない、山羊はすごくいらいらするから、最初は我慢しててもそのうちいつか暴れて逃げ出すぞー、みたいな」
 魔術について語るとき、フィーの選ぶ言葉はいつも平易で明瞭だ。まるで難しい言い回しや語句や世の中の道理も知らない小さな子供を相手にするように。もっともこれは、才能がないネルを相手にした時だけじゃなくて、誰に対してもこんな調子なのだけれど。ナザリから来たすごく立派な服を着て輝く指輪や耳飾りをいっぱいつけた(あれ全部魔法の装身具だよ、すごいよねとあとでフィーが教えてくれた)魔法使いたちの相手をした時も、フィーは延々とこんな調子でしゃべっていた――『えーっとですね、大地の精霊さんたちが炎の元素を嫌がってばちばちするから、魔法陣でこらあダメダメあっちにいけーって一人一人に言うんです』――えいやっと身振り手振りをつけて一生懸命説明するフィーを囲んだおじさんたちは、最初はにこにこと、途中からは表情を改めて、最後は怖いような顔になり、少女の話に耳を傾けていた――時々、本当に時々、ネルは彼女の大事な幼馴染みにかすかな苛立ちを覚える。
 ――ねえ、フィー。あんたはあんたの好きにしゃべっちゃっていいんだよ。魔法についてわからない、わたしや、皆に、わからせようとしなくってもいいの。
 才能溢れる同い年の友人に対し、当然のように存在する嫉妬とは別の部分に生まれる熱い怒りは、同じような熱を持つ悲しみと混じり合い、言葉にできぬまま消えていく。もしもフィーがなんの気遣いもなしに魔法について『好きにしゃべっちゃっ』たとしても、結局彼女の言葉は誰一人理解できず、フィーがますますしょんぼりするであろうこともネルにはよくわかっていた。フィーが見出した偉大なる奥義について理解し、語り合い、討論し、その感動を彼女とわかちあえる人は、多分この世に二人しかいなかったのだ。過去形だ。そのうちの一人は死に、もう一人はここにはいない。
 だからネルは、へえすごいねその理論についてもっと詳しく説明して! とか、それわたしにもわかるように教えて! とは言わない。代わりに別のことを言う。
「フィー先生や」
「なーに?」
「広場の東の宿屋がね、部屋の数を半分に減らして下宿屋さんを始めるんだって。そこのおばさんが、もしもフィーが来るなら、すっごく安い値段で一番広い部屋を使っていいよ! あと、地下室も書庫として貸してあげる! って言ってたの」
 フィーはカリカリ動かしていたペンを止め顔をあげた。ちょっとびっくりした顔をしている。ネルはテーブルに身を乗り出して、フィーの赤い目を覗きこむ。
「あのさ、フィーがもしそこに引越してきたら、すっごくご近所さんだよ。毎日うちに朝ごはんと晩ごはんを食べに来て、その後わたしに薬草学の講義をしてよ――いや、まあ、わたしって今は鍛冶屋見習いのネルさんだけどさ、でもまだ、デネロス先生のお弟子のつもりでもあるんだよ。デネロス先生から教えて頂けなかったことがたくさんあるんだから、続きは姉弟子のあんたが引き受けてよ」
 まじまじとネルを見つめていたフィーは、真面目な顔のまま、
「ネル」
 と言った。
 その声だけで、ネルはもうがっかりした。
「やっぱり駄目かい?」
 一応そう尋ねてみたら、フィーは少し悲しそうな目をして、でもこくりと頷いた。
「やっぱり、どうしても」
「そっか。そっかー。うー。やっぱり行っちゃうのか」
 ネルはがっかりな角度で頭を垂れ、魔道書の上にぺたんと額をつけた。視界の端っこで、フィーが羽根ペンをくるくる回しているのが見える。ちょっと困った時の癖だ。そんなに困ってないぞ。フィーの奴め。
 小柄で童顔で子供っぽい癖に、一度決めたらすごく頑固な友人は、ためらいながら言葉を続ける。
「えっとさ。えっと。ナザリはそんなに遠くないよ。お城で暮らすのはちょっと緊張するけどさ、うん、もうそんなに怖くないの。アルソンくんが宮廷の作法なんか適当でいいから怖くないです! 貴族の社会では大きい顔してる人が勝ちです! フィーさんならできます! ってきっぱり言ってくれたし。それにラバン爺も、ナザリなら年に一度は顔を出せるなあって――ネルも会いに来てくれるよね」
「絶対」
「それにナザリの書庫には、古い魔道書や文献がいっぱいあるって、この間ホルムに来た魔法使いの人たちが言ってたし。お城に勤める魔法使いさんって、普段はすっごく暇なんだって。好きなだけ書庫に篭って勉強できますよー、魔法の道具も研究したい放題ですよーって」
「……いつ出発するの?」
「そうだね。うん。準備ができたら好きな時においでって大公閣下には言われてるんだけど……魔法陣を完成させるのは冬至節がいいから……えっと、七日後かな」


 ネルがくれたアップルパイの残りは、フィーのその夜のおやつになった。
 部屋の天井の近くに飛ばした明るい蛍火の下、寝台の上に仰向けに寝転がって、古代語で書かれた本のページをぱらぱらとめくる。魔物よけの結界を広域に張る際、アーグ人はちょっと面白い方法を採用している。彼らは夜種を使役していたので魔物のすべてを弾くことができなかったのだ。タイタスはやっぱりすごかったんだなあ、と他人ごとのように考えて、手を伸ばし、すぐ側に置いた皿からパイを取り上げ、もぐもぐと食べた。晩秋の林檎は重たい甘さだ。ホルムの丘が秋の実りを得ることができてよかったと思う。行儀の悪さを発揮して汚れた指をシーツの端で拭く。
 デネロス先生は実にいい加減な先生だったけれど、時々気がむいた時には「こらっ、行儀が悪いぞ」とフィーを叱った。そのたびにフィーは「先生だって肘をついて食べてるでしょう」とか「朝から約束を破ってお酒を飲み始めた先生には言われたくないです!」とか、とにかくいつも口答えばかりをして、素直に「はい!」と言ったことがほとんどなかった。
 その代わり、魔術に関することを教えてもらっている最中は、「はい!」しか口にしなかった。
「それにしても本当においしいなあ」
 独り言を言ってしまったのでしまったと思う。先生が亡くなられてから時々、独り言がでる。というより多分、まだ先生が側にいるような気がしているのだ。そもそもこのパイは一人で食べるにはあまりにおいしすぎる。数日前にラバン爺がホルムを去ったので、ひばり亭にまだ滞在している仲間の人はテレージャさんとメロダークさんくらいだ。でもあの人たちはもちろんすごく大事な仲間だけど、だからといって普段はそんなに親しくしていないし、それに大人だからパイをもらっても別に嬉しくならないだろう。先生と同じでお酒の方が好きな二人だ。
 投げ出した足をぶらぶらさせながら、甘い物を食べたら頭がしゃきっとするよねと思った。探索をするようになってから、しょっちゅうパリスが、それだけ食べてなんで太らないのお前らと呆れた声で言っていた。だって魔法を使ったらへとへとになってお腹が空くんだもん。バーカ、集中するのには糖分だろ、食べた分だけ頭を使ってるんだよ。二人でぴったり同時に答えたら、パリスがちょっと考えたあと、今同じこと言ったのか? ってきいた。
 うん、いっつも違うことを言うけれど、本当はずっと同じことを言ってるの。
 でもそんなの口にしたら顔を真っ赤にして地団駄を踏んで違うーっ! って大声だして大わらわの大騒ぎになるのは目に見えているので、えへへーって笑うだけにしておく。そしたら一瞬、じっと目を見つめたあと、すごい嫌な顔してぷいってそっぽを向かれてしまう。
 ほら、やっぱりね。私がなにを言おうとしたのか、ちゃんとわかったんでしょう?
 でもそれはそれとして――ちょっと、なんであっちむいたの!? 感じ悪い! すごく感じ悪いよ! 大声で抗議しながらローブの裾をつかんで引っ張ったら、あああああうるせぇっ、感じ悪ぃのはお前のツラだ! ってとんでもなくひどいことを言われた。



 *



 町の周囲に結界を張る前に、ホルム領全域に魔法陣を作っておくことに決めた。
 土台を広く深く固く均しておけば、後が楽だ。一番大変そうに見える道が実は一番安全で楽な道なのだと、デネロス先生はよく言っていた。大きな物を作るのはとても大変な作業なので、たくさんの人がちょっとずつ力を出して、長い時間をかけて、ゆっくりゆっくり完成させるのが一番だ。だから本当は、魔物が来ないようにするには、例えば一晩中篝火を焚いたり、ホルムの人たちが皆で山狩りを行って夜種の巣を潰したり、怪物どもが住み着く遺跡の出入口を塞いだりしたらいいのかもしれない。でも誰かさんが起こした怪異と誰かさんが見つけた遺跡目当てで起こった戦争のせいで、町や村の人たちはそんなキョウリョクしてバッポンテキカイケツをしてる暇はないよ! なのだった。
 だからフィーは一人で手っ取り早く、魔法を使うのだ。
 日の昇る東から始めることに決めて、フィーは久々に部屋の戸棚に頭をつっこみ、奥に放り込んであった<上霊>を取り出した。星幽界に行って帰ってきたお土産だ。埃を払って両手で握れば霊的な共鳴が起こり、体の底から魔力が湧いてくる。
 世界の根源と己が、いとも容易に直結する。
 目もくらむ怒りに飲まれ、人を人たらしめる太い理性の鎖が砕かれたあの夜、己が力の一部となり限度を超えた炎の中で肉体に意味が失くなるのを感じたあの瞬間がなければ、この感覚を得ることはできなかっただろう。


 自分の身の丈よりも長い杖を手に、葉を落とした木々の間に伸びる道を歩く。
 前にここを通った時は汗ばむ初夏だった。茂みから化け物どもがわっと出てきそうで、武器を持った仲間たちが一緒にいるのに怖くてたまらなかった。でも今は一人でいても怖くない。夜種どもなどは小鳥の群れと同じだ。見上げるような巨人が現れたところで、「あっち行きなさい!」と命令するだけで事足りると、経験からすでに知っている。
 歩きながら、フィーは意識を少しだけ集中していた。<上霊>の杖が触れる土に、目には見えない魔術の痕跡を残していく。
 なだらかな坂をシリン村へと向かう途中、雪がちらつく曇天の下を、痩せた馬の背にいくつもの荷を積んだ男たちの一団とすれ違った。分厚い外套を着込んだ人のよさそうな顔つきの男たちは、一本の酒瓶を回し飲みながら楽しそうに笑っており、フィーはなんだか安心した。シリン村の人たちだと思うのだけれど、自分は今までシリンの村人たちの泣き顔しか見たことがない。あの夜種たちをやっつけたあと、皆ぺこぺこお辞儀して、ありがとうございます、って言っていた。泣いていた。
 通りすがりに「こんにちは」と挨拶すれば「こんにちは」と返事をかえされた。
 しかし彼らはフィーとすれ違ったあと、会話をやめ足を止める。視線が背中に張り付いているのを感じた。フィーは速度を変えずにゆっくりと歩きながら、難民の子と間違われているのだろうかと思った。
「人間の格好をした魔物じゃねえだろうな」
 敏感な耳が、低い声を拾った。
「こんなに寒いのに、あんな薄着で――」
 あー、と思う。
 あああ。そうか確かに魔力のない人にはこの格好はおかしいなと、薄い長衣を見下ろした。今年はずっと怪異で大騒ぎだったのと、魔法を使える人ばっかりとつきあっていたので、『普通の人をびっくりさせない』心構えを失くしていた。でもここで突如振り返って服の説明を始めるのは立ち聞きしました感丸出しだし、だからといって独り言のふりをして大声で「ああそれにしても天礼衣は雨も風もしのげるから最高だなあ、高いお金を払って買ってよかったや」と言ったらどうなる。
 のん気に割と楽しくそういうことを考えていたので、男たちの一人が吐き捨てるように言った次の言葉は、結構な不意打ちだった。
「やめろ、行くぞ。知らねえのか。あれはホルムの魔女だ」



 *



 冬至祭の前日にひばり亭で行われたフィーの壮行会は、いつのまにかホルム住人全員が参加する大宴会になっていた。飲めや歌えやの大騒ぎの中、町の人たちが入れ替わり立ち替わり顔を出し、中央の席にちょこんと腰掛けたフィーに声をかけ抱きしめ握手し頑張って来いと背中を叩き、町を救ってくれてありがとうと泣かれ、あんたは俺たちの誇りだ! と誉められ、「いつでも帰っておいでよ。ここはあんたの故郷なんだから」と生まれて初めてひばり亭に足を踏み入れたという巫女長に言われてフィーもちょっと泣いてしまい、もみくちゃにされながら勧められるだけの酒を飲み、天井がいい感じにぐるんぐるん回転してきたところで白い手が横から伸びてきてしゅっと杯を取り上げた。見上げるとテレージャが厳しい顔をしている。
「きみ、明日は朝に出発するんだろ。お酒はもうここまでだ。飲みすぎだ、歩けなくなっちまうよ」
 そう叱られて、「でも明日でもうお別れなんだよ」と抗議したはずがでてきた声は「れれれれれれれれれれれ」だったので、さすがにフィーもこれ以上この場にいるのは諦めた。しばらく見ない間に二階へ上がる階段がものすごく急な角度に変化していたので一人では登れず困っていたら、駆け寄ってきたパリスとネルが肩と足を持ち上げて部屋まで運んでくれた。


 ぱちんと目を覚ましたらもう夜だった。
 起き上がってふああとあくびをしたフィーは、枕元に積まれたインク壷やら紙の束やらを魔道書と一緒にひっつかみ両腕で抱えた。部屋を出て、しんと静かな廊下を歩いていった。
 暗い酒場に踏み込めば、テーブルや椅子の配置がいつもと違った。中央に並んでいるはずの丸いテーブルは乱雑に壁際に寄せられ、逆さまになった椅子がテーブルの上にあがっている。壁際には酒瓶が積まれていて、どうやらパーティーがお開きになったあと、オハラさんと手伝いの女の子たちは中途半端に掃除を終えたようだった。ということは、かなり遅くまで宴会が続いたのだろう。でも一番奥の窓際、フィーのいつもの席だけは、ちゃんとテーブルと椅子がいつものように並んでいて、それだけじゃなくて、ちゃんと人まで座っていた。
 誰かがテーブルの、フィーの「いつもの席」のむかいに座っている(前はそこがフィーの「いつもの席」だった)。窓から差し込むのは星の光だけで、なんだかぼんやりとした影しかわからない。
「あー、やっぱり来たー」
 立ちすくむフィーの耳に、聞き慣れた朗らかな声が飛び込んでくる。外套を着込んだネルが、椅子から腰を浮かし、笑って手をふった。
 フィーは取り落としかけた本やら筆記道具やらを胸元に抱え直し、乱暴に手を動かしたせいで、乳房の下についた傷に本の角がぶつかり、鈍い痛みが背中まで走りぬける。でも背中の方の傷はもう治っているので、あの日胸を貫いた魔法の剣みたいに、背中から血が噴き出したりはしない。ああびっくりした。
 びっくりしたびっくりした。
 いくら飲みすぎても幻覚なんて見るはずないから、だからつまり、ほんとにそこにいるのかと思った。
 なんて顔してんだよウザ、キモ! ってまた罵られるかと思った。
「フィー、どうしたの? ネルお姉さんだよ」
「あ、うん、うん。びっくりしたの。どうしたの? ええ? なんで?」
 フィーは小さな声で言いながら小走りに近づき、いつもの席に滑り込む。持っていた道具をどさどさと置くと、椅子に腰掛けながら羽根ペンを片手で握って意識を集中し、小さな青白い魔法の明かりを羽の先に呼んだ。
「わわ、一瞬だね」
 ぽうっとした光の中で、ネルが少し寂しげに笑った。
「やっぱりフィーはすごいや」
「今すごく遅い時間じゃないの? もしかして今まで一人で待ってたの?」
「うんというかうーんというか。さっきまで自分の家で寝てたよ」
「えええ? え?」
「それで、なんだか眠れなくて散歩に出て……そしたら、なんとなくひばり亭のここに来たら、あんたと会える気がしたのさ」
「……ネルさん、ネルさん。深夜は扉の鍵が閉まってるはずですが」
「フィーさんや。ここだけの話なんだけどね、わたし、パリスに習った解錠の技術が、今まさに絶頂を迎えつつあるのを感じるよ」
 二人はまじまじと顔を見合わせ、それから同時に、ぷっと噴き出した。
「ネル! オハラさんに見つかったらすごく怒られるよ!」
「怒られる危険をおかしてまでだね、フィー先生に会えるかなと思った心をだね!」
 小さな声できゃあきゃあと笑いあいながら、前にもこんなことがあったなと思う。あの時は広場にふらりと散歩に出たのは自分だったけど。そしてネルはびっくりした顔をしていたけれど、フィーはびっくりしなかった。だってその夜は、ネルがなんだか広場にいそうだ! と根拠もなくピンと来ていたから。親しい人とは時々、こういうことがある。魂が呼びあうなんていったら大げさすぎるけれど、でも多分、意識していない心のどこかでおーいって呼んだのだ。そしたら、なんだい? って答えたのだ。多分、そういうことなのだ。もしかしたら、そういうことなのだ。


 羽根ペンの魔法の明かりを頼りに、フィーは手元の紙に一本の線を引いた。これで完成だ。いくつかの魔法陣と流れるような古代語が綴られており、フィーが作成した図面は一枚の絵のように美しい。
「難しいの解決した?」
 神妙な表情でその紙を見つめていたネルがきくと、フィーがうん、と頷いた。
「うん。効果がある時間を少し短くすることにしたの。ずっとじゃなくてちょっとの間で……ちょっとって言っても、ちゃんとそこそこは長いけど……これでホルムは当分、平和です。町に夜種や兵隊さんがいっぱい入ってきて、怪我したり、死んじゃうことはなくなると思う。あ、ネス公国の兵隊さんは出入り自由だから。下準備は全部すんだから、あとは明日出発の前に、東門でちゃちゃっとやっちゃう」
 くるくると紙を巻いて、ネルに手渡した。
「これ、ネルが預かってて。次にこの町に魔法使いの人がきて、その人が信用できる人なら――ネルが見て、ホルムを大事にしてくれそうだなーと思ったら、渡して。他の魔法が干渉して結界がおかしくなったときの対処の仕方が書いてあるから」
「ええ。責任重大だなあ」
 ネルが少し怯んだ表情になったのを見て、大丈夫だよと励ましかけたフィーは、途中で気持ちを変える。ちょっと背を伸ばし、少しだけ威厳のある声をだした。
「んーとね。姉弟子からの、最初で最後の命令です。デネロス先生と、この町を離れちゃう私に代わって、ホルムを守ってください」
 冗談っぽく言ったつもりだったけれど、結構本気だったのが、ネルにも伝わったようだった。大きな目を見開いたあと、ネルはすごく真面目な顔になってこくりと頷いた。
「わかりました。えーっと、魔法の才能はないのですが、人を見る目はちょっとはある! つもりだよ! なので、頑張ります!」
 ひそひそ声で宣誓し、丸めた書状を恭しく受け取る。


 窓の外では冬の夜空が高く澄みわたり、星々がうるさいくらいに輝いている。
 あの夜もこういう風に星を見てたな、とフィーは思う。
「カムール様が、いたでしょ?」
 と言った。
「うん。おられたね」
 同じように星を見上げたネルが、さきほどの神妙さを残した声で相槌を打つ。
「の、娘なの」
「え、何が?」
「私が。夢の中で。カムール様はものすごくでれでれしているの。私が一人娘だから。えーっとね、でも本当は一人娘じゃなくて、やっぱり私はあの白子族の赤ちゃんで、タイタスの憑代で……つまりね、デネロス先生じゃなくってカムール様に拾われたんだ。そういう夢です」
 親友の生い立ちをよく知っているネルからは、すぐには次の言葉が出てこなかった。最後の夜に夢の話を始めた意味を測りかねたのか、フィーの顔をじっと見つめている。一年前とまるで変わらぬ顔をしたフィーは、テーブルに肘をついて掌で顎を支え、ぼんやりとガラス越しに星を見上げている。
「でね、領主の娘の私は剣を持っておりゃーって戦う戦士で、賢者のお弟子の本当の私と同じように、あの遺跡を探索してるのね。あんたやパリスやラバン爺たちと一緒に。仲間にシーフォンくんもいるの。魔術師じゃないから今度は最初から普通に仲良くなれるのかなーって思っていたら、私が貴族の娘なのが気に食わなくて、シーフォンくんは色々いちゃもんをつけてくるの」
「どっちみち文句を言われるんだねえ」
 夢の中でもシーフォンの態度が一貫していることに、ネルは感心したようだった。
「うん。でもね、戦士の私が何も知らないから、シーフォンくんが魔法についてわかりやすく色々教えてくれて、割と優しくて、ちゃんと友達になるの。私が怪我したらシーフォンくんが飛んできて、バーカって言いながら治癒魔法をかけてくれたりとか。シーフォンくんが探してる魔道書を見つけた私はね、何しろ戦士だから頭がバカじゃない? ページをめくってみもせずにシーフォンくんにはい、ってあげちゃうの。そしたらシーフォンくんがすっごく喜んで……かわいかったなー。あれはとってもいい笑顔だった。多分寝ながら私、すっごくにこにこしてたと思うね。そんな自信がある」
「あのねフィー」
「ん?」
「そんなに好きなら、どうして引き止めなかったの?」
 思わずうっかりと、ずっと気になってたことをきいた。
 フィーは一度うつむいた。腕を組んでうーん、と考えこんだあと、また星を見上げる。そこに答えが書いてあるかのように熱心に空を観察していたが、そのうちに、言った。
「あのね。引き止めたら……ホルムを離れないで欲しいって言ったら、多分きいてくれたと思う。でもね、それじゃシーフォンくんが強くなれないなって思って」
「どういう意味?」
「シーフォンくんは魔術の腕を磨いて、強くなりたいって思っていて――つまり――私、シーフォンくんにもっともっと、ものすごく強くなってほしくて、そのためには一緒にいちゃ駄目だなあって思ったの」
 フィーはシーフォンくんのお姉さんみたいだねとネルが言うと、フィーはにこりと笑った。



 *



 翌日の朝、フィーがホルムを離れようとした時刻は早く、それでも東の大門には見送りの人々が集まった。
 粗末な長衣にサンダルを履き、背中に道具袋ひとつを背負った小柄な少女は、とても偉大な魔法使いには見えない。ただその手にした長杖だけが、少女の身なりや幼い顔とは裏腹に、強大な魔力の気配を放っている。
 門の下に立ったフィーは、その杖でとんと固い地面を叩き、「はい、これで魔物よけの結界は完成です」と宣言する。
 にっこり笑ったフィーの顔は、タイタスに最後の一撃を放った時と同じように、とても満足げで、少しだけ悲しそうだった。
 探索者たちは――少女を見送りに来たのはネルにパリスにエンダにテレージャにメロダーク、つまり冒険を共にした親しい仲間の探索者たち、それにチュナという顔ぶれだった――お互いに顔を見合わせる。ネルとパリスはフィーから魔物よけの話を事前にきいていたが、呪文の詠唱もなくこれで魔法が完成というのがぴんと来ず、それすら知らぬテレージャとメロダークにとってはなんじゃそりゃという話で、エンダとチュナは単純によくわかっていなかった。
 だがそれはなんだねとテレージャが質問する前に、一列に並んだ彼らの間から、ネルが駆け出して、フィーに飛びついた。
「わわ、ネル!?」
「やっぱりいっちゃやだーっ! ナザリなんか絶対、ぜーったい楽しくないよ。ホルムにいなよ! フィーがいなくなったら寂しいよー!」
 その後は抱きついたままわんわん泣き出したネルを見てチュナがもらい泣きをしはじめ、「バカ、何駄々こねてんだよ子供かお前は」と乱暴にネルを引き剥がそうとするパリスも涙目で、エンダが「エンダも一緒に行ってやろう」と突如宣言し、大騒ぎするホルムの住人たちを見守る西シーウァ出身の巫女と傭兵の方はほんの少し温度が低くて、でもようやくネルから解放されたフィーが向き直り、差し伸べた手を、二人ともしっかりと握り返した。
「それじゃあテレージャさんとメロダークさんも元気でね。二人とも、ナザリに来る機会があったら、会いに来てくれなきゃ駄目だよ! えっと、お城に来るのが難しくても、私が会いに行くから。ホルム出身の魔術師に会いたがってる人がいるって噂できいたら、私の方から探しにいくよ」
「行くよ。喜んで。でもその頃には、『魔術師』って言葉の意味が変わっちまってるかもしれないね」
 テレージャがいつものからかうような口調で言った。
「『魔術師』はフィーくんだけを指す特別な言葉になって、他の連中は皆、呪文使いだの妖術師と呼ばれるようになっていたりしてね――もしかしたら、あと五年もしないうちにね」
「ずいぶんでっけえお世辞だな!」
 パリスが拳で乱暴に目元をこすり、明るい、大きな声で言うと、テレージャは大声で笑い、ネルも釣られたように笑顔を作った。メロダークまで片頬に笑みを浮かべ、別れの悲しみはようやく都へ出発する少女の前途を祝福する雰囲気にかわる。
 だがフィーは微笑を軽く口元に浮かべただけで、その言葉を肯定も否定もしなかった。ただそう言われたとき、テレージャの手を握る手にほんの少しだけ力をこめて、大きな赤い瞳はいつものような静けさで、西シーウァの神官を見つめていた。


 ナザリへと向かう東の道は農地の間を伸びており、刈り入れを終えて掘り起こされ剥き出しになって整地を待つ地面は、今は昇る朝日に照らされて黄金色に輝いている。遠ざかっていく華奢な少女の背中が小さくなる前にエンダは背をむけて神殿へと駆け出し、その後をチュナが追いかけ、フィーの影が朝日に紛れ見えなくなったあとに、またぐすぐすと泣き出したネルと一緒にパリスが引き上げていった。
 ――ホルムの町の内と外を隔てる境界線の上に最後まで立ち尽くし、少女を見送り続けたのは、彼女の個人的な友人とは言い難い大人たちだった。
 二人の外国人は、揃って寂しさよりも厳しさが目立つ表情を浮かべていた。長い沈黙のあと、メロダークがつぶやいた。
「西シーウァに来いと誘えばよかったのだ。お前ならうまく言いくるめることもできただろう」
 テレージャはメロダークにちらりと一瞥をくれる。 「大図書館、研究院、大学、禁書庫に溢れる古代の文献に禁断の魔術の知識の数々を釣り餌にするのかい? 生憎だけど、そこまで祖国に献身的な気持ちは持ち合わせていなくてね。彼女の意思を誘導する気はさらさらないよ。人間は己の意思でもって己の人生の主役たるべきだというのが、私の持論でね」
 不快げに眉を潜めた男にむかって、テレージャはひどく真面目な声で言った。
「だが、うん、後悔していないと言えば嘘になる。自分の――さっきの握手の途中で、右半身が痺れるかと思ったよ。どろどろに煮えた鉛の中に手をつっこむようなものだ」
「……強大な力は、それだけで危険だ。だが……」
「だが、さらに強大な意思と心でもって、彼女はタイタスを滅ぼした。世界は救われた」
 テレージャは一歩を踏み出し、門の外に立つ。少女の後を追いかけるかのようにもう一歩、一歩と足を進め、そこで立ち止まった。メロダークには背をむけたまま、
「きみ、彼女のこと、好きかい?」
 そう問うた。
「尊敬している」
 間髪をいれずにメロダークが答えた。
 短い沈黙のあと、低い声でつけたした。
「好き嫌いの問題ではない」
「私もそういうよ。獅子がうろつく檻の中に裸で投げ込まれたら、誰もが、好き嫌いの問題ではない、というだろうよ」
「――しかしここは檻ではない。それだけが救いだ」
 テレージャは長い髪を揺らしくるりと振りかえりながら、両腕を大きく広げた。空と大地のすべてをさして、言った。
「いいや、檻さ。知らなかったのかい? そしてこの世界のすべてを解き放つ鍵を手にしているのは、彼女一人だけなのさ」



 *



 オハラが持たせてくれた弁当は、大河を見下ろす丘の上で食べた。ホルムでとれた小麦で焼いたパンに、ホルムの野菜やアークフィア大河のお魚のフライが挟まったサンドウィッチを口いっぱいに頬ばり、おいしいなーと思う。フィーはホルムのご飯が好きだ。もちろんポララポみたいな例外はあるけれど。昼食のその休憩を除いて、フィーは一度も足を止めず、ひたすらに東を目指し歩き続けた。一度も振り向かなかった。友人たちとの別れは彼女の胸を波立たせ、ネルがこぼした熱い涙はまだ肩を濡らしているようだった。
 夕べのあの壮行会にわざわざやってきてくれたホルムの人たちも、ネルの泣き声も、真っ赤な目をしてそっぽをむいたパリスの横顔も――振り向いたら気持ちがくじけてしまいそうだった。
 ホルムは故郷だ。
 だからこそあそこを離れなければならない。
 あの温かな輪の中で、呪われた血を持つ己をそれでも慈しみ、優しく包んでくれる人々の間で、彼らの幸福を願う自分は、どんどん傲慢になっていくだろう。そう、世界のすべてを思うままにしたいと願ったタイタスのように。


 冬至節の夕暮れは素早くやってきた。
 夕焼けに赤く染まったあと急速に闇に包まれて行く空の下、小高い丘の頂上で、フィーはようやく足を止める。一日歩き続け、くたくたになっている。一面を覆う枯れた草が、風に押されてざわざわと寂しげな音を立てていた。冷たい空気を思い切り吸い込めば、真冬の土の臭いがする。
 ホルムの上に輝く宵の明星が見たいと思った。
 ふりむけば、城壁に囲まれたちんまりとしたホルムの町の向こう、森と丘に接する西の端には燃えるような赤い夕焼けが残っていた。森と小屋を焼く炎のような、少年の赤毛のような、はためく緋色のローブのような、あの日ホルムに積もった赤い雪のような、不思議な輝きに舐め尽くされた天と地の境界線から目をあげれば、紺色の空には宵の明星が強い輝きを放っている。
 フィーは<上霊>を両手で握り締め、掲げ持った。
 故郷、ホルム、そしてアークフィア大河の流れる彼方にはユールフレールがある。
 少女の眼は大地の下を走る竜脈の輝きを正確に読み取っていた。
 ――今ここで魔法を使うならば、大河の流れを変え、西シーウァの全域に洪水を起こすことができる。彼方の首都シーウァを、そして神殿軍の本拠地たるユールフレールを、光で切り裂き雷で滅ぼすことすらできる。
 魔物よけのまじないは彼女の魔法の雨を避け、千年、二千年の間、化け物どもと他国の軍とそして彼女自身の怒りから、あの懐かしい故郷を守ることだろう。いつか己の心が曲がり、懐かしい人々への愛情を忘れ、故郷などいらぬ、自分を育んだあの森を焼こう、力を恐れるくせに敬意を示さぬ人々を己の奴隷として使役しよう、タイタスのようにそう決意せぬという保証が、一体どこにあるだろう? 少女の前に広がる世界はまるで金と銀の細工でできた美しくもろい箱庭のようだった。アーガデウムの空にそびえた稲妻の巨人の言葉が耳に蘇る。
 ……光こそ我が意思、雷こそ我が怒り。
 自分はなんとタイタスに似ているのだろうと思う。
 両目をかたく閉じ、また開けた。

 ――無限の時こそ我が領土。

 アルケア年代記の一節がよみがえる。


『――最初のタイタスは王の子として生まれ、羊飼いの長の家に育ち、のちに帝国を築いた。彼の下で人は知恵を得て、他の種族より優れた。その治世は百四十余年に及んだ』

『タイタス二世は異形であったが徳に恵まれ……九十六年の間よく統治した……』


 タイタス三世は戦に生きて四十八年、タイタス四世は二百八十五年……。



 フィーの背はこの数年のあいだ、髪の毛一筋も伸びていない。ずっと子供のまま変わらぬ顔を強い風にむけ、独りごちる。その声がどこかにいる彼の耳に届くような気がして。
「追いかけてきて。早く捕まえて」
 小さな声でそうつぶやいた。
 来て、来て、強くなってきて。出会った最初からきみはとても強かった、遺跡の地下でも死者の宮殿でも守護者の塔でも迷宮でも、そう、あの天空の都でも。でも足りないの。まだまったく足りていない。きみが望むように、もっと強く、もっともっと強くなって、どうか私を追いかけて、打ち倒して、この傲慢を砕いてちょうだい。この世界で自分がたった一人なのだと、どうか私に気づかせないで。
 この乳房の傷が癒えて私が痛みを忘れるその前に、また私を焼いて、もう一度、その手を伸ばして。



 丘の頂上で魔術師の少女が立ちつくすその間に、夕暮れは姿を潜め色を失い、夜にその座を譲りつつあった。一年で一番夜が長くなるその日、両手を伸ばしてきた暗闇に抱かれて、宵の明星はひときわ強く輝いていた。




end