エンド後/エメク メロダーク テレージャ
1
探索中は始終側を離れずにいるのは雇われた護衛として立派な物だという印象しかなく、「彼は私の主人だ」と繰り返される言葉が騎士物語を連想させることもあってそれなりの麗しさであったのだが、こうして平和が戻ってくると、やっていることが同じでも、いや、同じなだけに過剰さばかりが目立つ。
怪異の収束から三ヶ月が経ち、ホルム近郊の夜種狩りと農地の収穫は無事に終了した。雪がちらつく季節になって、遺跡目当ての観光客も数が減り、小さな町は例年通りの静かで穏やかな冬を迎えた。
危険も恐怖もない町を、今日も小柄な青年の後ろにくっついて、武装を固めた大柄な戦士が歩いていく。
「ホモなんじゃねーの」
スープの皿から目をあげたシーフォンが、向かいに座ったエメクをまっすぐに見つめてそう言った。いつも通り嘲笑を含む口調であったが、エメクはいつもと違って即座に否定し、説教を始めようとはしなかった。
エールをちびちびと飲んでいるパリスと湯気の立つ皿を面倒くさそうにかき回しているシーフォンを等分に眺める。
僧衣の襟を正し、いつもの冷静極まりない無表情から、わずかに眉をあげる。表情に乏しいエメクなりの、精一杯の驚きと同意の表現であった。
「実は僕も、その可能性についてはうっすらと心配してた」と言った。
シーフォンとパリスは、同時に「あー」と気の抜けた声を吐いた。
――やっぱりな。
とは二人とも言わなかった。
そのくらいの友情とデリカシーは持ち合わせていた。
冬至節の朝である。
深夜から降り出した雪は夜明けと同時にぴたりとやんだ。
山頂にそびえる城も森の木々も建ち並ぶ家々も、すべてが雪化粧を施され、まるで前夜を共に過ごした恋人たちの目覚めを祝福するかのようであった。
――そんなロマンチックな朝、ひばり亭の窓際のテーブルには、礼拝を終え法衣のままのエメク、「雪のため休業」の札をぱりす屋の戸にかけてやってきたパリス、冬季は遺跡が閉鎖されているためひばり亭でだらだら休養中のシーフォン、つまり町の英雄一行、またの名をホルムの三馬鹿が顔を揃えていた。
美しい雪景色を横目に朝飯を酒で流し込みつつ、三人が語る議題は「あのおっさんはホモなのか」。
ホルムは完璧に平和を取り戻していた。
「なんかあったわけじゃねーだろうな」
パリスが兄貴分らしく真面目な調子できく。
「いや、特に何も。ただ神殿で一緒に暮らしはじめて、成人男性としてそこまで我慢がきくものなのかと不安に思うことがいくつかあって」
エメクは果実酒の満たされた杯をそれが予言を映す水盤であるかのように熱心に見つめていた。しばらく難しい顔をしていたが、やがて思い切ったように口を開いた。
「つまり――ハァルの信者は一般的には精神と肉体を清く保つよう努めるもので、娼館には足を踏み入れないのはもちろん、妻帯しない者も多くいるときく。しかしそれにしても彼のストイックさはいささか度が過ぎるように思える」
「つまりなんだよ?」
「先日パリスが貸してくれたエロ本をぱらぱらとめくっていたので、読むならお貸ししますよといったら、氷のような目でくだらん、礼拝堂にこんな物を持ち込むな、と言われた」
「おい! 町人を代表して言わせてもらうが礼拝堂はやめろ、ちょっとは慎め!」
「すまない、祈祷書の間に挟んだのをすっかり忘れていて」
「だからなぜそこに!?」
「つーかそれは、単にエロ本には興味がねえんじゃないの」
シーフォンの言葉に、エメクは器用に片方の眉をあげて見せた。
「シーフォン、きみは知らないから――見ていないから」
「何がだよ」
「いいか、すごいんだぜ。表紙はこんな(とエメクは瓜畑の泥棒めいた手つきと目つきをしてみせた)メイドさんが一番目と四番目のボタンを止めたシャツで、お盆の上に片やこう、もう一方はこう! 僕ほどのエロ本熟練者でもあの乳房の柔らかさの表現には思わず唾を飲むほどの」
「声を小さくしろ。僕がここの長期滞在客だということを忘れるな――大体、エロ本に興味がなけりゃ女に興味がなくて男が好きっていうのも簡単すぎるだろう」
シーフォンが冷静なままの口調で言い、エメクが頷いてその意見に賛同の意を示した。
「確かにその通りだ。考えてみれば単純にメイド物が好みでないという可能性もあるわけだしね」
「考えた結果がそれか」
「もちろん僕は考えるだけでなく行動もする男だ。そこでパリスに頼んで、最近ネスの一部で流行中のすごいエロ本を手にいれてもらった。パリスは本当にエロ本の選択眼と入手に関しては天才的な才能の持ち主で、子供の頃からエロ本マスターPとして絶大な名声を」
「声を小さくしろ。今は客商売やってんだぞオレ、それにここの主人がオレの親代わりだと知ってるよなおまえ?」
「すまない。で、幸いなことに今日は冬至節だったので、僕は、夕べ彼の寝室に忍び込んで、枕元にその『穢されたヒメーション・引き裂かれた処女』をメリー冬至節のメッセージカードと共に枕元に置いてきたのだ」
シーフォンが右手をあげ、自分のこめかみをさすった。
夕べは遅くまで古文書を解読していた。頭を使いすぎると疲労がたまり、結果として目や耳の働きが鈍くなることがある。そういったことが今、自分に起こっており、神官の言葉を聞き間違えたかと思ったのだった。手をおろすと、真っ白い僧衣を身にまとった大河神殿の使徒が、厳粛そのものの表情でこちらを見つめていた。その隣では、パリスが両手で頭を抱えている。
「けがされ……なんだって?」
「『穢されたヒメーション・引き裂かれた処女』。本の題名だ。ケガサレは普通の汚れじゃなくて触手にやられたっぽい綴りだ。神殿軍戦士団の変態男が訪れた古代遺跡で女魔法使いや女騎士を相手に陵辱の限りを尽くすという話で、暗い廃墟で聖職者があんなことやこんなことを! という実に味わい深い内容だった」
「それをおっさんの枕元に置いてきたのか?」
「そうだ」
シーフォンはもう一度こめかみを擦った。太古から蘇りし皇帝を倒し、幻想のアーガデウムを沈めた英雄がエロ本を手に同僚の寝室に忍び込む姿を想像すると、そして目覚めたメロダークが頭がぐんぐん悪くなるような題名の本を枕元に発見した気持ちを考えて、疲労とは関係なく、ずきずきと頭が痛みだしていた。
「おっさんがかわいそうになってきたぜ」
ぼそりと呟くと、パリスが言った。
「オレはさっきから、巫女長の気持ちになって頭が痛い。ばあさんがかわいそうだ」
「一番かわいそうなのは僕たちじゃないのかもしかして。冬至節の朝から何をやってるんだ僕は? おまえら他にやることないの?」
「仕方がないだろう」
むっとした顔でエメクが言った。
「テレージャは論文の執筆があるといって、昨日も今日も会ってくれないんだから」
2
『穢されたヒメーション・引き裂かれた処女! 遺跡に響き渡る女魔術師の幼い絶叫! やめて壊れちゃう私の封印された小箱! 神殿軍兵士団の猛り狂った聖絶の剣がうなるとき……!』
というのがそのエロ本の正式名称であった。
自室の書き物机にむかい、メロダークは両手で頭を抱えていた。くしくもパリスと同じポーズ、シーフォンと同じ種類の頭痛であった。
かたわらには小さなカードが落ちている。
「メリー冬至節!
大神ハァルとアークフィア女神の加護が今日もあなたにありますように!
これは僕からのささやかな感謝をこめた贈り物です!
今日はこれを読みつつ一日ゆっくり休んでください。
後でぜひ感想をきかせてくださいね!」
メロダークが思うに、エメクという青年は実に素晴らしい。
その素晴らしさは、彼の特殊な生い立ちや強大な魔力や、タイタスを滅ぼした力によるものではなく、輝く光のような精神に由来するものだ。彼の前に跪いた時、メロダークは己の信仰から揺らぎが消えたことを感じた。
エメクは彼の恩人であり雇用主であり神である。
いついかなる時も、折れたり曲がったりすることのなく前を向き続ける、善意にあふれた彼の精神は素晴らしい。
しかし今、またしても己の信仰が試されているのを強く感じた。
「後でぜひ感想をきかせてくださいね!」
エロ本を贈りつけるところまではギリギリ許そう。
理解の範疇は越えているが、おそらくこれは彼なりの好意と気遣いなのだろう。最大限に好意的に解釈すれば、神殿育ちの純粋無垢な青年が精一杯背伸びをした結果の贈り物だと思えなくもない。いや思えるはずだ、思うべきだ、そうだ、思えないのは根性及び信心が足りんのだ。だがそうやって思い込んだとしても、何が悲しゅうてそんなものの感想を語らねばならんのだ、一回りも下の人間に、しかも神官同士なのにという疑問は依然として残る。
「後でぜひ感想をきかせてくださいね!」
素朴極まりないエメクの筆跡を見つめるうちに、段々とそれが鋭い命令のようにも思えてきた。
命令だとしたら背くわけにもいくまい。
覚悟を決めてエロ本に手を伸ばしつつ、メロダークは思った。
――もしかして、エメクは馬鹿なのではなかろうか。
3
「彼がホモだったとしよう」
果実酒のおかわりをカウンターで受け取ってきたエメクが、着席するなり口を開いた。
「そして僕のことをそういった対象として愛していると。同性同士であることや性的指向以前の問題で、僕は彼の気持ちを受け取ることはできない。僕には愛する人がいる」
真顔できっぱり断言されて、シーフォンとパリスが同時にため息をついた。
「そらまた今日もごちそうさん。式はいつって?」
卓上のパンの切れ端に手を伸ばし、興味のなさげな口調でパリスがたずねる。
「夏の予定だ。その頃には論文や頼まれた原稿の執筆も一段落つくというから……僕はできればすぐにでも神殿に移ってきてもらいたいんだが、まさか婚前の男女が同じ場所に住むわけにはいかないし。ははは、まあそれはテレージャには断られるに決まってるよな。そんなことを提案した自分が恥ずかしかったよ」
エメクの頬はうっすらと赤く染まっている。大の男が恋に恥じらい身をよじるさまは、非常に不快だった。
『彼女がいかに素晴らしい人か』というエメクの世迷い言は聞き飽きた感があるのだが、何しろ今日は冬至節の朝である。
怪異騒動が一段落した冬の初めには、愛の告白に「ふうん、きみがそんな風に思ってくれていたなんて驚きだね。また今度二人の時に返事をさせてもらうよ」とそっけなく返されたところから始まって、誕生日に食事をしようという申し出は「知り合いの出版社から頼まれた原稿の締め切りがあるから」と断られ、神殿に来いという誘いは「遠慮しておくよ、神殿には人が多いからね」と拒絶され、贈り物には丁寧で冷たい返礼、デートの誘いはそっけなく「駄目だ」、なんとか出かけることになったら行き先は遺跡で目的は調査、本当にこの二人は結婚するのか、いやそれどころか恋人同士だというのすら実は妄想ではないのか? とつっこんだらエメクからは懇切丁寧な説明とともに否定されるのだが、その説明があまりにも理路整然として隙がなさすぎるため、きいているうちに段々と悲しくなってくるという寸法なのだった。
そういうわけでパリスとシーフォンは、微妙に哀れみを含んだ目で、締まりのない顔で笑うエメクを見つめていた。
「ははは……まあそれはともかくだ」
二人の視線にようやく気づいたエメクは、こほんと咳払いをした。
「いやすまなかった、彼女の話となると僕はすぐに夢中になってしまう。決まった相手のいないきみたちに気遣いがなさすぎるな」
「いや、僕がきいてて悲しくなるのは別の」
「黙れシーフォン、言うな、言ってやるな、思い出せ優しさを――メロダークのおっさんの話に戻るけどよ、具体的に何があったわけじゃねーんだろ、今のところは」
「具体的にとは、彼から何か邪な波動を感じるということか? いや、そういうのはないな」
「あんた僕が好きなのかって直接きけよ。先手を打ってよ」
邪な波動ってなんだと思いつつ、シーフォンが言った。万事に先手必勝というのが彼の固い信念でもあった。
明日できることは今日やらぬが信条のエメクが、大変渋い顔をした。
「しかしな……僕にも経験があるのだが、聖職者というのはとかく性的な冗談のネタにされやすい存在だ。こと同性愛的な話に関しては、これだけおっぱい大好きを公言する僕ですら『このホモ野郎』と嘲笑された苦い記憶には事欠かない有様だ。あれ、結構傷つくんだぜ――だからメロダークさんの性的な好みがどうであれ、そういったことを直接質問する非礼はごめんこうむりたい」
「影で言ってるほうがよっぽど失礼なんじゃねえの」
「本人が知らなければ何一つ問題ない。ばれない浮気は浮気ではなく、発見されない死体ならばそれは殺人ではない」
堂々たる態度で倫理の欠片もないことを言ってのけた神官の青年は、ふと考え深げな表情になった。指先でテーブルを軽く叩く。
「……それにだ、シーフォン、きみにもこういった経験はないか? 『好きな人がいるのか』ときかれた場合、そうきいてきた相手に対し、誰しも心の中にいくばくかの期待と好意を持ってしまうものだ。つまり『あれこいつひょっとして俺のこと好きなんじゃないの? なんだよ意識してなかったけど結構こいつかわいくね? よく見りゃおっぱいも大きいし』の法則だ――もしもメロダークさんが男性を好むところの人であって、にも関わらず彼が僕を性的な対象として意識していなかった場合、僕が『メロダークさんはもしかして男性が好きなんじゃないですか』と質問することによって、彼の中に僕に関するある種の予断が生まれるのではないだろうか。それは危険だ。だからだ、直接きく場合はできればきみが質問してくれないか、パリス」
「当然断る。この流れでそれを引き受ける奴がいるなら是非オレに紹介してくれ、壷の在庫を抱えて困ってるんだ」
「きみは彼と一緒に住んでないからまだしもじゃないか。僕やシーフォンと違ってそれなりに体力もあるし……」
「体力言うな、せめて腕力って言えよバカ! 生々しくて怖えんだよ!」
シーフォンがぼそりと呟いた。
「あの能天気騎士がいればよかったのにな」
そこで三人はしばし窓の外の青空に目をやり、アルソンさんに思いをはせた。彼には腕力があり、からりとした含みのない明るさがあり、空気の読めなさがあった。完全に空気を読めない人間は、完全に空気を読めるのに等しい。つまりこういった失礼な問い掛けを行うのに完璧な適役だったが、彼はすでにナザリを経由して己の領地に戻り、そこで真面目にてきぱきと働いているはずであった。若者たちが見つめる青空のどこかにアルソンさんの笑顔が浮かび、『そんな風に思わないで勇気を出してきいてみたらいいですよー、きっと大丈夫ですよー!』という声がきこえてきたとかなんとか。エメクがふりむいて言った。
「とにかく、直接質問するのはいけない。それ以外の方法で判別する方法を考えてくれ」
議論は振りだしに戻った。
4
「『ああっ、何をするの!? やめてっ、助けてお母様ーっ!』
『へへへ、かわいい声で鳴きやがるぜ。叫んでも無駄だ。この遺跡には誰もいやしねえ。俺は冷酷無情な神殿軍戦士団の兵士だぜ』
『いやーっ、触らないでぇー!』
全裸になった男は、泣き叫ぶ少女の体を抱きあげた。そして少女を地面に――いや、地面に密集した十、二十、いや数えきれぬほどのニョロの群れにむかって投げつけた。少女の体はいやらしいぬめりを帯びた生き物の群れに呑み込まれる。冷たい軟体動物の体が薄いローブの下に殺到した。
『あああーんっ、ニョロがっ! ニョロがっ、入ってくるうっ! いやあっ、そんなところ、いやああっ!』
収縮しながら肌の上をねっとりと這いずり回るその感触に、為す術もなく少女は泣きながら身を捩るばかりであった。」
メロダークの眉間の皺が深くなった。
三ぺージ目ですでに話についていけなくなっている。
――なぜさっさと立ち上がらないのだこの女は。誰に対する説明なのだこれは。この男も、ニョロに絡まれる女を見て何の得がある。大体なぜ脱いだ。この展開で全裸になる必要性がどこにある。脱げばいいという物ではないのだぞ。
メロダークは、フィクションを読めない男であった。
――第一、神殿軍の戦士団が女子供にこんな風に不埒な振る舞いをするわけがなかろう。聖戦士という呼び名をなんだと思っているのだ。世に溢れる他の小説と同じように、ひどい嘘だ。
バカらしいとは思うがこれも忍耐を試す機会だ、苛立つ己をそうなだめつつ、渋い顔のままページをめくった。
5
果実酒も杯を重ねるとほどよく酔いがまわりはじめる。
三杯目の林檎酒を飲みほしたシーフォンが喉を鳴らして、赤くなってきた目元を擦った。
「裸になりゃいいんじゃねえの」
だるそうな口調でそう言った。エメクがこちらは四杯目の杯を卓上に置く。
「なんだって?」
「だからおまえが脱いで、それ見たおっさんが勃起すりゃ、アレだろ?」
常に実際的であることが信条の第一であるシーフォンらしい、単刀直入かつ明瞭極まりない発言であった。一座の中では一番酒に強い上に一番常識的なパリスが、エール一杯目らしい常識的な突っ込みを入れた。
「見てわかるか?」
エメクが羽織った僧衣は丈が長く生地もぶ厚い。防寒具も兼ねているため、冬場の神官たちはいつでも概ねこういう格好である。シーフォンはエメクの姿をちらりと見ると、はん、と鼻を鳴らした。
「おっさんが事あるごとに裸になるのを忘れたか? 脱いだ時に見計らって試せ」
エメクの眉がぴくりと動いた。
一瞬目を閉じ、想像を巡らせていたようだったが、目を開けるとシーフォンにむかってきいた。
「とてもいい考えだ。さすがだと思う。しかし、しかしだよ……」
「なんだよ?」
「自発的に全裸になった男の前で自ら進んで服を脱ぎ裸になる若者がいるとすれば、一般論として、その若者はホモではないのだろうか」
「違うんだろ。違うんならいいじゃないか。誰に見られるわけでもねーし」
「ちょっと待てよ。すると僕とメロダークさんが二人きりの時に脱ぐわけか?」
「アホかおまえ人前でやったらホルムどころかネス中の噂になるぞ」
「その状況でもしもメロダークさんが勃起した場合、全裸の僕はどうしたらいいんだ? そこから何かを説明する暇はあるのか?」
「説明せずに逃げろよ」
「裸でか?」
「靴は脱ぐな。最後まで履いておけ。それなら全力で逃げられる」
「しかしきみも知っての通り僕は童貞で、己の性に関しては原初の密林と同じく未知の領域も多い。絶対に勃起してはいけないという自分への言い聞かせが全体的な文脈と外れたところで思わぬ興奮を呼び、万が一全裸になった僕が勃起してしまった場合、そしてメロダークさんが男性に性的関心がないため勃起しなかった場合、彼の献身的性質と自己犠牲心から推測するに非常にややこしい事態にならないだろうか」
「知らねえよそこまでは! ていうかもうテレージャ連れてこいよ!」
「なんだって?」
「だから最初に合図を決めとけよ! それでおまえが裸になったらおっさんが勃起してるかどうか確認して、すぐにあの不良巫女に部屋に入って来させりゃいいじゃないか! 入ってきたら『ああ愛するきみに会えると思ったらこんな風にいきり立ってしまった。僕はメロダークの裸を見て勃起したわけではない』って言えよ! そしたら気まずくもならないし逃げずにもすむだろうが!」
エメクが平手をテーブルに叩きつけ、目をむいて怒鳴った。
「馬鹿かきみは! なにが悲しくて自分の恋人に他の男の裸を見せなきゃならんのだ!」
「気にする眼鏡かよ!」
「口を慎んでもらおう、そして彼女のチャームポイントをさりげなく罵倒語にするんじゃない! いいか、あの人は深窓の令嬢で最近まで尼僧院にいたから人一倍清らかで邪心がないのをきみたちのような俗物が誤解してだな! 先日もついうっかりパリスから借りた『踊り子さんのオイルトラップ』というエロ本を見られたが、ぱらぱらとめくって『踊り子の衣装を着て出てきたのになぜすぐに全裸になるんだい? わかってないなあ』と――それをきいて僕は、ああ服を脱がなければ愛し合うことができないのを知らないなんて彼女は野原の百合のような人だと汚れた己が恥ずかしく」
「おいそれ野原じゃなくて毒の沼だぞ」
「マジでおまえいい加減にしろなんでオレのエロ本ばっかり」
「すまない、祈祷書の間に挟んでいたのをついうっかり」
「また祈祷書かあっ! もうオレじゃなくて女神に詫びろ!」
「その件について先日遺跡調査の折りにあの泉で直接きいてみたんだが、アークフィア様は『男の子だもの いいですよ』と」
「きくなあああ! 直接きくなーっ! てめえホルムが洪水で滅んだらてめえのせいだからな!?」
つかみかかろうとしたパリスを片手で押しとどめ、シーフォンがきりっとした声で言った。
「待て、じゃあこういうのはどうだ? 服を着たおっさんの前で『僕はホモではありません』と最初に言ってから全裸になってその時点で自分が勃起していないのを確認し、その後『今すぐ裸になってくれませんかメロダークさん』」
「色々矛盾しすぎだろうそれは。もしもそれが彼の容量を越えた事態であって、身の危険を感じたメロダークさんが『助けてくれ犯される!』と絶叫しつつ走って逃げ出したら僕は、いや僕の立ち場などどうでもいい、そうではなくホルムの町のアークフィア信仰はどうなる?」
「追いかけて捕まえて説明しろ」
「シーフォン、シーフォン、シーフォン――きみ、さっき靴を脱ぐなと言ったのを忘れたのか? 靴を脱がぬまま裸になって、部屋から逃げ出した男を走って追いかけて捕まえる若者がいるなら、それは彼が用意周到なホモだという証拠じゃないのか」
カウンターから身を乗り出したオハラが怒鳴った。
「あんたたちいい加減にしなさい! 続きは外でやって! 営業妨害だよ、酔っぱらいども!」
6
「ズボンを下ろすと神殿軍の男は下卑た笑いを浮かべた。恐怖に打ち震える女にむかって宣言する。
『へっへっへ、俺のふぐりの剣の呪文をくらいな!』」
つかんだ本を壁に叩きつけかけたメロダークは、すんでのところで動きを止めた。
大変な忍耐力であった。
半ばまで終了したが、まったくひどい本だった。破廉恥な内容はさておき、神殿軍の兵士を名乗る男の描き方が本当にひどい。女と見れば即座に全裸になって襲いかかり変態的な言動を繰り返すのはともかく、女を犯していないシーンでも礼儀は知らない身形は汚い空気は読めない気はきかない性格は陰湿でしゃばりすぎる大酒は飲む料理はまずいと、こんなものが堂々と印刷されて出回るとは、ネス国民の神殿軍に対する憎しみの深さに戦慄する思いであった。あるいは作者が神殿軍の戦士団に恨みでもあるのか……いや、戦争によって領土の一部を荒らされたことへの一般大衆の鎮まらぬ怒りが、こういった娯楽小説の形をとって噴出しているのかもしれない。
そこまで考えた時、メロダークの脳裏に閃くものがあった。
――そうか、エメクはこれを私に伝えようとして……!
元神殿軍の密偵という彼の過去を知る人間はほとんどいないが、ユールフレール及びシーウァ出身者の立ち場はホルムではいまだ微妙であり、町人たちの感情は溶けてはいない。
これは今後も人から誤解されぬようますます身を慎み徳を磨き、神官としての務めに打ち込むようにというエメクからの伝言なのだ。直接言えよと思わないでもないのだが、おそらく教えられてではなく、メロダークが自分で気づくことに意味があったのだ。
なんという配慮、いや深謀遠慮なのだろう。
やはり彼は俺の主にふさわしい人間だ。
かすかな感動まで覚えて、メロダークは手元のエロ本を見下ろした。くだらない内容だと思っていたが、そうなるとこれは読み方を変えねばならない。表情を改めてページをめくる。
「『さあて尋問の続きといこうか』
『ああっ、お願い、やめてください』
『何をやめて欲しいんだって?』
『そ、それを隠して……見せないで……いやっ!』
神殿軍の兵士は両手を頭の後ろで組むと、隆々とした股間を女の顔の前に突きつけた。全裸を見られると興奮する変態であった。
『俺のクレイモアはもうバーサークで突撃命令だぜ』
いうなり男の構えから繰り出された技は、八連剣陣であった。」
はっとしてメロダークは、いつの間にか頭上に振り上げていた本をおろした。
いかん。またしても壁に。
7
港の近くの小じんまりとした三階建の下宿屋の一階が、テレージャの部屋である。
最初は見晴らしのいい最上階を使っていたのだが、書物の量が増えすぎたせいもあって、最近になって一階に引越してきたのである。エメクが神殿に来ないかと誘ったのはその時で、テレージャはしらけた顔でにべもなく断ったのだが、今日になって同じことをもう一度口にすると、照れたようにうつむいた。
「嫌だよ、だって、ずっと一緒にいたらどうしても……んっと……恥ずかしいことをしたくなるじゃないか」
雪の積もる路地に立ち、大きく開いた窓枠に肘をついて部屋の中に上半身をのりだしたエメクは、窓辺に立つテレージャの顔を見上げる格好になっている。恋人の部屋が一階になってよかったことは、下宿の側を通りすがった時に窓を叩けば、彼女の顔を見、うまくいけばこうやって会話をかわせることだ。といってもいつもはほとんど相手をしてもらえないのだが。
今日のテレージャは、いつもよりも優しい表情で恋人の顔を見おろしている。窓枠の上に置かれた彼女の手に手を重ねれば、恥ずかしそうに指を絡めてくる。
冬至節にこの雪景色ということで、いくらかロマンチックな気持ちになっているのではなかろうかと内心で感心しつつ、エメクは彼女の手を握りしめた。つまり今日はいける。
「我慢するよ。約束する。結婚式が終わるまで、きみが嫌がるようなことは一切しない」
「違うよ、きみじゃなくて私がしたくなるって言ってるんだ」
「嘘つき」
「嘘じゃない。なんだよ、夕べは放っておいたくせに、今日は昼間っから――酔ってるのかい?」
「少しだけ。ひばり亭でパリスとシーフォンと冬至節をお祝いしてきた」
理不尽なことにテレージャが拗ねた顔になった。エメクは呆れて彼女の手を取る。
「論文の執筆があるって言って、僕を振ったくせに」
「それはそうなんだけど……だってきみ、メロダークくんと一緒だったし……」
テレージャの声が少し甘い。
「入っていい? 今から二人で冬至節のお祝いを」
「駄目だよ」
テレージャの手を持ち上げると、白いなめらかな甲にキスをして、上目遣いでちらりと彼女の様子を伺う。
「いいって言えよ、テレージャ」
「ん……そんなこと言って、この間も途中で帰ったくせに。きみは意地悪だ。私を焦らしてばっかりで」
「悪かったよ、でも怪我人が来たって連絡が……アダ様だけじゃ……それにあの時はメロダークさんも一緒だったから、あれはデートというより単に探索で」
テレージャがするりと手を引き抜いた。
「どうしたの?」
「どうもしない。なんでもない。それで今日はメロダークくんはどうしたの?」
「冬至節だからお休みを。年中僕にくっついて回ってちゃ、彼だって疲れるだろうし、強引に一日休みを言い渡してきた。今日は二人でゆっくり……」
「……初めてメロダークくんが側を離れたのに、朝からパリスくんとシーフォンくんと酒を飲みに行ったのかい?」
「いやそれはたまたま、神殿の前で雪かきをしていたらパリスが通りかかってだよ」
気がつくとテレージャが白けきった表情になっている。さっきまでエメクの手の中で遊ばせていた指で眼鏡をかけなおし、
「前から思ってたんだけどね」
と言った。
「きみはあれか、率直にいって男しか愛せない男なのか」
エメクが思い切りのけぞった。
「なななっ」
声がでない。眼鏡の奥でテレージャの両目がやけに真剣に光っているのに気づき、ますます慌てる。
「ちょっと待て、なんで僕が! 絶対違う――おい、冗談じゃないぜ、何度も言うけど僕が好きになったのはきみ一人なんだぜ!? きみに会うまでは生涯を信仰に捧げるつもりで、生身の女の子に注ぐ情熱をすべてエロ本の収集に使ってたくらいなんだから! パリスにきいてくれりゃわかるよ、僕がどれだけエロ本に情熱を傾けていたかは!」
路地のどこか上の方から、ばたんと窓が閉じる音がきこえた。恋人の家の前でエロ本エロ本絶叫している己を自覚して、さすがに赤面した。
「あっ、す、すまん、声が大きかったな」
「どうでもいいよ、声の大きさなんて。好きなことを好きに話してくれればいい。それに私はきみが男しか好きになれなくても別に構やしないんだ」
テレージャが思い切りそっけない口調で言った。また少し惚れなおした。自分でもここで胸が高鳴るのはおかしいと思うが、そもそもこのすべてを許容する態度を好きになったのだから仕方ない。
自分の呪われた血だの忌まわしい生い立ちだのを、気遣いすら存在しない声で「どうでもいいよそんなこと」とさらりと一蹴された時の安堵は今も青年の胸の底に残っており、そういう物が積み重なって己の強さになっていくことも、今のエメクにはわかっていた。
だがテレージャが寛容だからといって、この誤解はたまったものではない。情けない声で抗議する。
「構わないって、なんだよ。構えよそこは」
「構わないよ。その場合は一生、私が、きみに片思いしてりゃいいだけの話だ」
告白は完全に不意打ちだった。息を止め、さっきとは違う理由でまた一段赤面したエメクにむかって、テレージャは真面目な顔のまま続けた。
「なんだい、誕生日でもデートの誘いもデートの日も神殿にでも、きみはずっとメロダークくんと一緒で……二ヶ月前のあの日にさ、きみが私を探してるってきいて、私もきみを探して町中をうろうろしてたんだぜ。会いたくて会いたくて……私……私、てっきりきみが告白してくれるものだと……最後に疲れて広場で休んでいたら、きみがやってきたんだ」
「テレージャ」
思わず手を取ると、彼女の指がするりと逃げようとする。だが、強く握り締めた。その手を見下ろして、わずかに頬を染めたテレージャが続けた。
「――あんなに嬉しそうな顔のメロダークくんと一緒にさ。あの時、私が泣きそうになっていたのに、気付かなかっただろう。しかも彼の見てる前で告白なんかされたら、こっちはそっけない態度をとるしかないじゃないか。知ってるさ、きみは私よりもメロダークくんが好きなんだ」
焼いているのか、と初めて気づいた。
さっぱりして、何事にもこだわらない性格だと勝手に思い込んでいた。
「すまなかった。ごめん。いつもきみが気にしていない、というのを僕は本気で大丈夫なんだと思い込んで……」
「謝らなくていい。別にいいんだ……メロダークくんを恨んでるわけでもないし……きみはきみの好きにしていて欲しいのも本気だし……私が勝手に拗ねてるだけだ」
「テレージャ」
窓枠に両手をかけると、エメクはひょいと足をあげ中に乗り込んだ。
「あっ、ちょっと! げ、玄関に――」
「忙しいんだろ? そんな暇はないよ」
窓枠にまたがったまま、伸ばしたもう一方の手で恋人の肩を抱き寄せた。テレージャは、わずかな抵抗の素振りしか見せなかった。両手をエメクの背に回し、のしかかってくる体重を支え、だが長いキスの途中で結局バランスを崩し、二人はもつれあったまま室内に倒れこんだ。危ないところで床に両手をつき、テレージャを押しつぶすのを回避する。「テレージャ」荒い呼吸のまま手を動かすと、テレージャが声をあげ身をよじった。
「馬鹿っ、いきなりどこを触ってるんだよ!」
「すまない、なにしろ本で読んだ知識しかなくて」
「……どういう本を読んでるんだよ、まったく」
呆れた声で言うと、テレージャは潤んだ目でエメクを見つめた。やがて「待って、窓を締めて」と恥ずかしそうに囁いた。
8
神殿軍の兵士が死んだ。
その死には何の前触れもなかった。二ぺージ前に登場し、アークフィアの巫女の下半身に絡んで吸盤で彼女をあっはんうっふん言わせていたイドの触手の一撃を眉間にくらって、死んだのだ。
「こうして悪は駆逐され、遺跡には平和が戻った。 <終>」
メロダークは呆然として最後のその一行を見つめていた。
ちょっと待てと思いながらぺージを前にめくり最後までめくり、もしや巻頭に「一巻」という表記がないかを確認する。なんの落丁も読み落としも「この作品は未完です」という表記もなかった。死んだのだ。そして終。
――ちょっと待て。
神殿軍の戦士団という立場で出てきた以上、最後は彼が改心して自殺するなり、強姦罪で逮捕されて裁判を受けるなり、仲間の団員が出てきて彼を断罪するなりの展開があると思っていたのに、なんだこの適当極まりない終幕は。イカのゲソでびしーって。
散々に犯された女たちはどうなる。
そして何より神殿軍の立場は。
段々と頭に血が昇ってきた。
何が『穢されたヒメーション・引き裂かれた処女』なのか。穢されたのは神殿軍の名誉だけではないか。引き裂かれたのは民衆の信頼だ。(はからずもうまいこと言ってしまった己に、メロダークは強い苛立ちを感じた)これではこの本の読者が、神殿軍の兵士は強姦魔で露出狂で変質者だと信じ込み、ユールフレールの大神殿を変態の総本山だと誤解したまま一生を過ごすことになってしまう。
つくづくフィクションの読めない男であった。
メロダークは机の引き出しを開けると、中を乱暴にかき回し、便箋を取り出した。
自分にやれることは一つしかない。
この不埒な作品の作者と出版社に、抗議の手紙を送るつもりだった。
ぺージを最後までめくれば出版社の社名と住所は書いてあるが、作者名はどこだ。どうせふざけた筆名を使っているに決まっている。抗議の手紙を受け取って少しは恥じるがいい。血走った目つきで本のあちこちを乱暴にめくり、とうとう内表紙の裏に、作者名と著者紹介の一文を発見した。
「ホルム在住気鋭の新進作家! 神殿軍戦士団に個人的な恨みなどありません! 遺跡探索の経験を活かし、日々執筆にいそしむ誕生日を迎えたばかりの巨乳美人作家・T先生にはげましのお便りを!」
メロダークはしばし黙想した。
椅子を蹴って立ち上がり、エロ本を壁に投げつけて、怒鳴った。
「何をしとるんだあの眼鏡は!」
9
テレージャがキスの合間に囁いた。
「ねえ、ほんとにどんな本を読んでるんだよ?」
「なんで?」
「だって、なんで靴を脱がないんだ? おかしいだろそれ」
エメクは真面目な声で答える。
「いや、これは友人からのアドバイスだ。全裸になる場合も靴だけは履いておけという……」
「どんな流れでそうなったんだよ――まったく、きみたち男どもときたら……」
優しくエメクの膝を撫でたあと、ゆっくりと下りてきた野の百合のように白く可憐なテレージャの指が、サンダルの紐を解いた。
10
「私はホモではない」
きっぱりとした口調でメロダークが言い、表紙に折り目のついた『穢されたヒメーション・引き裂かれた処女』を突き出した。
「この本は返す。おまえの気持ちはありがたいが、様々な意味でこれは所持していたくない」
「ああ、そうですか――安心しました――残念だなあ」
本を受け取ったエメクは、慌てた口調でつけたす。
「残念なのは本を気に入ってくださらなかったことですよ。違いますよ。そうか、所持していたくない、か……僕はすっごくいいと思ったんだけどなあ。おっぱいの描写が特に素晴らしくて」
「それはよかったな……くだらん、というのが私の感想だ」
苦虫を噛み潰したような顔でメロダークが言ったが、エメクは口にしたほど残念に思わぬまま、何の気もなしにぱらぱらと本をめくった。主人公が神殿軍の兵士だったのが気に入らなかったのかなと推測することはできたが(そこがいいんじゃないか、身を慎んでしかるべき立場の神官があんなふるまいに及ぶのが、とエメクは思うのだが)、それよりもこの次々に繰り出される様々なエロシチュエーションのどれもが琴線に触れなかったことが、まず驚きだった。
しかし人の好みは様々というものだし、第一自分だって自分の性的な好みを、今朝までは本当の意味で把握できていなかったくらいだ。まさか「好きだ」というひと言であれだけ気持ちよくなってしまうとは――もっともテレージャも同じことを……。
締まりのない笑みを浮かべながら本の表紙に目を落とすエメクの側で、メロダークの方は相変わらず機嫌の悪い顔だった。
「そもそもおまえは私をなんだと思っているんだ。帰宅後の第一声が『ただいま帰りましたがもしかしてメロダークさんはもしや僕を性的な意味合いで愛していたりするのですか』はなかろう。なんだそれは。巫女長殿がおききになったらどうお思いになるか」
「ははは、すみませんちょっと突然気になって――もしもそうなら、色々と悪いことをしているなあ、と。人の気持ちは本人に直接きいた方がいいのだなあと、考えを改めたもので」
「私のおまえに対する忠誠心はそういうのではなくてだな。そもそもおまえは女神に対して性欲が湧くのか」
例えが軽くおかしい。思わずメロダークの顔を見直したが、特に他意もなさそうないつも通りの真面目さだった。「そうですか、僕はさっき女神を抱いてきたところですよ」という浮かれた返事を、エメクは危ないところで飲み込んだ。
照れ隠しに表紙をめくり、すぐに手が止まる。
「メロダークさん?」
薄い冊子を思い切り開くと、エメクが綴じ目を指で示した。
「これ、最初からこんなでしたっけ?」
「……」
「僕が買ってきた時は、内表紙があったように思うんだけど……」
おかしいなあ、と本を持ち上げて透かし見るエメクに、メロダークが言った。
「そのぺージは私が切った」
「え、なんでです?」
「……気遣い……おまえとテレージャの婚礼が近いので、余計な波風は……いや、なんというかつまり……いいだろう、親切だ、親切」
ぽかんと口を開けたエメクにむかって、メロダークは口早に言った。
「つまりメリー冬至節、だ」
さっぱり意味がわからない。
わからないのだが、今のエメクは誰かの人間を追求するよりも、ただ幸福な気持ちを分かち合いたかった。だってこんな一日だ。あんなに美しい雪景色で、あんなに美味な果実酒で、あんなにたくさんのキスと抱擁だ。
それで神官の青年は、いささか皺のよった僧衣の襟を正すと、輝くような笑みを浮かべ、年上の友人にむかって高らかな声で告げた。
「メリー冬至節!」
end