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蝿の王

『鍵の書』イベント後/シーフォン


口中の血が邪魔で呪文が唱えられない。
吐いても吐いても血が喉の奥から溢れてくるので息を吸うことすら困難で苦しい気持ち悪い苦しい苦しい痛い辛い、なんでこんなことになっているんだよ。頭の中に千匹の蠅が飛び交ってやがるのでうるさくてうるさくて痛くて痛くて死にそうだ。僕はいつのまにか淡い埃の積もる死者の迷宮にいる。遺跡を這うように進む、血を吸って重くなったローブが腹の傷に当たって痛い、視界は暗く歪んでいる、瞼がどうしても上がらない。血が額を伝いどくどくと流れてくる。

あいつがあいつらがあいつらの

あの魔法も使えない怪力のクソ女がぶんぶんぶんぶん振り回したメイスが僕の頭にめりこんだせいで目が見えないし呼吸もできないし両手が痺れているのだ。

痛い痛い痛い痛い。
僕はあいつを先頭に歩くあいつらの後ろを歩いて気がついたらいつも最後を歩いてそれは僕が利口だからだ先頭を行くのなんて馬鹿のすることで迷宮にはどんな罠があるのかわかったもんじゃない。そしてあいつやあいつらの背中を見ながらずっと歩いていて、怪力女がメイスを振り回して夜種どもの頭や背にあのメイスがめり込むのを見てすげぇなあ気持よく潰れんなあほんとに何食えばこんな力がつくんだよこの女はと思っていて、実際ひばり亭でそれを口に出したらネルはむくれて次からは守ってあげないよと言ってはぁ? 馬鹿なのあんた、なんで僕を? 僕が背中を守ってやってんだよないつも? ああそうなんだしーぽん守ってくれてたんだ! なんで笑ってんのおまえ!? でも気がついたら僕も笑ってる、ネルが馬鹿だからだ勘違いすんな、それなのに皆が笑って笑ってランタンのオレンジのあかりがゆらゆらと揺れていたスープが温かかった香草と魚の香りがしたパリスの馬鹿が僕にワインを回してもっと飲めよと言った酔っぱらって立てなくなったら陰気なメロダークが僕の背に手を回して支えた、エルフの矢を受けた傷は変人の巫女が暖かい手で触れたら傷が消えていって水面に叩きつけられかけた時はラバンのじじいが握った剣を放り出して手を伸ばしたそれなのにああ、僕を見ていたあの目、あいつがあいつがあいつが、あいつらの先頭に立って・中心にいて・あの輝くような炎の魔法を使う・くそじじいにかわいがられていて魔法使いなのに誰もあいつを憎しみの目で見ない・あのあいつ・アベリオンが僕の魔法の矢を肩に受けて倒れた瞬間にあいつらが僕を見たあの目、ああ僕だってちょっとびっくりしたのに手が震えたのに、噴き出す血を見てうろたえたのに、鍵の書を渡したくない気持ちをちゃんと汲んでやったのに、なのにあいつらが僕を見たあの目、足が動かないので手を使って前へ進もうとしたら掌のべろりと剥げた皮膚の下に砂利や泥が擦りつく、汚い汚い手当てしなければ傷が汚れて毒がまわりこの手は失われてしまうぞ焦点具を持てなければ僕はどうなってしまうんだ、なにかねばつく物が爪の間にはいる、まつ毛が焦げて瞼が貼りついた右目をべりべりとこじあけてみたら僕の手にはなにか汚くて気持ちの悪い物がべったりとついていてもしかしたらこれは僕の体の一部なのか? けれどもうそんなのどうでもいいなぜなら僕はここで死ぬからだなんでだよなんでだよなんでだよ。

耳が石の床に張り付いているせいで足音は地鳴りのように響く大きくきこえる体が揺れる。
光る虫の群れが作る薄明かりさえ今は恐ろしい。禍々しい。夜種どもは傷ついた生き物をなぶるのが大好きだ。土から生まれた小鬼のような雑魚どもですら、今の僕なら鼻歌まじりで殺してのけるだろう。怯えきった女の悲鳴がどこからかきこえてきておかしいなあと思ったらそれは僕の喉から漏れた僕の声だ、「ふぁあああひゃああふぁあああああああ」意味不明な喚き声が漏れている黙れ黙れよ夜種どもに聞きつけられたらもう終わりだ、それなのに怖くて怖くて怖いから声をとめられない、なんだいつもの僕じゃないかと皮肉っぽい声が頭の後ろでちらりときこえた黙ってろよ引っ込んでろよ、血が鼻と耳にまで溢れているせいできこえる音がおかしい。ごぼごぼごぼ。耳が痛い。目玉がぱんぱんに膨れ上がっている。心臓が痛い。手が痛い、足が痛い、頭が痛い。首を落とされた鶏が走りまわる。今の僕はそれと同じだ。何も考えられずに血が出る体を引きずってぐるぐるとまわっている、ぐるぐると。今近づいてくる夜種どもが僕を捕まえて僕を笑いながら殺したとしても誰も奴らを止めはしない殴りもしないだろう。畜生。畜生。足音が角を曲がって近づいてくる。
下半身が鉛に埋められたようだ。血が流れる。大事な大事な僕の血が。

指が地面を掻く。口が痛い。頭が熱い。暗闇の中で僕を取り囲む愚劣で低能な小鬼どもの姿が目に浮かぶ。ああでもおかしいな、夜種にしては体が大きい。まるで人間のようだ。ああ大学で僕を見下ろしていた学生どもの姿だ「神童」「子供のくせに」「ろくな大人にならん」「若いだけで」「大した才能じゃない」「才能だけで」「天才だから」「過大評価」奴らは蠅のように不快だ、うるさいうるさいうるさい。僕が睨みつけるとすぅっと連中の姿は消えていく。僕は学んだのだ連中との付き合い方を奴らの好きなことと言えばお世辞おべんちゃら嘘っぺらな偽善見せかけの優しさそれだけで十分なのだ、魔術の本質、技を磨くこと、理論の構築と解体と再構築、そういったものに興味なんかない、ただぶんぶんとうるさい蠅のような連中で僕は天才だから蠅の言葉だって理解できるし使いこなせるって寸法だ。ぶんぶんぶんぶんぶん蠅が集まって人間の形になる。ああ。ああ。暗闇の中で僕は手を動かし蠅を追い払おうとする。あいつだ。蠅のくせにあいつの形になろうとしている。凡人のくせに僕に話しかけてきて凡人のくせに蠅とは違う言葉をしゃべりやがったあいつの形に。「シーフォン」「きみが」「シーフォン」「なぜ」「きみは」やめろ。やめろ。蠅のくせにあいつのふりをするな。あいつの言葉を話すな。あいつを冒涜するんじゃねえ。僕の手が当たると蠅がうるさく羽音を鳴らしながらぶつかりあい、互いに絡み合い、クソに触れた足で僕の手にとまり、焼き焦げた人間の匂いを発しながら周囲に飛び散る。「力を」ぶうんぶうんぶうん。
僕は――


死の償いだって? 力はすべての代償となる。


もしも僕がいつも先頭に立って歩き、魔法が使えるなんていいなあと言ってくれる幼馴染がいて、仲間が、師匠が、強大な魔力に手を出して黒こげになった友人がいなければ、もしそうだったならば、なぜそうならなかったんだ、僕とあいつで何が違うっていうんだよ?

どこからか声がきこえる。
足元に黒い染みが広がっていってこれは僕の血だ、僕の命がつきかけている、こんな場所で、暗い地下で一人きりでみじめに怯えながら、ああ神童と呼ばれ千の魔道書から千の呪文を学んだ僕様がなんてざまだこうして僕は死ぬ、そしてあいつは生き続ける、そう考えたとたんこれまでの嫉妬や怒りなど子供騙しに過ぎぬ、本物の屈辱が湧き上がり押し寄せて、死は力の対局であり究極の敗北なのだと気づいたその瞬間に声がはっきりときこえた。


暗闇から僕を呼ぶ。
あわをくった蠅どもは僕の頭から逃げ出す。
ぶんぶんという羽音がまるで時計仕掛けの玩具のようだ、回転するねじの音のようだ、響いている、一つの屍すら忘却できずにいる僕の脳裏に染み渡る。
僕を呼ぶ声に導かれその暗闇に飛び込む寸前、僕は変な幻覚を見た。迷宮の崩れた建物の影で僕が熱の塊のせいでぐちゃぐちゃになった胸と腹を押さえて泣いているところにアベリオンと仲間たちが現れて僕の体を引き起こし「もう大丈夫だなんてざまだよ悪かったきみをこんなに追い詰めてしまって実は口にはしなかったけれど僕もきみと同じくらい追い詰められていてきみに嫉妬していたんだでもこれでもうきみは死なずに済むんだ焦ることなんてないきみはきみだ誰に対してもきみが何者であるかを証明する必要なんてこれっぽっちもありはしないきみは焼け死なずにすんだし僕は大切な友人を失わずにすんで手に入れた力の使い道としてはそう悪いもんじゃないよな正直僕はおまえを死なせずにすんでほっとしてるんだぜ」と言うのだったそんなことあるわけないのにね。


end

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