7
歩き続けるうちに疲労は増していった。
足場が悪い。目が霞んだ。
最近、同じようなことがあった、メロダークはそう思った。
雪に足を取られながら歩き続け、ちらりと目をあげればほっそりとした背中に銀の髪が揺れており、あれは寒くないのだろうか、愚痴の一つすら漏らさぬ、あんな小娘よりも先に音を上げるわけにはいかんと己を叱咤した。雪原を歩きながらも行軍の緊張はなかった。代わりに不思議な楽しさがあった。その場で権力を持つ人間に彼は唯々諾々と従うだけであり、その瞬間の彼の上官は、復活を阻止しようと軍がやっきになっている始祖帝の憑代であった。
少女はたいした経験もないのに常に判断は迅速であり、暴虐には勇敢に立ち向かったが残虐ではなく、彼にとっては馬鹿げた甘すぎる決断ばかりをくだし、しかしそれは大体の場合において、彼女の冒険を助けた。わかっている、運に助けられているだけだ。本当は間違った決断だ。幾度か苛立ち、彼女にきつい言葉をかけ、そのたびにマナは困ったような顔で彼を見た。彼を真っ直ぐに見つめた。
彼女の後をついていくのは、いつも、楽しかった。
マナの長い白髪が揺れている。雪灯りに照らされて、銀色に光っている。
「考えるな」
メロダークは声にだしてそう言った。
ずり下がってきたマナの遺体を背負いなおし、歩く速度をあげた。黙々と歩き続けていた。やがてもう一度つぶやいた。
「終わったことだ」
ある日、遅い時間に一度、珍しく誰もいない静かな酒場で、マナと二人きりになった。
カウンターについて一人で酒を飲んでいた彼が気配に振り向くと、入り口に立ったマナがこちらを見つめていた。目があうと赤くなった顔を背け、扉を肩で押し開けて、外に飛び出していった。声をかける暇すらなかった。無作法な仕草で、己に何か違和感をもたれたのかと不安を覚えてもよさそうな物だったが、不快感はなかった。何を恥ずかしがっているのだあの娘はと思い、俺に取って食われるというわけでもあるまいし――。
彼は薄く笑い、続けて渋面を作った。阿呆か、自分にそう言い、酒を飲み干した。
いくつもの記憶があった。
いつものように忘れようとしていた。
いや、忘れるべきであった。
終わったことだった。
死体を背負い、歩き続けた。
「忘れろ」
自分にそう命じた。
8
西シーウァと大河神殿の連合軍は国境の町ズーエを占領していた。歩き続けたメロダークがズーエに到着したのは翌日の午後で、彼はすぐにバルスムスの元へと通された。
灰色の空の下、荒れ狂う風を受けて、いくつもの軍旗が音を立ててでたらめにはためいていた。
バルスムスの幕屋には彼の副官や参謀や部隊長たちが詰めかけていた。ほとんどがメロダークの知らない顔だったが、彼がどういう立場の者でどんな働きをしたのかはすでに知らされていたようで、天幕から出てきた甲冑姿の男たちは、メロダークが両手に掲げ持った包みに視線を集中させた。
メロダークも彼の抱えた荷物も、泥にまみれたひどいありさまであった。
「無事の帰還、なにより。ご苦労だった」
男たちの先頭に立つバルスムスが言い、メロダークは膝をつき、頭を垂れた。密偵がユールフレールを出発してから十月ほどが経っている。そっけない挨拶であったが、「ハァルの加護のおかげです」とメロダークが答えると、老将は「貴公の無事を祈っていた」と力強い口調で言った。嘘のない人物だ。本当のことなのだろう。メロダークはずっと張り詰め続けていた気持ちが、暖かく緩むのを感じた。任務を無事果たした喜びが湧いてきてもよさそうだったが、疲労のせいか、終わった、ただそう思っただけであった。
「それか」
「は」
メロダークはようやくマントに包まれた遺体を足元に下ろした。数カ所を結んだ紐を解いていき、頭部を覆う布を外そうとする。メロダークは、そこで手を止めた。
「どうした?」
「……いえ」
「見せてみろ」
強くうながされ、メロダークはマントを外した。円を描いてメロダークと少女の遺体を取り囲んだ人々の間に奇妙な沈黙が流れた。
――戦いの末に命を奪われ、この暑さ、運ばれる間に風雨に晒されていたのにも関わらず、少女の死体はまるで眠っているような安らかさと美しさであった。頬は紅がさされているようにうっすらと赤らみ、薄く開いたつややかな唇は、今にも微笑しそうだ……。
「……本当に死んでいるのか?」
バルスムスの隣に立った男が、疑うように言った。メロダークはマントをさらに開き、彼の大剣によって切り裂かれた胸の傷を見せた。手応えでは骨まで届いていたはずだ。引き裂かれた布地の隙間からは白い乳房の膨らみが見えており、メロダークは彼女を知らぬ人々の無礼な視線から隠すように、マントの裾を再び掛けなおした。
「異形……」
「『神帝記』の通りですな。忌まわしい」
「死体に見えんのはやはり魔力が」
「墓所には皇帝たちの死体が意志を持って彷徨っているというではないですか」
「不死の邪術が」
頭上で囁きあう男たちの声を、メロダークはうつむいたままで聞いていた。彼は兵士であり、ここは戦場で、上官の前では彼は命令を待つ傀儡であった。求められるまで口を開くことはもちろん、意見を持つことは許されていなかったので、彼はただ、少女の顔を見下ろしていた。男たちの声がやけにうるさく感じられたのは、少女の死に顔があまりにも静かなせいであった。彼が手をくだし、あるいは見殺しにしたどの子供たちも、死んだあとはこのように静かであった。
「なんたる異形。無事に仕留められたのはなによりでしたな、バルスムス殿」
まるでそれが獣の子であるかのように無造作に兵士の一人が口にし、周囲から賛同の声があがった。
――哀れみという物がないのか、あなた方には。
メロダークはそう思い、続けてそのようなことを考えている自分に驚いた。
「メロダーク」
「は」
バルスムスの声に、メロダークはかすかに顔をあげた。
「大儀であったな」
「は」
「死してなお生命を感じるのは、古代皇帝の器であるせいか。やはり危険であったな」
ひとりごとのようにつぶやいたバルスムスは、しばらく考えたこんだ様子を見せていたが、やがて、言った。
「大神殿に持ち帰るようにとの猊下のご意向ではあるが……首だけを持って帰った方がよかろう。骨にまで魔力が宿るというからな」
バルスムスは側に控えていた兵士に声をかけた。兵士はきびきびした足取りで姿を消し、戻ってきた時には、見るからに重い黒鉄の斧を両手で捧げ持っていた。バルスムスは、跪き、従順に命令を待ち続けているメロダークに命じた。
「首を切り離し、体はすぐに焼くよう手配せよ」
メロダークは身じろぎすらしなかった。
自分の膝を、その上にのせた己の拳を、視界の端にちらつく少女の銀色の髪をしばらく見つめていたが、やがて、言った。
「バルスムス殿。遺跡を探索している間、私はタイタスの血を継ぐ皇帝たちとも戦いました。生ける屍である彼らは、倒したあとに念を入れて焼き捨てたとしても、翌日の明け方を迎えれば再び元の姿でよみがえるのです。頭を切り離し、体を焼いたところで……。このまま大神殿に持ち帰り、神殿の地下墓所に封じこめるのが最善と思われます」
「……私が見たところ、遺跡にはいにしえの魔術による結界が施されているようだった。墓所にはさらに邪悪な術がかけられ、理が歪められていたとしても不思議ではあるまい。だがここは地上だ。部隊には高位の神官たちも控えている」
「しかし」
「メロダーク」
「しかし、この娘は……」
さらに執拗に食い下がろうとしたメロダークは、顔を上げ、そこで初めて、取り囲む男たちが自分に注ぐ、冷ややかな視線に気づいた。
――なんだ。まさか、俺を疑っているのか?
脇に嫌な汗が滲んだ。
胸に狼の部隊章をつけた男が咳払いした。メロダークも知っている顔だった。
「私が」
剣狼部隊の隊長は、そう言いながら一歩前へ進み出て、バルスムスの方を向いた。
「死体の処理は私がしましょう。いくら憑代といえども、女子供の遺体を傷つけるのは……。敵陣から一人帰還したところです。疲れている。どうか休ませてやってください」
黒光りする重い斧を兵士から受け取ると、部隊長はメロダークに目で合図した。一歩、近づいてきた男の影が、マナの上に落ちた。メロダークは立ち上がった。低い声で言った。
「疲れてなどおりません」
「おい、メロダーク」
「……私がやります。やらせてください。遺跡で死んだエリオは私の友人でした。私は彼の仕事を引き継ぐよう命じられた。最後まで任務を果たさせてください」
斧をつかんだメロダークは、振り向き、少女の遺体を見下ろした。地面に横たわったマナの姿がやけに遠く、小さく見えた。男たちの言い争いには興味がなさそうに、安らかな表情で目を閉じている。眠っているようだ。今にも口を開けて、
9
「メロダークさん!」
名前を呼ばれ、目が覚めた。
びくりとして目を開けると、黒ずんだ石の天井が視界に飛び込んできた。そこがどこで、自分が何をしているのかわからなかった――火照った肌に、冷たく清潔な物が触れている。彼はそれを、とっさに片手で振り払った。小さな悲鳴が上がる。屈み込んで彼を揺さぶっていたマナが、叩かれた手の甲を押さえた。起き上がったメロダークは、なぜ憑代が眠っている俺の側にいるのだと思い、続けてここが死者の宮殿の一室で、探索中に休憩しているところなのを思い出した。
「……すまん」
「うなされておられましたよ」
彼が謝罪すると、神官の少女は叩かれたことを気にする様子もなく、そう言った。
「……夢を……」
「はい」
「悪い夢を見た」
お前を殺す夢だ、その言葉を危ういところで飲み込む。心臓が激しく胸を叩いている。壁にかけたランタンの細い光の下で、マナはいつものように真っ直ぐに彼の目を見つめていた。部屋の向こうからは、もう一人の同行者の安らかな寝息が聞こえる。
「大丈夫ですか?」
心配そうに問うた少女は、まるでこちらを子供扱いしているようで、メロダークは内心で苦笑した。
「……大丈夫だ。お前ももう眠れ」
そう言って、メロダークは再び横たわった。だがマナは、彼の側を去らなかった。じっと、不思議な赤い瞳で彼を見つめていたが、やがて彼が思っていたのと逆の方向に動いた。つまり、メロダークの方へぐいと顔を寄せて、ぎょっとした彼に向かって、
「一緒に寝ましょうか!」
元気よく宣言するなり、寝台に膝を乗せた。
「……何だと?」
肌着と変わらぬ格好の巫女は、さっさと彼の毛布の中に潜りこんで来る。
「おい、何を考えているのだ、お前は! それはまずいだろう」
狼狽は鋭い叱責の声となったが、マナは構わずに、温かな体を寄せてきた。
「何がまずいのです?」
心底不思議そうにそう言われ、彼は思わず黙りこんだ。
マナは腕を伸ばし、彼の背を抱いた。とんとんと柔らかく、母親が幼児をなだめるように、掌で背を叩く。掌の感触も腕の重みも、汗と泥に汚れているのになお清潔な肌の匂いも、すべてが心地よかった。自分より小さく弱い者が、己の傍らでくつろいでいることに、はっとするような安らぎがあった。
「ね。こうすると安心して眠れるでしょう?」
「……くだらんことだ」
「くだらなくありませんってば。こうやってくっついていれば、朝までぐっすり眠れるんですよ。アダ様によくこうして頂きました。メロダークさんも、小さい頃怖い夢を見て、お母様に抱いて頂いたことがあるでしょう?」
「……覚えていないな」
「本当に?」
「本当だ。俺は全部を忘れて来たのだ」
そう言ったあと、メロダークはぎこちなく少女の腰に手を乗せた。その体は彼のために設えたように、すんなりと掌に馴染んだ。しかし抱き寄せる瞬間に躊躇し、「本当にいいのか?」と確認する。
一瞬の沈黙のあと、マナがぷっと吹き出した。少女の体と同じように温かい吐息が、メロダークの首筋にかかった。くすくすと笑いだす。
「こんなところで躊躇なさるんですね。おかしな人! 私のことを殺したくせに」
斧が地面にめり込んだ瞬間、体がその衝撃を抑えこむよう、硬く緊張した。腕から腰まで震えが走った。
いつの間にか目を閉じていた――まるで初めて人を切った少年兵の頃のように。
生者の首を打った時とは違い、重心がずれることはなかった。目を開ければ、凝固した血がどろりと切断面から滲んでいる。
「アダを悲しませることになったな」
バルスムスが疲れた声でつぶやいたが、彼にはその声は届かなかった。雨上がりのぬかるんだ地面に、鞠のように転がった少女の頭を、魅入られたように見つめていた。白い髪は血と泥に汚れていた。
10
夢を見たことがある。
酒場で一人酒を飲んでいた彼は、身を翻してひばり亭から出ていった少女を追いかけていき、その手を捕まえる。なぜ逃げる、掠れた声で問うた。大河の巫女は泣き出しそうな顔で男を見上げる。まだ娘なのだ。男の声に怯えるような。だって、と彼女が言う。だって……。
なぜあんな目で俺を見ていた?
かわいそうだなと思ったのです。
かわいそう。
大神殿の方々は、救いがなくて……。
夢独特の自制のなさで、彼は滑稽なくらい激昂する。現実ではそんな風に怒鳴ったことなど一度もない。怒りなどとうに失ってしまった。夢の中のメロダークは、少女の肩をつかんで体を揺さぶり、大声で叫ぶ。
かわいそう、だと? お前のような子供に何がわかるのだ。お前のような、お前たちのような、大河のそばの豊かで平和な町で、武装した兵士たちがおり公国に見放されることのない町で、同胞に囲まれ、殺すことも殺されることもなく、耕した土から作物をとり、女神を信じ、神々に守られ、幸福な暮らしを享受するお前らに。お前らは犠牲の意味すら知らぬ。
地面に投げつけられた少女は、彼を見上げて泣き出す。彼はしゃがみこみ、少女の髪をつかみ、糾弾の手を休めることなく怒鳴り続ける。
おまえが救いの何を知っているのだ。この顔、この肌、この髪、この血。汚れを引き受けるために作られたおまえに、一体、死以外の救いがあると思うのか?
わかりません。
マナはうめき声をあげる。
私にもわからない。けれども、救いはあなた方がなさるようなことではない。女神はそれを望んではおられない。私はそう思うのです……。
少女は強情な口調でそう繰り返す。
彼が知るどんな巫女とも違う。誰も犠牲にしようとしない。そう、自分自身すら。少女の信仰の形が彼にはわからない。
いつのまにか場面が変わる。石の寝台は華美な彫刻で飾られている。その上に生贄のように横たわった白子の少女は、汗に濡れた体を両手で隠している。少女が起き上がり腕を解くと、白い裸の隅々までがあらわになる。いつも伏せている睫毛を持ち上げて彼を見る。
メロダークさん。
少女が小さな声で呼ぶ。
メロダーク。
ご覧なさい。あなたの旅はここで終わるのですよ。
ほら、あなたの手をここで漱いでいきなさい。
少女の声に押されて、彼は彼女の平らな腹に触れる。真っ白い皮膚は彼の指先に軽く弾力を伝える。思い切って力をこめると、彼の手がずぶずぶと腹のなかに沈み込んでいく。
少女の体の中に、とろりとした熱い肉の間に、小さな白い蛇が泳いでいる。透き通った肌を通して逃げ惑う小さな影が見える。彼は手を動かし、夢中になってその蛇を捕まえようとする。幼いこどものころ、水の中の小さな魚を追いかけたことがある。幸福な子供時代、母親が呼びに来るまで友人たちと遊んでいた、あの小さな、貧しい町の川べりの記憶。しかし蛇はつかまらない。時間がかかりすぎたのだ。男の五本の指は黒い蛇となり崩れ落ち、少女の体を汚す……。うろたえた彼が目をあげると、マナは苦痛に顔を歪めている。
「……私……私、夢をみたのです。バラバラにされて……彼らはまるで、私の体を物のように……私は人間なのです」
熱い涙が滴り落ち、どす黒く濁った少女の腹に、ぽちゃり、ぽちゃりと音を立て、赤い染みとなって広がった。
髪の毛をつかんで物のように無造作に持っていかねばならないと思ったが、彼はそれを両手で抱えあげた。砂漠にオアシスを見つけた旅人が、震える両手で彼の生命を繋ぐ澄んだ水を掬い上げるように。
11
年が明けた二月、自国はネスと西シーウァのどちらにも組みせず、今後も中立を維持し、両国が争う間はあらゆる形での協力・連携を拒むだろうというエルパディアからの親書が、両国に送られた。北部ではアークフィア大河が氷に閉ざされたその頃、ネス大公ラウルが病死したという噂が流れはじめ、その噂の真偽が明らかになる前に、ラルズーエで停戦条約が結ばれた。三度目のシーウァ戦争を回避したネスはホルムを失い、代わりに捕虜となっていた幾人かの貴人と兵士たちを取り戻した。テオル公子は戦いの最中に命を落としていた。
ユールフレール大神殿への神殿軍の帰還は、堂々たる凱旋であった。戦将バルスムスは、百人規模で大神殿から送り込まれた調査団はホルムの遺跡の調査に成果を上げつつあり、発掘された数々の邪悪な品はすべて大河から船で大神殿に運びこまれることと、遺跡底部の墓所は完全に封鎖されたことを、法王に報告した。戦果はそれだけではなかった。西シーウァはホルムを得た。これによりパーシャ王女を筆頭とするいわゆる開戦派の貴族たちはシーウァ国内で一段と勢力を増し、王女からは大神殿とはこのまま友好な関係を保ちたいとの申し出があった。神殿軍の統治下にあるホルムでは、神殿軍が約束したとおりホルムでの様々な怪異が収束したことから、ネスの市民の反発も一時的にではあるがなりを潜めている。すべてが大神殿の望む通りの形となった、完全な勝利であった。バルスムスはさらに、この戦果には密偵たちの活躍があったことを――タイタスの器である憑代を秘密裏に暗殺した結果の勝利であったことを申し述べたが、これはもちろん決して歴史に表立って記されることもない、上層部のみが知る、この事件の顛末であった。
バルスムス指揮下の遠征隊はホルムの統治を引き続き任され、密偵たちには報奨金が下賜されることとなった。
12
大神殿の白亜の門から出てきた長身の男は神殿軍の白い甲冑を纏っており、聖堂前の広場で日がな一日を過ごす物乞いどもは、彼の姿を見てもさしたる興味を示さなかった。アークフィア女神の司祭ならまだしも、ハァルに身を捧げたいわゆる聖戦士たちが自分らに金を与えるようなことはないと、職業として物乞いを行う彼らはよく知っていたのである。
広場の左右には等間隔に太い石柱が並び、美しい彫像が施されたそれは、物乞いたちや貧しい巡礼たちのいい日除けとなっていた。一本の柱の足元に、ボロ布を一枚まとっただけの、薄汚い年寄りが座り込んでいる。メロダークは最初に目についたその男のところへ、真っ直ぐに歩み寄っていった。老人が恐怖と媚の混じった笑顔を向けたのを無視して、下賜されたばかりの金のつまった袋を投げた。皮袋は重い音を立てて石畳の上に落ち、その弾みに開いた口からは輝く金貨が散らばった。「あっ……」声をあげた老人は、慌てて金貨をかき集めた。皮袋を握り締め、それを投げ捨てた聖戦士の顔を見上げた。
「取っておけ。お前が生きるために使うがいい」
吐き捨てるようにそういうと、メロダークは踵を返した。
「ありがとうございます旦那様! 旦那様! ご親切な! 親切な旦那様!」
物乞いが大きな声で呼ばわったが、メロダークは振り向かなかった。施しを与えたのではなく罪を犯した者のように青ざめた顔を伏せ、震える足取りで、信者たちが行き来する聖堂前の広場とその向こうにそびえたつ大神殿から、逃げるように遠ざかっていった。
end