神殿の中庭でマナとお人形遊びをしていたら、パリスが来た。
パリスはいつもより落ち着かない顔で、あちこちをきょろきょろと見まわしてた。神殿に来るのがはじめてだったんじゃないかな。
「パリスー! ここだよ、どうしたの!?」って大声で呼んだら、パリスはふりむいて、ちょっとほっとした顔でこっちに走ってきた。
どうしたの? ってもう一度きいたら、「おまえが最近ここによく来てるって、ある筋からきいたから、てい察に来た」だってさ。パリスはなぜかオハラさんのことをある筋というのだ。
パリスにマナを紹介して、マナをパリスに紹介しようと思ったんだけど、その前にパリスはさっそくマナにむかって失礼なことを言っていた。
「わー、なんだよおまえ、変な髪! まっ白くてばあさんみた……うさぎ! 目が兎ぃぃ! どうしたんだそれえー!」
最後は本気でびっくりしたらしく、絶叫していた。パリスは本物の馬鹿だから、ひとつのことに集中できないのだ。
ちょうどその時、アダ様が神殿から出てこられた。神殿で大声をだしたり、マナの悪口を言ったから、アダ様がお怒りになるかなと思って、わたしはちょっと緊張した。アダ様はでも、あんまり急がないで、お散歩をなさるみたいにぶらぶらとわたしたちの方へ近づいて来られた。
わたしたちの側で立ち止まったけれど、アダ様は何もおっしゃらず、ただパリスをじーっと見つめられた。そしたらパリスは気をつけ! の姿勢で固まってしまったので、ちょっと面白かった。だってパリスは『口の減らない悪ガキ』で、町中の大人を激怒させるような奴なのに! でもわたしもアダ様にあの目でじーっと見られたら、気をつけ! で固まっちゃうだろうなあ。
アダ様は気をつけ! なパリスから目をそらして、うつむいたマナの側にしゃがみこんだ。
そして、「マナや、嫌なことを言われたり、からかわれたりしたら、怒っていいんだよ。あんたは、自分のために、もっと怒らなきゃあいけないよ」とちょっと怖い声でおっしゃった。
マナは何があっても絶対怒ったりしない子なのに、なんでそんなこと言うんだろう。
それに普通は怒っちゃ駄目でしょ! とか、からかっちゃ駄目でしょう! って叱られるのに、怒らなくて、からかわれただけのマナが叱られちゃうなんて、なんだか変なの。
そう言われてもマナはやっぱり怒らずに、しくしくと泣きだしたので、かわりにわたしがパリスをグーで殴っておいた。
パリスは石畳の上にひっくりかえってすぐ起き上がり、涙目で、ふざけんな熊女ー! と叫んでから逃げていった。
やーい。
今日は初めて一人で店番をした。
油が四個だから、二十、かける、四!
ちゃんと計算できたし大きな声で「ありがとうございますまたどうぞ!」って言ったよ。
帰ってきたお母さんがありがとう、ネルがいてくれて助かるわ、って言ってくれた。
えへん。
お母さんとパイを焼いていたら、マナが遊びに来た。
ラバン爺のところに一緒に遊びに行こう、だって。
行く行く、わーい!
お母さんに「二人ともオハラさんやラバンさんにあんまり迷惑かけちゃ駄目よ」と言われたけど、ラバン爺は暇があれば遊んでくれるし、オハラさんは暇がなければ遊んでくれないから、つまりひばり亭にはいつ行ってもいいのだ。
お母さんが焼き上がったパイを籠にいれてくれたから、それを持ってひばり亭へ行った。
でもラバン爺はいなかった。
ただいないんじゃなくて、本当の本当にいなかった。
また旅に出たんだって。
わたしもマナもすごくがっかりしたけど、オハラさんが、今年は冬までにまた来るって言ってたよって教えてくれた。
そのあと森へ行ってデネロス先生の小屋を覗いたけど、先生はお留守だった。今日はおじさんたちとは会えない日だ。
先生の小屋の前で並んで座って、すっかり冷えて味が染みこんだパイを食べた。
「ネルは本当にお料理が上手だねえ」
ってマナが感心してくれて、わたしは得意。マナは爪の先についたナッツのかけらまで全部舐めていた。えへん。
お腹がいっぱいになったあとは、二人で森に流れる小川で蟹を捕まえたり、花の首飾りや冠を作ったり、タンポポ占いをして遊んだ。
川の側には大きな平たい石が並んでいて、そこはふかふかの苔がむしている。遊び疲れた最後はそこに並んで寝転んで、将来について真剣に話しあった。
マナはアダ様みたいな巫女様になって、辺境まで旅して、貧しい人や病気で苦しんでいる人たちのために自分を犠牲にして一生を捧げるんだって。このあいだの大祭でアダ様がとっても感動的にアークフィア様のお話をしたものだから、自分を犠牲にして一生を捧げるというのがマナの中で大流行中なのだ。
でもわたしはマナが遠くに行っちゃうのは嫌だから、「ホルムの近くじゃ駄目なの?」ときいたら、マナはちょっと考えてから、「じゃあ辺境じゃなくてズーエにする」って言った。
ズーエかあ。あそこも結構遠いなあ。
わたしは伝説の魔女になって竜を倒しているところを通りかかった王子様にミソメラレて(ミソメラレるってなあにとマナがきいたから、カムール様は奥方様をミソメラレたんだって教えてあげた。よくわからないけれど結婚することの上品な言い方なんだと思う)、でも王子様は田舎の雑貨屋の娘のわたしとはキンセンカンカクが違いすぎるから二人の結婚生活はうまくいかなくて、わたしは嘆きながら王子様と別れてふたたび伝説の魔女としてのカコクな戦いの旅を続ける予定だ。
将来の予定がだいたい決まったところで、二人で改めて一生の友情を誓いあった。(今、ホルムの女の子の間では、『友情を誓いあう』のが流行っているのだ。)
船着き場を通りかかったら、桟橋のところにパリスとマナが並んで座っていた。
パリスは釣りをしていて、マナは水だけが入った空っぽのバケツを抱えていた。
「あんたまたマナのこといじめてない?」と言ったら「そんなことしてねえよ」とパリスが答えて、マナは嬉しそうににっこり笑ったから、ほんとにいじめてないみたいだった。
パリスは馬鹿だし乱暴だけどいい奴なので、マナと仲良くなってよかった。
二人ともまだしばらく遊んでいるというから、わたしは一度家に帰って、釣り竿を二本、お母さんから借りて、急いで桟橋に戻った。マナがすごく喜んでいたので、よかった! と思った。それから三人で並んで、釣りをした。最初は普通におしゃべりをしていたのだけれど、最初の魚を釣り上げたパリスが、いきなり「もしかしたら魚の腹に何か入ってるかもな!」と言い出した。
「それはなに!?」
とわたしがきいたら、パリスはぐいっと胸を張って、自信たっぷりに答えた。
「宝箱の鍵だ!」
わたしもマナもつい、それはすごい! 宝箱の鍵を呑み込んだ魚が釣れるかも! と思ってしまった。でも言いだしっぺのパリスが一番興奮していたのは、ほんとになぜ!? そこからはみんなひと言も口もきかず、真剣に、ぷかぷか揺れる浮きを眺めていた。パリスが釣り竿を片付けて、「チュナを迎えに行くから帰るよオレ」と言いだした時には、もう夕方で、河はお日さまの光を反射して真っ赤になっていた。
魚は全部で七匹釣れた。宝の鍵が入ってるかどうかは、料理しないとわからないのだ。
釣りの道具を片付けていたら、マナが「でももしもほんとに鍵がみつかっても、宝箱がないから意味がないねぇ」とつぶやいた。
……ほんとだよ!
マナは頭がいいなあ。
そしたらパリスが、もし魚の腹に宝箱の鍵じゃなくて宝箱が入ってたら、オレなら開けられるぜっ! と自慢した。窓や扉の鍵なら、針金一本でちょちょいのちょい、なんだって。わたしもマナも、ついつい、「おおーっ!」と言っちゃったけど、パリスはいい加減な奴だからなあ。ほんとにほんとかなー。
それに宝箱を呑み込めるような大きさの魚って、わたしたちも飲み込んじゃうんじゃないかな!?
帰り道で、パリスにラバン爺のことをしゃべったら、知ってるって言われた。ラバン爺はオハラさんの友達で、オハラさんはパリスのお母さんの友達だったんだって。へー。パリスのお母さんとオハラさんは子供の時にやっぱり友情を誓いあったのかなあ? そうきいたら、パリスはぎゅーっと鼻に皺をよせて、「女って面倒くさいなあ」って言った。
ふーんだ。馬鹿よりは面倒くさい方がいいもん。
パリスは友達だけど男の子だから、友情を誓いあうことはできないのだ。
今日はすごく嫌なことがあった。
お父さんとお母さんは朝から北の村まで商品を仕入れに行って、わたしは一人で店番をしていた。
昼頃に、そろそろ店番も飽きてきたから遊びに行きたいなあって思っていたら、おじさんが店に入ってきて、いろんなものをべたべた触ってから、「この店にはろくなものがねえな」って文句を言った。
……。
おじさんは顔が真っ赤で目が黄色くて、お酒の匂いがしていた。
酔っぱらいには、はいはいって言っておけばいいのよってお母さんはいつも言うけれど、私はそんなのできなかった。そんなことない、うちの店はいい物しか置いてないって言い返した。だって本当にそうなんだもん。お父さんもお母さんも、売る前にはどんな道具でもひとつひとつ手にとって、これはネジがゆるんでいないかとか、きちんと動くかどうかとか、ふった弾みに刃がすっぽ抜けないかとか、ぜーんぶ調べているんだもん。悪い道具や駄目な薬は、人の命にかかわるからって言ってるもの。
おじさんはすごく腹を立てたみたいだった。「生意気なガキだ」ってわたしに怒鳴ったけど、わたしはちょっと怖かったけど、怖がってないふりをした。わたしはマナみたいに泣いたりせずに、腹が立ったら、怒るもん。
おじさんはますます真っ赤になって何か怒鳴りはじめたけど、わたしはそっぽをむいてやった。
そしたら突然、左の耳にがーん! って音がきこえて目の前が真っ白になった。お日様を、間違って見てしまった時のような、白さだった。気が付いたらわたしは薬を並べた棚にもたれかかって、ふらふら揺れるおじさんを見上げていて、えっ? なんで? なんだろう? って思った。
「大人に生意気な口をきくからだ、しつけのなってねぇガキだな」っておじさんが怒鳴った。
頬がじんじん痺れてすごく熱かった。
それでようやく自分が殴られたんだって思った。
なんで? なんで?
頭の中が真っ白になって、おじさんがすごく大きく見えた。次に思ったのは、お父さんもお母さんもいないから、もしおじさんがもっとわたしを殴ろう! って決めたとしても、誰も助けてくれないということで――そしたら、怖くて痛くてぐらぐらしていた気持ちがすとんと落ち着いた。
わたしは床から跳ね起きて、まだ何かぶつぶつ言っているおじさんのお腹を思いっきり殴った。
おじさんはぐって声を出して、膝をついた。
やっつけた! って思った。
わたしはおじさんがパリスみたいにすぐ跳ね起きてばーか! って言うと思ってた。
でもおじさんは動かなかった。
おじさんの頭はゆっくり下がっていって、額が床とぶつかってとこんって音をたてて、おじさんの体が、床の上に転がった。さっきまで赤かった顔は、今度は真っ青になっていて、もう怒鳴ったりせず、ただふーっ……ふーっ……って息をしていた。すごく苦しそうだった。
わたしはどうしていいのかわからなくてスカートを両手で握りしめて、動かなくなったおじさんを見下ろしていた。
隣の家のおばさんが「ネルちゃんどうしたのさっきすごい声が」って言いながら店に入ってきて、すごくびっくりした声であらっ! って叫んで、おじさんの側に駆けよった。おばさんが「デネロス先生を呼んでおいで!」と叫んで、それでようやくわたしの体は動くようになった。
デネロス先生と一緒にお店に帰ってきたら、お父さんとお母さんがいた。
二人とも外套と帽子を着たままで、仕入れてきた商品は包みもほどかず、カウンターの上にほうりだしてあった。
酔っぱらいのおじさんは、お父さんの寝台に寝かされていて、お父さんたちと隣のおばさんがその寝台を囲んでいた。おじさんはさっきよりもずっとずっと苦しそうだった。
「みなさんこんばんは。様子を見に来たよ。少しどいてもらえるかな」
デネロス先生がそう声をかけると、みんながほっとした。目があったら、お母さんは「ネル!」ってすごくびっくりした声で叫んだ。
「その顔、あんたどうしたの!?」って。
それで自分の頬が腫れていることに気付いた。
何があったの、何をされたのってきかれたけど、わたしはうまく答えられなくて、「わたしが殴ったから……」とだけ言ったらお母さんが泣きだした。わたしは泣いちゃ駄目だ泣くもんかと思ったけど、もしもこのおじさんが死んだらわたしのせいだと思って泣いてしまった。本当はマナよりわたしのほうが泣き虫なのかもしれない。どうしよう……どうしよう……足元がぐるぐるとまわっていた。
そのときおじさんのお腹を触っていたデネロス先生が、ふりむいた。
「お嬢ちゃん、こりゃああんたが殴ったせいじゃないよ。このおじさんはこれまでに酒を飲みすぎて、お腹に石ができているんじゃよ」と言った。
石? なんでお腹に石がはいるの? 先生の言っていることはよくわからなかったけれど、先生はおじさんのお腹をあちこちおしたりさすったりしていた。
「薬草ではちょいと駄目なようだな。やれやれ、面倒くさいの」
最後にそういって、いつも持っている杖を両手で握って、寝台から一歩後ろに下がった。
お家の中なのになんで杖を持つんだろう、なにをするんだろうと思ったけれど、お父さんたちには何が起こるのかわかってるみたいだった。
お母さんが「先生、外に出ておきましょうか」とすごく心配そうにきいたら、先生は「大丈夫じゃよ。簡単な呪文しか使わん」って答えた。
それからすごく不思議なことが起こった。
デネロス先生がきいたこともない外国の言葉でなにかをいった。先生よりももっと体の大きな人がしゃべってるみたいな、とても不思議な声だった。しばらくすると部屋の中がすごく変な感じになった。雨が降っていないのに雨の匂いがして、ふわっと床から生温かい風がふきあがって、みんなの髪や服がめくれあがった。風と一緒に金色の光が現れ、みんなの体の上や家具や壁をさーっとなぞってから、天井にむかって消えていった。見たこともない不思議な不思議な、そして綺麗な光景だった。
そしたら今まで唸っていたおじさんが、うーっうーっていうのをやめて、真っ青だった顔に、だんだんと、血の気が戻ってきた。
デネロス先生は杖をとんと置いて、身をかがめ、おじさんのお腹にまた手をあてた。しばらくしてから、「これでよかろ」と満足そうに言った。
それからわたしにむかって手招きして、にこにこ笑いながら「次はおまえさんの傷の手当てだね」と言った。
「こりゃあ本気で殴られたね。小さい子にひどいことをするものだ。お嬢ちゃんは偉い子だ。自分を殴った人のために儂を呼んできたんだから。大人でもできないことだよ」
そう言いながら先生は、わたしの頬にひりひりする緑色の傷薬を塗ってくださった。
わたしは痛いのも忘れて、「先生、さっきの金色のぷわーってなるのでわたしの傷も治してください!」と頼んだ! そしたらデネロス先生は笑いながら「疲れるからあんまりやりたくないんじゃよ」とおっしゃった。
「あれはなんですか?」
「うん? ああ、あれは治癒術……治癒っていうのはつまり……うん、まあなんというか、魔法じゃよ」
あれが魔法なんだ! 本物の魔法なんだ! デネロス先生はとってもすごい!
今日あったいいことは、ここまで。あとはまた、嫌なこと。
しばらくしたらおじさんは起きあがって、お母さんが運んできた水を飲んだ。もう全然痛くなくなったみたいで、おじさんのお腹のどこが悪かったかをデネロス先生が説明している最中に、先生をさえぎって、また怒りだした。
客を殴るなんて最低だ、子供のくせにひどい馬鹿力だ、腹が痛くなったのはわたしのせいだとおじさんはまくしたてた。そしたらデネロス先生が、「あんたは何を言ってるんだ。こんな小さな女の子に手をあげたことを、まず親御さんたちとこの子に詫びなさい」、って、大きなすっごく怖い声で、おじさんを叱った。今度の声は、さっきの魔法とは違って、先生の中から出てる声だった!
でもおじさんは絶対に謝ろうとしなくて、それどころか最後は、お父さんとお母さんがおじさんに謝ったのだ。おじさんは、わたしにも謝らせろってまだいっていて、そしたらデネロス先生がまたすごくすごく怒って、おじさんと一緒にお店を出て行った。
夜になってからわたしは、お父さんとお母さんに怒られた。
わたしは人よりも力が強いから、他の子みたいに他人を叩いたりぶったりしたら、絶対にいけないんだって。
「そうでなくてもおまえは女の子なんだから、人から殴られても、やり返そうと思わずすぐに逃げなさい」って。お母さんは「女の子なのに情けない」って泣いてた。
……。
わたしが悪いのかな。
ううん、わたしは悪くないよ。
神殿に行ったら、マナが回廊のベンチに座って、パリスの妹のチュナちゃんを抱っこしていた。
マナは赤ちゃんをあやすのが得意だ。でも私の腫れた頬にびっくりして、抱いていたチュナちゃんを落っことすところだった。危ない!
どうしたの? どうしたの? とマナがしつこくきくものだから、内緒にしておくつもりだったのに、結局全部を話してしまった。お父さんに叱られたことまで言っちゃった。
マナは「そんなのそのおじさんが悪いのにどうして? なんでネルが叱られるの?」とひどく怒った声で言った。あっ、マナでも怒るんだ! と思って私はびっくりした。びっくりしたから笑っちゃおうとしたのになぜか泣いてしまった。
でもいつもお利口なチュナちゃんは、今日もマナの膝の上できゃっきゃと笑っていて、その声をきいたら涙が止まった。わたしは誰かが笑ってたら、いつもつられて笑ってしまうのだ。
帰りぎわにマナがそっと頬に手をあてて、アークフィア様にお祈りをしてくれた。マナの手はひんやりしていて気持ちいい。
「痛くなくなった?」ときかれたので、もう痛くないよ! って元気に答えて家に帰って、鏡で見たら、本当に腫れがちょっと引いてるみたいでびっくりした。
マナも魔法が使えるんだ!
鏡をずっと見てたらお母さんにどうしたの? まだ痛いの? ってきかれたけどきこえないふりをして、無視した。
そしたら怒られた。
……お母さんなんか嫌い。
パリスがたくさん兎の毛皮を持って、うちの店に売りに来た。
「こんなにどうしたの?」って訊いたら、「ラバンに罠を教えてもらったんだ」だって。
ラバン爺、また来てたんだ! ラバン爺と二人だけで遊ぶなんてずるい! と文句を言ったら、パリスはにやにやしていた。ほんとにずるい! 蛙の捕まえ方もならったそうだけど、それは別に羨ましくないのでずるくない。お母さんからお金をもらってもすぐに帰らないで、じろじろとわたしの顔を見てるから、なによーってきいたら、「傷残ってないじゃん、よかったな」ってぶっきらぼうに言い残して、帰っていった。
今日は門番のビルさんの娘さんの結婚式があった。
マナは肩書きは巫女見習いだけど、神殿にいるどの見習いの人よりも一番長く見習いをやっているのだ。銀糸の帯を締めて鎖をつけて、白いぶ厚い長衣をはおって僧帽を被ると、マナはすごく大人っぽく見える。髪の色が巫女の服と似合っていてすごく綺麗。
いいなぁ素敵だなぁと感心していたら、アダ様が「祝福してくれる子は多いほうがいいんだよ」と言ってくださり、わたしも急きょ巫女さんの姿でお手伝いをすることになった。花嫁さんの通る道に花を撒いたり、お客さんにお酒をついで回ったり、料理を運ぶのを手伝ったり、なかなか忙しかったけどすごく楽しかった! 途中でお酒がなくなったので、食料庫から重い酒樽を運んであげたら、すごく喜ばれた。本当は力が強いことを何か言われるかなあとびくびくしていたのだけど、ありがとう! 助かるよ! ってみんなが笑顔で言ってくれただけだった。わたしはちょっとだけほっとして、かなり嬉しかった。もしもわたしの力が強くなかったら、式の途中で飲むものがなくなって、みんな困ってたと思うな。
式の後に普段着に着替えて、神殿の掃除をするマナの手伝いをしながら、私たちが結婚するときはベールはお互いに縫いっこしようと誓いあった。マナは薄い青のベールで私は純白のベールにするのだ。
あーあ結婚してはやく家を出たいなあと言ったら、マナはびっくりした顔になった。「ネルにはお父さんもお母さんもいるのに?」と言われて、私も驚いた。でも誰にだってお父さんたちがいるでしょう。私はお父さんもお母さんも好きじゃないから別に一緒にいたくない、そういえばマナのお父さんとお母さんは? ときいたら、マナが「わたしは神殿の前に捨てられていたんだって。お父さんもお母さんも知らないの」と言った。
そうなんだ! っていつもみたいに言えばよかったのに、わたしは何を言っていいのかわからなくなって、目を丸くして、「ええーっ」って言ってから、黙ってしまった。
わたしはずっと、マナは他の巫女見習いのお姉さんたちと同じように、よそから預けられた子で、一人だけ年が若いのは、何か事情があるんだと勝手に思いこんでいた。
マナがその後一生懸命話しかけてきたけれど、私はなんだか普通にしゃべれなくなってしまって、なんだか変な空気のまま別れてしまった。
ずっとあんなに楽しかったのに。
わたしって馬鹿だなあ。
なんであんなこと言っちゃったんだろ。なんですぐに謝れなかったんだろ。パリスだってお父さんもお母さんもいないのに、わたしは何にも考えないで、あんなことを言ってしまった。それに、お父さんもお母さんもいなくていい、って……。……。
明日はなんにもなかったような顔で会えるかな。
それともちゃんと謝ったほうがいいんだろうか。
わかんないな。
わかんないけど、すごく胸が苦しいや。もしかしたら、マナはもっと苦しいのかな。だったら嫌だな。
今日、お父さんがよそゆきの服を着て出かけていった。夕方になっても帰って来なかった。
夜になってお店を閉めたあと、お父さんはようやく戻ってきた。
お父さんとお母さんは、でもすぐには家に入らず、お店の方で何かを話していた。わたしは台所で繕い物をしながら、なんだか嫌な予感がして、胸をどきどきさせていた。そしたらやっぱり、晩御飯が終わってから「ネル、こっちへ来なさい」ってお父さんたちに呼ばれた。何か怒られることをしたかなあ、最近、朝、お母さんに挨拶をしないでいることかなあと思いながら、わたしは暖炉の前に座った。お父さんは、以前お店でわたしをぶって、具合が悪くなったおじさんの名前をだした。そして、あの人の家にいたずらをしたか、と訊かれた。わたしはびっくりして、「ううん、絶対そんなことしない」と答えた。だって本当にそんなことしてないもの。
そしたらお父さんたちはほっとした顔になって、疑って悪かったな、とわたしの頭をなでてくれた。わたしはあのおじさんに殴られてからずっと胸の中がもやもやしていて、お父さんもお母さんも嫌いだって思っていたけど、でも本当はそんなこと全然嘘だった! って気がついた。頭をなでられるうちに、もやもやがすーっとどこかに消えていった。安心して嬉しくなって、大声で泣いちゃった。お父さんとお母さんが、顔をみあわせて、びっくりしてた!
お父さんは、あのおじさんがネルを殴ったのはすごく悪いことだったんだよ、お父さんとお母さんはあの時本当に腹を立てていたんだって教えてくれた。それから、お母さんが、一つの場所でずっと商売をするのは難しいことで、腹が立っても我慢してにこにこしなきゃいけないときがいっぱいあるのよ、って言ってくれた。ネルはいつもにこにこしていられる強い子だけど、そのネルが怒ったんだから、本当に嫌な思いをしたんだね。一番怖くて嫌な思いをしたのはネルだったのに、叱ってごめんね、ネルは偉かったねって言ってくれた。
わたしはお父さんにぎゅーって抱きついた。お父さんのことが大好き。お母さんにもぎゅーって抱きついた。お母さんは優しく背中をなでてくれて、大好きよネル、って言ってくれた。うん、わたしもお母さんのことが大好き!
あのおじさんが朝、目を覚ましたら、部屋中にたくさんたくさん蛙がいて、家の中は蛙の大合唱だったんだって。調べてみたら、寝室の窓が開いていて、蛙たちは近くの沢から迷いこんだんだろうってことになった。でもおじさんは確かに鍵をかけて眠ったのに! これはきっと俺に恨みを持つ奴の仕業だ! って怒って警邏隊の人に訴えて、それでお父さんが呼ばれてたらしい。バケツがね、窓の下に転がっていたんだって。おじさんは、バケツを持って歩く蛙がいるか! って怒ってたらしいんだけど……。
うーん……。蛙……蛙ねえ……。
神殿に行ったら、マナが回廊のお掃除をしていた。
マナはこないだのことなんて忘れたみたいに、「おはよう、ネル!」って元気に挨拶してくれたけど、わたしはやっぱりちゃんと謝りたかったので、「このあいだはごめんね!」って言った。そしたらマナが恥ずかしそうに笑って「ネルは優しいね」って言った。なんでだろう? 優しいことなんか何もしてないのになー。変なマナ。
それから、パリスに話した? それで、もしかして二人で何かした? ってきいたら、マナはにこっと笑った。
「なあに、なんのこと? 知らないよ」
でもマナは嘘をつくのがすごくすごく下手なので、顔が真っ赤になっていた。
通りでパリスに会った。
いきなり「ありがとう!」って言ってみた。
パリスはにやっと笑って、「まぁたいしたこたねーよ」って答えた。