マナの指が離れていったあと、メロダークが低い声で言った。
「こちらへ来い」
一瞬の躊躇のあと、マナは膝を使って男の方へとにじりよっていった。どこまで近づいていいかわからず、男の懐に完全に入る格好になって止まり、見上げれば肩をつかまれる。男の顔が近づいてきて、唇が触れ合う寸前に、マナが片手をあげて優しく彼の顔を押し戻した。吐息を受けた指先が柔らかく曇りを帯びるようだった。微笑しようとしたが、唇の端が短く震えただけで、ちゃんとした笑顔にならなかった。上手に笑わないとまたご心配をおかけしてしまうと思う。
メロダークが小さな声で
「無理に笑わなくていい」
と言った。
「もう嘘はやめろ」
風を受けた葦の群れのように胸が震え、ざわめきが心の底まで広がっていった。メロダークに肩を抱かれたまま、マナは今度は本物の小さな笑みを浮かべた。
「でも泣いたらまたお叱りになるでしょう?」
「それは……まあ、そうだな。お前が泣くとどうしていいのかわからん」
「私が泣くときは」
真面目な声でマナが言った。
「どうしていいかわからなくなった時なので、その時はいつも、二人で困っている、ということになりますね。あなたと私で」
メロダークが涙の跡が残る頬を親指で擦り、今度はマナが身じろぎもせず、触れられるままになっていた。
むき出しの鎖骨に触れ、肩から背へ、背から腰へと手を滑らせ、その間ずっと男の顔を見つめていたマナは、静かに抱きよせられた瞬間だけは顔を伏せ、「巫女である私があなたを叱らないといけないのですね、きっと」と囁いて、男の腰に手を回し、ぎこちない抱擁を返した。
「でも、しません。だからメロダークさんではなく私の方に、たくさん、罪があります」
「やめろ。俺がいなければお前は――」
「二年前、あの塔で溺れて死んでいたでしょうね」
胸を寄せたメロダークの服は、一年前にマナが縫った部屋着だった。
ネルやネルの母親に手伝ってもらい、これを仕立てた日のことを思い出す。もたもたと布地を裁断するマナの隣で、マナの巫女装束の仕上げにかかったネルは飛ぶような速さで針を動かし、「探索の間は丈夫さが一番だったけれどこれからはそうじゃないんだよね」、そう言って笑い、胸元と袖のリボンにしか色彩のない、簡素な形の巫女装束に少しのカーブをくわえるだけで女らしく美しく仕上げてくれて、目に染みるその純白にマナはひどく胸がときめき、並んで針仕事をする娘たちに「なんだかお嫁さんとお婿さんの服を作ってるみたいねぇ」と言ったネルの母親に、マナは、神殿に務める者は神々の花婿で花嫁ですからと何も考えずにすらすらと答え、でもその時ネルは「お母さんはすぐにつまんないこと言うんだから」と驚くような厳しい声を出し、唇を結んで怒ったような顔でうつむいた。
あの頃からもうネルには見えていたのだなと思う。私は何もわかっていなかった。私はずっと子供だった。
布地を通して伝わる熱や、ひどく速い心臓の音や、のしかかる体の重みや緊張や力の強さや、汗の匂いや、そういった諸々に目眩がして、全身が激しく震えだした。押し付けられて形を変えた乳房や、密着した腹や、男の膝に抱え込まれた太腿や、自分の体が女であることを強く意識し、それが自然だと感じた。このために女の体であるのだと思う。
「怖いか」
「とても」
メロダークがマナを抱く手に力を込めた。愛撫とは程遠い単なる掌の感触と重みにすら震えるような快感がある。
「俺もだ」
これが罪かとそう思う。
肉体と魂はこれで汚れるのか。この幸福のために。
体をさらに寄せてもっと強い抱擁を求め、男の首に両腕を絡めた。
長い間求めていたものをようやく手に入れた人間が最初に必ずそうするように、重みと感触を焼き付けるようにじっと触れ、肉体だけに意識を集中し、息を止め、自分とそれが溶けあい馴染むまでの短くて長い時間、何ものにも代えがたい成就の幸福を味わっていた。
「メロダークさん」
まばらに髭の生えかけたざらつく頬に自分の滑らかな頬を寄せ、マナが囁いた。
「もしものお話をしてください。あの冬の日に、宿舎の廊下で私におっしゃろうとした、もしもの続きを」