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溶けていく 33

 男が起き上がる気配で目を覚ました。
 ぼんやりとした夜明け前の光の中で、裸のままのメロダークが寝台の端に腰掛け、身を屈め、靴を履いているのが見えた。夜が終わってしまった。下腹部の内には鈍痛が居座っており、全身がひどく痛んだ。四肢に力が入らない。肩までしっかりとかけられた毛布からひりひりと痛む腕を伸ばし、こちらに向けられた無防備な尻を指でつついた。
 メロダークが振り向いた。
「おはよう、マナ」
 といつもと変わらぬ口調で言った。マナは何も考えずに側に擦り寄っていき、男の太腿に頭を乗せた。仰向けになり、恋人の顔を見上げる。「起きちゃ駄目」とかすれた声で言った。こういう我がままを言ってもいいような気がしたのだった。
「日が昇る前に礼拝堂の掃除を……」
「駄目。まだ離れたら駄目」
 少女の顔を覗き込んだメロダークがゆっくりと笑い、久しぶりに見たその笑顔に、胸の中に温もりが落ちてきたように感じた。男の笑顔を見ると、それだけでひどく幸福な気持ちになる。メロダークがマナの頬に軽く指を這わせ、「笑っているのがいい」と囁き、自分も微笑んでいたのを知った。同じことを思っていたのが嬉しくて、でもなんだか恥ずかしくなる。赤くなった顔を背けると、男がマナを抱きながら倒れこんできて、寝台が音を立てた。毛布ごと抱きすくめられ、顔のあちこちにキスをされて、くすくす笑いながらマナもキスを返し、男の体を毛布に引き込んだ。並んで横になれば、いつのまにかメロダークは普段の真面目な様子に戻っている。頭の後ろで手を組むと天井を見上げ、「しかし参った」と言った。
「こうなることはしょっちゅう考えていたのに、なった後のことをひとつも考えていなかった」
 あ、しょっちゅう考えておられたんだと思い、くすぐったい気持ちになる。
「後のことって?」
「一旦シーウァへ行き、商隊にでも雇われてそこから南下するつもりだったが……一人ならなんとでもなるが」
 言葉を切り、少し考えこんだあと、
「どこかの神殿によって、まず式を挙げるか」
 と独り言のように言い、身を寄せてきたマナの方に向きなおり、少女の肩を抱いた。
「た……たくさん叱られると思うのですが」
 マナがおそるおそる口を開いた。
「もしもホルムを出なければならないとしても、式はアダ様にお願いしたいです。きっととてもがっかりなさって、お怒りになると思います。でも隠したり、嘘をつくのは嫌です。祝福して頂けなくても、最初はアダ様にお願いしたいのです」
 真剣な口調でマナが言いおえると、メロダークが黙りこんだ。早朝の薄明かりに花嫁のベールのような光沢を放つ少女の髪をなで、「わかった。俺から話そう」と言った。
「私が言います」
「では二人で。二人のことだ」
「それがいいと思います」
 メロダークの肩に頭をのせて、しばらく養い親のことを、自分が必ずつけてしまう傷や、彼女の狼狽や、悲しみに思いを巡らせていたが、それももう進むしかないのだとすっぱりと思う。こういう風になってしまったのだ。そのつもりでしたのだ。まったく後悔をしていない自分に少し驚き、やがてこの気持ちが探索中の、がむしゃらな、生死を賭けた、逡巡も許されぬあの頃の気構えや決意と同じだと気づき、ぶるりと震えた。どんなことであろうと二人でいるなら乗り越えられる、そう思った。二人でいるなら、なんでも。
「ホルムからも。罪人のようにこの町を去りたくはありません」
「俺よりもおまえが辛いぞ」
「平気です。二人なら平気」
 男の肩や腕のあちこちに、生々しい歯や爪の跡が残っている。自分の体にも同じような傷や痣がついているだろう。申し訳なく思う一方で、今は痛みすら共有できていることに安心した。毛布の中でメロダークの手を握れば、すぐに握り返される。メロダークがゆっくりと言った。
「そうだな。神殿を出て……二人でひっそりと……どこかで料理屋でも開くか」
「駄目です」
 何も考えず反射的に答えたマナに、メロダークが不服そうな顔を向けた。
「だ、駄目です。駄目。反対ですからね。だって、た……食べられる物をお作りにならないじゃないですか」
「……前から思っていたのだが」
「なんです?」
「おまえたちはどうも、食事の際に根性が足りないのではなかろうか」
 通常では食事ともっとも結びつかない単語がさらりと出てきたことに仰天する。そんなことを考えていたのかとまじまじと男を見つめ、
「えっと、とにかく料理屋さんは……すぐには駄目です。いつかは開くとしても、今は我慢してください」
 と言った。
「しかし、俺の夢で」
 言葉を切ったメロダークがものすごく真面目な調子で続けた。
「嫌だ。料理屋がしたい」
「えっ!? わ、我がままですね!」
「したい」
 この方はもしかしてものすごく頑固なのかしらと呆れると同時に、これは大変だ、どうやったら説得できるだろうと真剣になって考え――いつの間にかマナはまた、嬉しげな笑みを浮かべている。こうやって言い合えることが嬉しくてたまらない。これからはずっと、こうやって、ひとつひとつを、口論したり、わからないと言い、嘘をつかず、二人で決めていくのだと思う。それが私の忠誠だ。
 ふと大変なことに気づいて、がばりと身を起こした。
「メロダークさん!」
「なんだ」
「あの、私、まだちゃんと自分から言っていなくて……」
「なんだ、まだ秘密があるのか」
「秘密じゃないですよ。もうご存知のことで」
「話もせずに何がご存知なものか。言え。全部話せ。俺に隠し事をするな。俺はすぐ嫉妬をするのだ」
 思わず微笑したマナは、
「あなたが好きです」
 そう言うと男の胸に手を置いて顔を近づけ、今度はきちんと唇を重ねることができた。唇が離れるとメロダークが照れたように笑い、少女の指を握り、俺もだ、とささやく。




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