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ミルドラの種 5

 


 店内は人の熱があふれていたせいで気付かなかったが、夜になって気温が急激に下がったようだった。冷たい空気は草の匂いのする湿り気を帯びている。
 ネルは右半身を下にして倒れていた。足早にひばり亭を出、小走りに駆け寄り、傍らに膝をついた。口の前に手をかざせば弱々しい吐息があたる。首筋で脈をとると、肌は窯で焼かれた石炭のように、熱く熱く火照っていた。一瞬恐怖を感じ、叫びだしそうになる。落ちつけと自分に言いきかせ、耳もとで彼女の名前を呼んだ。
「ネル――ネル、ネル? 起きろ、ネル、返事しろ」
 決して酔っていなかった。具合が悪そうな様子もなく、たとえそうであったとしても前触れもなくこのようになるはずがない。
「ネル!」
 かたく目を閉じ、かわりに唇は薄く開いている。額に大粒の汗が滲んでいた。こんなにも肌寒いのに――いや、それよりも、体がこれだけ熱いのに息が弱いのは異常だ。彼女の肩に手をかけ、そっと体を仰向けにする。ひばり亭の中から人々が出てくる気配があった。近づいてきた男が声をかける。
「大丈夫か?」
 手をついて彼女の顔を覗きこんだまま、俺がいった。
「わからん。さっきまで普通だった。酔うほど飲んでいない――そのはずだ」
「雑貨屋のネルじゃないか?」
 別の声がそういい、それまで遠巻きだった人の輪が一気に縮まった。
「とりあえず中へ」「家へ連れていった方が」「オハラさんに寝台を」「神官を呼んでこい」一度に人がしゃべりだし、誰かがオハラの名を呼びながら、ひばり亭の中へ駆け込んでいく。
「こらヴァン、ぼーっとしとらんとそっちを持て!」
 後ろからどやしつけられ、はっとして顔をあげると、ラバン爺がネルの膝を抱えようとしていた。俺がネルの肩の下に手をいれると、探索者らしい連中が数人歩みでてきて、それぞれが腕を伸ばしぐったりとしたネルの体を持ちあげ、手早く、しかし細心の注意を払って彼女の体を運びはじめた。重傷人と死体の扱いに慣れた手つきだった。「眠り病じゃあるまいな」不安そうな誰かの声がきこえた。眠り病……チュナのように……絶対にそんなわけはない、単に眩暈がして倒れただけだ……今頃そんなはずがない、絶対にそんなわけはない……俺たちが入っていっても、ひばり亭の喧騒は途切れずに続いていた。
「どうなさったんです?」
 カウンターから誰かが声をかけたが、ラバン爺が「なに、たいしたこっちゃない。テレージャかメロダークか酔ってない方を呼んできてくれ」と返事をした。オハラが酒場の奥から顔をだし、俺たちにむかって手招きする。一階の奥の空き部屋に運びこみ、寝台の上に寝かせた。俺を含め、誰も部屋を出ようとしない。皆が心配そうにネルを見おろしている。ランタンの明かりの下、ネルの顔は真っ青だった。苦しげに呼吸をしている。チュナとは違う。眠り病ならこんな風にはならない。「あの指輪は……?」誰かが囁いた。ひどく恐れのこもる口調だった。俺が顔をあげ、指輪がなんだときこうとした時、部屋の外から若い女の声が響いた。
「ちょっとどいてくれ。関係のない者は部屋をでたまえ」
 歯切れがよく、有無をいわせず、それでいて人に安心を与えるような、つまり神官らしい声だった。探索者たちが振りむき、挨拶を……あんたらなら安心だ、頼んだぞ、任せたぞ、と声をかけながら……出ていった。俺は寝台の傍らに膝をつき、じっとネルの顔を見下ろしていた。
「きみ、下がってくれ」
 近づいてきた女の声にうながされ、俺はのろのろと立ちあがった。一目でネスの人間ではないとわかる身なりの若い女だった。眼鏡ごしに俺をちらりと見、「部屋の隅にでもいるといい」と、さっきよりも柔らかい、気づかいを含んだ声でいった。従順に俺は部屋の隅へ行く。長身の甲冑姿の男が入ってきて、後ろ手に部屋の扉を閉めた。厳しい表情を浮かべた彼は、俺には目もくれずに大股で部屋を横切り、ネルの枕元へ立った。
 大丈夫だ、と思った。彼らは神官だ。遺跡の探索者の中には死んだ人間すら蘇らせる術を使う者もいるという。ネルは昔から元気いっぱいで、風邪すらひかないような奴だった。なぜこんなことになったかはわからないが、すぐに回復する。大丈夫だ。あいつらは金をとって人を癒す連中だ。
 神官たちは小声でなにごとかを囁きあっている。男がネルの頭上に両手をかざし、低い声で祈祷を始めた。手の影がネルの顔の上に落ち、黒いヴェールをかけられたようだ。
 俺は胸元のフィーアを外套の上から握りしめる。いつものように頭から血が引いていく。しかし俺の心臓は胸の中で暴れ続け、不安はどこにも去らなかった。
 いつのまにか祈祷の様子が変わっていた。
 女は銀細工の小杖を両手で握り、単調な節回しの低い声で祈祷を、男の方は腰に下げた剣の柄を右手で握り、左手はネルの体の上にかざし、歌うように堂々たる声の祈りを続けていた。違う言葉と違う声、違う節回しの祈りは、要所要所でぴたりと揃い、また離れ、その先で再び絡みあう。二人は目を閉じ、それぞれの祈りに没頭していた。神々を知らぬ俺にも、彼らが高位の神官であり、奇跡を起こそうと全力で尽くしていることがわかった。
 どのくらいの時間がたったのか。
 祈祷がやんだ。
 神官たちはネルの体の上に身をかがめた。彼らは振りむかない。何も言わない。口の中がからからに乾いている。俺は舌で唇を湿らせる。ネルの表情は、彼らが祈祷をはじめた最初と、何一つ変わっていないように見える。
 彼らがネルの左手に触れ、その薬指にはまった柘榴石のニルサを凝視していることに気付いた。
「さっき、俺がやったものだ」
 俺が声をかけると、二人が振りむいた。
「きみが? どこでこれを?」
 女がきいた。
「地下の小人の王が持っていた」
 沈黙が落ちた。二人は俺の顔を凝視している。しばらくして女が言った。
「つまり、きみがヴァンか」
 うなずいた。
「俺がヴァンだ」
「なるほど、なるほど。古代の王の石を集め、最も深きを一人行くホルムの探索者か。なぜこの指輪を彼女に渡したんだい?」
「こいつも遺跡へ行くから……お守りのつもりで……それの何が悪いんだ?」
「指輪をはずしてみたまえ」
 女にうながされ、俺はネルの左手をとった。ニルサを彼女の指から外そうとする。指輪はネルの指にぴったりと張りつき、動かすことすらできなかった。最初は軽く、次にやや力をこめて指先へ引いたが、周囲の皮膚が引っ張られただけだった。
「取れない。なぜ――」
「強い魔法がかかった品だ。同じくらい強い呪いがかかっている」
 女が言った。
「だが、俺は平気だった」
「呪いはあらゆる人に等しく発動するものではない――同じ書から学んだ魔術師たちの得意とする技がそれぞれ違うようにね。きみが身に付けた時は、何らかの理由あるいは偶然で呪いの発動する条件をすり抜けたのかもしれないし、ネルくんとは別の形で呪いが発現したのかもしれないが、私にはそれはわからない」
 突然思い出した。あの炎の河の中にそびえた祭壇で、化け物のようになったミーベル、そして指輪を手にしたダリム。彼の変化を彼が王になったせいだと思っていた、王になったせいで猜疑心が育ったのだと。
 女は自分の眉間を親指で揉み、苛立ちのこもる口調でいった。
「彼女の熱が下がれば目を覚ますだろうが、そのためには指輪を外さねばならず、指輪を外すには指輪の呪いを解かねばならない。ただしこれが本当に太古の王の指輪ならば、ユールフレールの大僧正であっても、祈祷によって呪いを解くのは不可能だろうよ」
「じゃあどうすればいいんだ?」
「ネルくんが目を覚まし、自分の意志で指輪を外すなら、あるいは……さもなければ……」
 目覚めさせるには指輪を外す必要があると言ったところだ。どちらもできない。片方ができねばもう一方も不可能で、袋小路の行き詰まりだ。吸った息がうまく肺まで届かない。女はネルの顔に視線を落としたまま、黙りこくっている。
「さもなければ……さもなければ……いつ目覚めるんだ?」
 女が顔をあげた。
「曖昧にするのはよそう。さきほど我々は治癒の術を使ったが、彼女の熱はほとんど下がらなかった。ネルくんが汗をまったくかいていないのに気付いたかね? 指輪によって体内で増幅した魔法の力が、体の外へ出ていかず、血だけが熱くなっていく。魔術的な回路が外部と接点を持っていないのだ。それが魔術の才能がないということだ……体温が下がらない……血管を炎が走るようなものだ……このままなら、当然……当然、すぐにとは言わない、恐らくは明日までは持つと思うが……明日にはきっと死ぬだろう」
 炎。
 小人の塔の地下を流れる灼熱の溶岩、火トカゲの揺れる青白い舌、魔将のまとう炎の衣、小人たちの血――松明のように燃え上がる追い剥ぎの頭、爆発する熱気――あらゆる火と灼熱の痛みの記憶が俺の体によみがえる。
 炎。熱。死。死――呼吸が苦しくなり、視界がぼやけ、室内が回転しはじめた。俺の体が燃えている。
 気がつくとネルが横たわる寝台の端に両手をつき、体を支えていた。彼女の左手の上で柘榴石のニルサが禍々しい輝きを放っている。欲しい物があれば奪えばよく、相手がそれを手放さなければ殺して奪い取ればいい。ごく単純な理屈だ。だが命そのものを欲した場合、何を殺せばいいのだ?
 俺は死ぬのが怖い。しかし他人の命は俺にとってなんの意味もなく、それらは俺の意図とは関係なく生まれて通り過ぎ消えていく。義母の死も、チュナの命も、小人たちの血も、領主の死も、なにもかもが無意味で無価値だ。そう思っていた。
 だが、ネルは……ネルの命は……輝くようなあの笑顔は……。
 俺のせいだ。
 これが報いだという言葉が、暗い荒野を走る稲妻のように脳裏に閃く。
 喉から奇妙な音が漏れた。
 両手で口を押さえた。嗚咽がとまらなかった。目を閉じ、開いたが、涙も同じだ。泣きだした俺から神官たちが目をそらした。ネルが見たら、やーい、泣き虫、と笑うに違いない。
 俺のせいだ。
「方法がないわけではない」
 ずっと沈黙を保っていた長身の男が口を開いた。振りむいた俺と女の視線を受け、右手で手刀を作った。
 己の左手の甲へ打ちおろした。
 それが何を意味するのか気付いた瞬間、俺は体を起こし、男を突き飛ばしていた。男は俺の手を避けようともしなかった。
「あんた何を――できるわけないだろう!」
「上手く切れば四本は残る。命は確実に助かるのだから、いい取引だ」
 女がひとつ頷いた。
「なるほど。単純な解決策だな。しかし刃物が通るかな」
「呪いによるが、切れるところで切ればいい」
 全身が総毛立った。二人にむかって、
「駄目だ、駄目だ、駄目だ!」
 絶叫した。
「なんだと思ってるんだ、探索者じゃないんだ、雑貨屋の娘だぞ! あんたら神官だろう!」
 男と俺の間に、女が割りこんできた。視線の高さが俺とほとんど変わらない。
「そうだ、我々は神々に仕える者だ。だから命を他の物と交換などしない。ネルくんの命と彼女の指とどちらに価値があるのか、考えるまでもないことだ」
「もうひとつ、確実に呪いを解く方法はある」
 男が言った。
「呪術者を殺すことだ」
 女が振りむき、男の胸をやや乱暴に押した。さっき俺が突き飛ばしたときと同じように、男の体はまったく動かなかった。地面に打ち込まれた杭のように立ちつくしている。真実のように揺らぎがない。振りむいた女が、俺を見た。早口に言った。
「太古の王の宝だ。持ち主の王たちはすでに死に、当然呪術者ももう死んでいる。地下に不死の皇帝がいるというのは根拠のない噂だし、皇帝が王たちに四つの石を分け与えたというのも単なる噂に過ぎない。いいか、伝承では四つの石はアークフィア女神の持ち物だと伝えられていて、こちらの方がまだ信憑性がある。馬鹿なことを考えるな……単なる無知でやったことだ、責任を感じなくていい。わかったか?」
 俺が答えずにいると、女が怒鳴った。
「わかったか、ときいたんだ! 自分のために恋人を亡くした女がどれだけ嘆くのか、一から私が教えてやらなきゃあならないのか? わかった、はい、と言え。出ていって大人しくしていろ。これから夜通し祈る我々に、余計な労力を使わせるな――指を切るとしても、それは我々が尽くすべき手を終えてからの話だ」
 俺は首を横にふり、彼女の言葉を否定する。なんと滑稽な間違いだろう。誰がそんなことを考えるのだ。俺はネルの恋人などではない。
 人を殴って金を稼ぎ、盗みによって飢えを満たす罪人の遺児が、彼女のような者と釣り合うわけがない。俺は彼女に触れる価値すらない人間だ、ただのヴァンがそんな大それた望みを持てるはずがない……。
「俺に命令するな」
 そう言ったが、歯の根があわず、弱々しい囁きにしかならなかった。二人はもう俺ではなくネルに向きなおり、彼女のことに集中していた。
 最後に寝台の上のネルを見た。天井をむき、青ざめた顔で苦しげな寝息を立てている。
 神官たちに背を向け、扉を開け、部屋を出た。
 扉の周囲にはまだ人だかりがあった――ホルムの町の人間がおり、見慣れぬ探索者たちがおり、皆がネルを心配している。出てきた俺にまで気遣わしげな視線を向け、無言で歩き去ろうとすると、声をかけられ、背をさすられた――触れてくる手を跳ねのけ、返事をせずにまっすぐに歩き、ひばり亭の外へ出た。
「ヴァン」
 月の光すらない夜だった。気がつくと手がまた胸元の首飾りを探っていた。手を下ろし、俺は拳をかたく握りしめる。畜生。くそったれ。こんなもの。
「ヴァン!」
 肘を思い切りつかまれ、強引に振りむかされた。暗闇の中で彼女の長い髪が揺れた。なぜキレハがここにいるのかわからない。
「しっかりなさい、どこへ行くつもりなの!」
 鋭い叱咤の声がいつものようになんのぬくもりもなく俺の耳を打った。ねじ曲がり、狭まり、混乱していた意識に冷水をかけられたようなものだ。キレハが何かを言っている。
「送っていくわ。家はどこ? あなたはいつもどこにいる人なの?」
「俺のせいだ」
「なんですって?」
「……ネルが……俺のせいだ……俺のような者が……俺が悪いんだ」
 暗闇の中でキレハの両目が光っている。夜を見張る獣の目だ。俺の肘から手を離し、ぽつりと呟いた。
「あなたはかわいそうな人だと思うわ」
 俺は彼女に背をむけ、再び歩き出した。
 俺がいるべき場所はわかっている。いくべき場所も知っている。暗い森が風に揺れ、葉を落とした枝々がゆらめき、千の手のように俺を招いていた。昼には死ぬと言っていた……彼らは夜通し祈ると……朝だ、朝までには<彼>を滅ぼさねばならない。女神官は、四つの石の持ち主は太古の王だと言っていたが、俺はそれが間違いだと知っている。俺は知っている。あれは<彼>がアークフィア女神から受けとった物だ。
 俺は<彼>の居場所を知っている。
 ネルを救うことができると知っている。
 森へ走りだした俺の胸元で、フィーアが音をたてて揺れた。


 
 物心ついた初めから繰り返し、繰り返し、自分の王国と宮殿の夢を見た。
 その王国が何で、その夢がどこから来ているのか知ったのは、<彼>の夢を見た時だった。あの夜の夢の中で<彼>は俺に触れ、俺は自分の夢の宮殿に佇む俺の姿を見た……いいやそれは俺でなく<彼>であり、<彼>こそが俺であった。俺の肉体は<彼>のために用意された器であった。
 俺は<彼>に捕まれば、俺でなくなるであろう。肉体はひとつであり魂は二つある。<彼>の力は強大で、立ち向かうことすらかなわぬ。俺は死ぬ、俺は死ぬ、そして後には<彼>と<彼>の王国が残る……。
 寝台から転げ落ち、周囲を見回せばまだ深夜で、部屋の四隅には黒々とした闇がわだかまっていた。床を這い、義兄の寝台に近づくと、腕を伸ばして彼の膝を揺すった。不機嫌な声をあげて目をさました義兄は、寝台の側に座りこんだ俺の姿に驚いたようだった。
「どうした、ヴァン」
 俺は彼を見上げていた。夢の恐怖がまだ全身を震わせており、奥歯が打ちあい、小さな音をたてていた。口をきくことができなかった。助けてくれ、俺はただのヴァンだ、俺は勘違いをしていたのだ――俺は命と引き換えに王になぞなりたくはない――助けてくれ、兄さん、俺を助けてくれ、子供の頃のようにそう言いたかった。
 パリスが寝台の上で膝から立ちあがり、チュナの方を見た――「チュナになにかあったのか?」眠気のさめた鋭い声だった。
 ようやく歯の根があった。窓の隙間から流れ込む空気には夢と同じ死臭が混じっているように思えたが、それは慣れ親しんだ裏通りの汚水の匂いであった。自分は子供ではなく、当然義兄には頼れない。そんな当たり前のことをようやく思い出していた。
「違う……夢を見たんだ」
 かろうじてそう言った。
「ああ?」
「なんでもない、寝ぼけていた」
 胸の底から息と一緒にその言葉を吐いた。パリスは髪の毛をぼりぼりと掻いて、腹立たしげなため息をついた。
「……本当に大丈夫か?」
「夢を見たんだ」
 もう一度、そう繰り返した。
「<彼>が俺を捕まえにくる夢だ」
「<彼>?」
「王だ……この体の真の持ち主だ」
「はあ? 寝ぼけんなよ……おまえの体はおまえのもんだろ」
 パリスは乱暴な口調でそういうと、毛布をつかみ、寝台に横たわった。ほどなく寝息がきこえてきた。俺は立ちあがることもせず、義兄の眠る寝台に頭を寄せ、気持ちを落ち着かせようと己の心をなだめ続けていた。夜の闇は人を恐怖させ、朝の光はそれを払う。
 ――俺は死にたくない。
 ならば戦うしかなかった。
 同様に、ただのヴァンでいることには耐えがたく、ならば王になるしかなかった。
 <彼>を倒せばこの二つの願いは同時にかなうだろう。単純極まりない結論だった。床に座り、薔薇色の雲が広がるホルムの夜明けの空を眺めながら、俺は夢に見た己の王国を手に入れようと誓ったのだった。そのためにはどのような犠牲も厭うまいと。
 己の命と王国の二つがあればよく、それ以外になんの価値があるだろう? 死者の宮殿でタイタス十六世が夢想し、テオル公子がすみれ色の水晶に託した夢、<彼>が求めるのも同じ物だ。
 

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