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仙女の贈り物 10

12月24日

 冬至節は日没と同時に始まる。
 大河神殿の今年の冬至節の礼拝は、例年と比べて空席が目立った。昨年には聖杯旗を掲げた大神殿との戦いで、多くの犠牲者を出した町であった。
 
 マナが片付けを全部すませて神殿を出た頃には、もう真夜中近くになっていた。
 一日働いて体はくたくただったが、気持ちは高揚していた。空気は澄み、満天の星空だ。駆け足でひばり亭に向かいながら、こんなに遅くなるなんて、メロダークとエンダには掃除をさせず、先に送り出してよかったと思う。二人にとっては初めての平和なホルムの冬至節なのだから!
 やがて見えてきたひばり亭は、真夜中だというのにすべての窓に温かな明かりが灯り、しゃべり声、笑い声、楽器の音色、冷やかすような口笛、手拍子や歌声が通りまで響いていた。マナは笑顔になって、走る速度を上げた。子供の頃と同じようにわくわくする。一年で一番長い夜は、一年で一番特別な夜だ。

 ひばり亭はむっとするような人いきれに包まれていた。足を踏み入れたマナが外套を脱ぐ暇もなく、「よう、マナ!」「おや、マナ様」「巫女さんじゃねえか」「わぁいマナだ!」「いよっ、カリスマ!」「知ってるぞあの!」方々から声が飛んできたが、多分マナを知らないノリだけの人も混ざっている。
 誰かがマナの手に波々とエールの注がれた杯を渡してくれる。知っている人、知らない人、とにかく機嫌のいい酔っぱらいたちが、ぐるりと彼女を取り囲み、手にした杯や酒瓶を掲げ、「メリー冬至節!」と、唱和する。
 あわててマナも杯を掲げ、「メリー冬至節!」と返事をし、無事に最初の乾杯を終えた。杯から口を離したときにはもう人の輪は崩れていた。
 手近なテーブルに空の杯を置いて、周囲を見回したマナの目に最初に飛び込んできたのは、二階の廊下に立つメロダークの姿であった。


 メロダークは昨年の冬至節の夜に自分が何をしていたのか、うまく思い出すことができなかった。
 ひっそりと静かな夜だったのは確かだ。赤い雪は降っていたかどうか。
 覚えているのは翌朝、酒場に姿を現したマナが大きな箱を両手で抱えており、自分を見つけると飛んで来たことくらいだ。メロダークさん、これを見てください! 大変な物を頂いてしまったのです! ……カエルはどうでもよかろうカエルはと思ったのだが、マナがあまりに嬉しそうだったので、彼はそれを言えないままだった。その頃の彼は、じきに訪れるタイタスとの決戦のことだけで頭がいっぱいだった。かの皇帝は必ず滅せねばならぬ。戦いが終わり生還できたとして(そんなことが可能であるとは思えなかったが)、自分がその後どうなるのか、メロダークは想像すらできなかった。ただ、マナのことを考えた。戦いが終わればマナはまた田舎町の巫女に戻る。夜になると、彼はたびたび、白い光を放つ星を掌にとらえる夢を見た。
 今年の冬至節は、昨年とは違って祭りの賑やかさだ。
 メロダークは最初、エンダやパリスやチュナと一緒に壁際のテーブルで食事をし、比較的静かにこのパーティーを楽しんでいたのだが、その平和もネルに引っ張られてやってきた病み上がりのシーフォンが、しこたま飲んでご機嫌なテレージャの大演説に野次を飛ばし始めるまでの短い間のことだった。二者間の舌戦は当然のように魔法合戦に発展しかけたが、フランが「仲直りしてあたしのケーキを召し上がってください」と割って入ったせいでさらに大変なことになり、そのあたりでメロダークは階上にそっと退散したのだった。
 よく飲みはしたが意識は冴えていた。酒場に比べればましだが、薄暗い吹き抜けの通路にも今日は人が多い。他の客たちと同じように手すりにもたれて階下の様子を見下ろしながら、メロダークは極めて冷静に、一体俺はどのタイミングで脱衣するべきだったのであろう、フランが登場しなければあそこで口舌や魔法に頼る馬鹿らしさを肉体によって訴えていたのだが……などと考えていたのだが、
「メロダークさん!」
 名前を呼ばれて、思考が途切れた。
 マナが人波に揉まれながら、階段を上がって来るところであった。メロダークを見つけた少女の両目が星のように輝いている。周囲の喧騒を一瞬忘れた。つい先ほど神殿で別れたばかりなのに、ここでまたメロダークと会えたことを、心の底から喜んでいる。彼を見るときは、いつでもそういう笑顔になる。
 メロダークだけを見つめて真っ直ぐに駆け寄って来たマナは、当然の結果として、廊下にいた他の客に勢いよくぶつかった。
「ご、ごめんなさい」
 近づいていったメロダークが、マナの左手を右手でつかみ、自分の側へ引き寄せた。
「……もう少し注意して歩け」
「あっ……は、はい!」
 やけに元気よく返事をしたマナと並んで、薄暗い壁際に身を寄せる。特にそうする必要もないのに、メロダークはマナの手をつかんだままでいた。しばらくすると、頼りないくらい細い指と小さな掌が、おそるおそる彼の手を握り返してきた。耳まで赤くなったマナは、メロダークの視線に気づくと、ぎこちない笑みを浮かべた。「にぎやかですね」と言い、しばらくしてまた、「す……すごくにぎやかですね?」と言った。彼が返事をせずにいると、間を開けてから、「にぎやかですよね!」と言った。にぎやかなのがよくわかったので、メロダークは無言でうなずいた。マナはまだ何かを言いあぐねている様子であったが、二人の隣でしゃべっていた行商人たちが側を離れ、階段を下りていったのをきっかけに、また口を開いた。
「冬至節を皆とにぎやかに過ごすのが、私、とても好きなんです。でもこうしてメロダークさんと一緒に……えっと、二人でいられるのも、とても……とても嬉しいです」
 言い終えるとほっと肩から力を抜く。彼を見上げると、先程よりは自然に幸福そうな笑みを浮かべた。
 突然、そしてようやく、メロダークはこの少女が彼の信仰や献身や忠誠を、怯むことなく、嘲ることなく、竦むことなく、ただそのままに受け入れている理由に気づいた。
「……マナ」
「はい!」
「お前、俺が好きなのか」
 思わずそのまま口にしてしまう。
 猫や犬が全身の毛を逆立てて飛びすさるように、そのくらいわかりやすく、マナが全身で驚愕した。びくっとしたあと、まん丸になった目がメロダークを凝視したまま、完全に固まってしまった。
 メロダークがうろたえかけた時、ふーっと息を吐いて、マナが硬直を解いた。顔を前に向け、小さいがはっきりした声で言った。
「そうです」
 マナは空いている方の手で目元を擦った。いつものように泣き出すか逃げ出すかと思ったが、そうはせずに、さっきよりも震えを帯びた声で、「ええ、私、あなたが好きです」と言って、マナはメロダークとつないだ手に、ぎゅっと力を込めた。
 階下で笑い声が響いた。弦楽器の弾むような音色にあわせて、声を張り上げ、男たちが歌っている。酒と葡萄酒の甘い香りと、香ばしい肉や野菜の焼ける匂いが漂っている。踊る若者たちの足が床を鳴らした。誰かがマナを探しているらしく、少女の名前を呼ぶ声がきこえた。そろそろ彼女を独占するのをやめて、酒場に下りていった方がいい。メロダークはそう思ったが、マナの手を少女がこめたのと同じ強さで握りしめたまま、眼下の喧騒を静かに見下ろしていた。

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