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仙女の贈り物 3

12月16日



 メロダークはまたしても不機嫌になった。
「前の冬至節の時といい、タイタスの時といい、お前はなぜそうも無防備に寝ているのだ」
 そんなことを言われても、とマナは思う。この小言はいくらなんでも理不尽すぎる。どちらも人ならぬ存在なので、防ぎようがない。大体、寝ている時に無防備にならない人間など存在するのだろうか。
「ルギルダだったからいいものの、お前に害をなそうとする亡霊の類ならどうするつもりだったのだ。よし、夜は俺が……」
 そこまで言ったメロダークが、いきなり黙った。うつむいて皿の上の目玉焼きを睨んでいたが、やがてため息をついた。「とにかく、夜に一人でいるな」
「無理ですよ、そんなの」
「俺を呼べば、寝室の外で番をしてやる」
「……アダ様にどう説明するんですか」
「それは……うむ……そうだな……」
「それならメロダークさんに来ていただくのではなくて、私がメロダークさんのお部屋に泊まりに行く方がいいのではないですか」
 何の気なしにそう言ってから、メロダークが凝視しているのに気づき、マナは狼狽した。
「で、でも、実際に行くことはないのですが。ないです。だって眠る前に何かありそうとわかるものではないですし。わかるようなら起きていればいいだけの話ですよね、お手を煩わすまでもなく」
 慌ててそう付け足す。メロダークは、渋い顔になった。
「わかっている」
 決まりが悪くなってうつむいたマナは、足元がふわふわしているのに気づいて、びっくりした。メロダークから心配されるのは、驚くほど幸せで、気持ちがいい。甘えてはいけないと思う一方で、頼れと言われたのだから、このくらいはいいのではないかとも思ってしまう。それに本当に泊まりに行ったり、泊まりに来てもらうわけでもないのだから。同時に、こんなことを考えてしまう自分は、なんだか駄目だとも思う。
 気恥ずかしくなって黙りこむと、メロダークもなぜか無言になる。二人でもじもじと皿の上の料理をつつき回していると、「こんにちは、マナくん」と元気のいい声が階上から降ってきた。寝起きの顔をしたテレージャが、階段を下りて来る。
「やあやあメロダークくんも。二人ともずいぶん久しぶりだね、しかしいつも仲がいいねきみたち、冬至節が近いけれど神殿の方は忙しいのかい、最近また遺跡に入ってるんだって? 声を掛けてくれりゃいいのに水くさい」
 髪をまとめながら一息にそれだけを言い、くわっとあくびをしたテレージャは、マナが椅子をすすめると、すとんと腰掛ける。

 ルギルダに冬至節の贈り物をという話を、テレージャはふんふんと頷きながらきいていた。しゃべるのと同じくらい聞くのが好きな人なのだ。
 ルギルダとは面識がないテレージャは、マナの話を聞き終えると、面白そうに首をかしげた。
「精霊への贈り物はあまり聞いたことがないな。何を贈ったら満足するのか、わかったら教えてくれたまえ。専門外ではあるが私も興味がある」
「今、それで困っているところなんです。何がいいと思います?」
「そうだなあ。魔法の術具、は武器と同じ扱いで駄目なのかな。石や木のような自然物……それも古い物。魔力が宿ると言われる宝石、樹木、小鳥……一番いいのは人間だろうけどね」
「に、人間?」
「だって生贄を捧げるだろう」
「ルギルダさんはそういうの、あまり喜ばない気がします」
 開け放たれたひばり亭の入り口から、どやどやと若者たちの一団が入ってきた。職人らしい格好をした彼らは、奥のテーブルについたマナを見つけると立ち止まり、帽子を取って丁寧に挨拶をした。顔見知りの信者らしい。
「すみません、ちょっとご挨拶して来ますね」
 マナは二人に断って席を立ち、カウンターについた若者たちの方へと近づいていった。テレージャは、陰気な顔で酒を飲み始めたメロダークへと向き直った。
「で、きみ。冬至節も近いのに、きみたちは相変わらずなのかい」
「……当たり前だ。何の変化があるというのだ」
 テレージャが遠い目をした。
「マナくんがタイタスを倒して一年。一年は長いねえ。まさか私は、一年経ってもきみがいまだにひばり亭で探索の手伝いをしているとは思わなかったよ。毎日、毎日、昨日と同じようにさ」
 メロダークがテレージャを見た。
「毎日同じで何が悪い」
 テレージャは軽く肩をすくめた。
「このあたりはシーウァに比べると、大河神殿の戒律もぐっと緩めでね。この一年で、私もネスの神官職の知り合いが増えたが、大体に連れ合いがいる。市井の職人とくっついて子供を三人も産んだナザリの巫女なんて、最初の子供ができた時にはマナくんより二つも年下だったそうだよ」
「……あれはそういうことには興味がない」
「へえそうかい」
「そうだ」
「ほう。そうなのか。興味がない! あれはそういうことには興味がない。初耳だね。えらく詳しいじゃないか。意外だよ。なんとね」
 メロダークは、怒りを鎮める百の方法を知っている。
 一方テレージャは、メロダークを苛立たせる百一の方法を知っていた。
 奥歯を一旦噛み締めて罵倒の言葉を飲み込んでから、搾り出すようにメロダークが言った。
「……大体、それと冬至節になんの関係があるのだ」
 テレージャは邪気のない笑みを向けた。
「特に関係はないよ。ただ親しい者同士はもちろん、親しくなりたい相手を誘って、二人きりで祭りの夜を朝まで過ごすのはこういった田舎じゃ当たり前のことだというだけの話さ。冬至節の礼拝ではマナくんを誘おうと若者たちが列を作るかもしれないね。去年は何しろそれどころではなかったから、二年分の気持ちをこめてさ」
「その連中は神殿に何をしに来ているのだ」
 メロダークは、カッとなった。
「ふざけるな。列の先頭を代われ、私が一人ひとりに説教をしてやる」
「おや、マナくんも冬至節を楽しみにしているんじゃないかい? それに新しい出会いがあってもいいじゃないか。あんなにかわいい女の子なんだからさ」
 カウンターの方で笑い声が弾けた。そのなかには朗らかで楽しげなマナの笑い声も混ざっていた。笑顔のマナを取り囲んでいるのは、若く、陽気で、礼儀正しく、それぞれが手に職を持ちホルムに暮らす、非の打ち所のない真面目で立派な若者たちであった。
 メロダークは黙りこみ、やがてぐいと酒を煽った。テレージャは澄ました顔で、空いた杯に酒をついでやった。


 お伽話や物語に出てくる精霊や仙女は、確かに人間が好きそうだ。しかしもちろんだからといって、人間を贈り物にするわけにもいかない。
 妖精の塔の泉の前に立ったマナは、これまでと違い、自信なさげな顔だった。
「古い宝石でもあればよかったのですが」
 言い訳がましく口にする。マナが手にしているのは、内側から光を放つような、真っ白で美しい木材であった。以前探索の際に、妖精の大樹から伐採した聖木である。マナにしてみれば、採取に苦労した貴重ないにしえの樹木であり、遺跡で見つけて手元に残しておいた数少ない宝のひとつであるのだが、ルギルダにとっては、近所に生えてる木の枝に過ぎないのではないかという懸念もある。
「ここまで来てなんですが、ルギルダさん、喜んでくれるでしょうか?」
 メロダークは返事をしなかった。マナの声が聞こえている様子もない。昼食を終えてからずっと、メロダークは上の空だ。
 男の横顔をじっと見つめ、マナは、疲れておられるのかな、と思った。メロダークもメロダークで仕事があるのに、無理を言って毎日付き合わせてしまっている。一緒にいられるのが嬉しくてついはしゃいでしまったけれど、私はまた甘えすぎて……ともやもやとした気持ちのまま、マナはリボンをつけた聖木を、泉に投げ込んだ。
 音を立てて水柱が立ち、聖木は水の中へと姿を消した。
 風が吹き、静かになった泉の水面にさざなみを起こし、二人を囲む森の木々を揺らした。いつまで待っても、ルギルダは姿を現さなかった。
「またお留守なのかもしれませんね」
 陰鬱な表情のメロダークにむかって、マナは精一杯の元気で明るい声を掛けた。
「釣竿を用意してくればよかったですね!」
「……明日は忘れずに持ってこよう」
 その声にあまりにも気持ちがこもっていなかったので、マナはじっとメロダークを見つめた。なんだか泣きたくなってしまう。
「あの。もう明日は。えっと、ルギルダさんにあの聖木を受け取って頂けなくても、明日は一人で……ん……エンダか、そうでなくても、どなたか他の人を誘って来ますから。毎日、毎日、同じように、メロダークさんにお願いするのも、いけませんしね」
「……」
 メロダークが首を動かし、マナの方を見た。やけに虚ろな表情だった。疲労のせいだと思い、マナは深く反省した。
 メロダークは再び泉に向き直ると、羽織っていたマントを落とした。鎖帷子を外し、厚い上衣と肌着を脱いで、するすると裸になる。
 慣れとは恐ろしい物で、マナは別段驚きも警戒もせず、黙ってその様子を見守っていた。下衣に手がかかったところでごく自然に視線を逸らし、
 ――やっぱり怒っておられたのかしら。
 と思った。メロダークが聞いたら、苛立ったからといって脱ぐわけがなかろう、それでは変態ではないかと怒りだしそうな考えではあった。
 バシャンと水を割る音が聞こえ、マナがはっとして顔をあげると、裸になったメロダークが泉へと入っていくところだった。妖精の塔は年中同じような天気と温度であるが、地上へ戻れば十二月も半ばである。
「メロダークさん!?」
「……中を見てこよう」
「風邪を引きますよ! そこまでは結構ですから!」
「問題ない」
 肩越しに振り向いたメロダークが、どういうわけか哀愁をにじませた口調で言った。
「このくらいはやらせてくれ。俺はどうせ役に立たん男だ」
 マナが止める間もなく、メロダークは大きく息を吸い込むと、水中に体を沈めた。


 作り物めいた印象の拭えぬ風や空とは違い、泉に流れる水は自然のそれと同じであった。両腕と両足で水をかきわけ、水中を進むうちに、底にぼんやりとした光が見えてきた。メロダークは、それが先程マナが投げ込んだ聖木だと気づいた。
 水底にどういうわけか寝台が用意してあり、聖木が、枕の上に落ちている。だがさらに接近していくと、聖木の下には顔があることがわかった。
 ルギルダだ。
 何も考えずにマナが投げ込んだ聖木が、寝台で休んでいるルギルダの顔の真上に落下したのであった。
 メロダークが聖木を持ち上げると、額と顎のところに聖木と同じ太さの線がついたルギルダが、お世辞にも友好的とは言いがたい目付きで彼を見つめていた。


 水面に白い泡が立ち、ルギルダが姿を現した。
 片手に意識のないメロダークをぶらさげている。水妖の手による絞め技が完璧に極まった後であった。
「ルギ……メロダークさん!」
「……あなたが落としたのはこの……うう……う」
 くしゅん! とルギルダがくしゃみをした。
 一度では止まらず、立て続けに五つ、くしゃみが出る。その隙にメロダークを取り戻したマナは、重たい男の体を急いで地面に横たわらせた。濡れた体に外套を掛け、膝枕をしてやる。呼吸が穏やかなのを確認してから、ようやくルギルダを見上げた。
「ルギルダさん、風邪ですか?」
 ルギルダはずるずると垂れた鼻水を袖で拭ぐった。美人だいなしな仙女は、「フナ風邪」と言った。
 マス風邪やサンマ風邪もあるのであろうか。
 ルギルダがメロダーク、あるいはメロダークがしっかり握っている聖木を一瞥した。
 マナははっとして、膝の上のメロダークの頭を抱きしめた。
「これは贈り物ではないですよ!」
 私のです、と言いかけて、危ういところで飲み込む。自分は何を言おうとしているのであろうか。
 ルギルダはこくりと頷くと、もう一回くしゃみをしてから、泉に沈んでいった。
 残されたマナは無意識のうちにメロダークを抱きしめたままでいたが、男が身動ぎした気配に、ぱっと腕をほどいた。狼狽する少女の膝の上で、安らかに眠るメロダークの鼻がひくひくと動いた。目覚めるかわりに、男はのんきなくしゃみをした。


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