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仙女の贈り物 7

12月21日



「ああ、それで部屋が空いたのね。ちょうどよかったわ」
 分厚い外套を脱ぐと、キレハは頭を軽く振った。フードの下で窮屈な思いをしていた髪が音を立てて広がり、酒場を照らす灯火の光がつややかな黒髪を滑り落ちる。
 冬至節を数日後に控えたひばり亭は、いつもより客が多い。行商人や芸人たちはもちろん、流れの傭兵や無法者たちですら、祭りの日には自然と町に集まるものだ。人は人を呼ぶ。本当は今頃東部へと向かっているはずだったキレハが一年ぶりにホルムを訪れたのも、大体そういった理由だった。
 ひばり亭が満室ならばキレハは旧知の誰か、それこそがマナあたりを頼って宿を借りるつもりだったのだが、ひばり亭は数日前にちょうどひと部屋、個室が空いたところだった。
 キレハが来たとの知らせを受けて、ネルと一緒に駆けつけてきたマナは、恥ずかしそうな、しかし幸福を隠さぬ笑みを浮かべた。
「帰依がどうのと言い出したときにはどうなることかと思ったけれど、一年経って収まるところに収まったってわけね」
「まだどうなるかわかりませんよ。ハァル神殿とは大分勝手が違うから、神官としては見習い扱いだってアダ様が」
「ふうん?」
「それでしばらくは神殿の細々としたことを……あっ、でも」マナは突然、笑みを消して真面目な顔になり、頬を両手で挟んだ。「朝夕の水汲みは私の仕事なのですが、昨日今日と、メロダークさんが手伝ってくださって」
「ええ」
「私、どうしよう、どうしようって、うろたえてしまって」
「……どうしようって何を?」
「だってそんなの……や……優しすぎる」
 マナが両手で真っ赤になった顔を覆った。
 キレハは、注文していた酒と料理を運んできたオハラを見た。オハラがそっと首を横に振った。マナを挟んでカウンターに並んだテレージャとネルに視線を滑らせると、彼女たちもまた、そっと首を横に振った。それでキレハは、「そ……そうなんだ?」と無難極まりない相槌を打って、杯に口をつけた。
「そういえばルギルダくんの件はどうなったんだい」
 二杯目のワインを注文したテレージャがそつなく話題を変えた。久しぶりのホルム料理の味を楽しみながらルギルダへの贈り物の話を(こちらは意味がよくわかった)きき終えたキレハは、「物を贈ることにこだわる必要はないんじゃないの」と言った。
「贈り物が嬉しいのは、思いがこもっているからでしょう? 気持ちをこめた言葉や、言葉がなくてもただ一緒にいられるだけで、嬉しい物じゃないかしら」
 カウンターに並んだ三人にじっと見つめられていることに気づいて、キレハはフォークを置いた。
「何?」
「本当にそうだなあって思ってたところだよ」
 とネルが言い、えへへ、と笑った。
「またお会いできて嬉しいです」とマナが頷き、杯を掲げたテレージャが、「お帰り、キレハくん」と最後を引きとった。
「……変な人たちね」
 そう言ったキレハは杯を手にして、そっぽを向いた。そっぽを向いたまま、「私もまた会えて嬉しいわよ。ただいま」と、早口に言った。マナたちは、お互いに目配せして、にこにことしていた。

 おしゃべりをしながら時間をかけて食事を終えたあと、マナがカウンターにこぼれた水滴を指先でそっと拭いながら、「誰かに何かを贈るのは……喜んでもらうのは、改めてそうしようと思うと、難しいことですね」と独り言のようにつぶやいた。
 ふと気がついて、キレハが言った。
「それでそのメロダークは、今日はどうしたの?」


 そのメロダークは、一人で泉の前に立っていた。
 ――昨年、カエルタッパーを贈られたマナが、『戦いの際には心強いですね。ルギルダさんは素晴らしい物を贈ってくださいました』とやたら感心するのを、メロダークはいくらか冷ややかな気持ちで見つめていた。役に立たんとは言わんが、なくても困らん物だろう、内心でそう思っていたのだ。
 それから一年が経った。
 あってもいいが、なくてもいい。
 もしかすると、それは今の俺ではないか。
 メロダークはそう思う。
 カエルタッパー男という言葉が浮かび、鬱々とした気分になるくらいだ。
 普段たいして役に立つこともない彼と、マナは喜んで一緒にいてくれる。少女の側でこれまでに経験したことのない穏やかな喜びを感じる一方、なぜお前は俺を受け入れるのだ、と不安にもなる。メロダークの忠誠は彼女への献身を強く求め、それができぬことに強い焦燥を覚えていた。
 鬱々とし、不安になり、焦燥を感じ、以前の彼ならばそこで考えるのを止めていたところだが、今の彼は、ならば、と思う。思えるようになった。
「……それなら、自分がいいと思うことをやるだけだ」
 両手に抱えていた鉄の鍋を一旦頭上に掲げる。湯気が立つそれを、泉に投げ込んだ。
 メロダーク渾身の力作であった。
 ――人も、動物も、仙女も、味覚は同じだ。美味いものは誰が食べても美味い。
 自信を持って見守るメロダークの眼下、リボンをつけた重い鍋はいくつもの気泡とどす黒い汁を散らしながら、泉の底に沈み込んでいった。これでルギルダは喜び、マナも喜ぶことだろう。
 メロダークは、満足した。

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